そこで、七宮「織田水軍・九鬼一族」という本を買った。
(他に買ったのは、「ギボン自伝」、「西行のすべて」、「石原莞爾のヨーロッパ体験」の3冊)
九鬼水軍とは、伊勢・志摩に根を張った九鬼家から出た九鬼嘉隆という大物が出て、織田信長の水軍として大活躍したものだ。織田水軍=九鬼水軍と言える。大阪の石山合戦での毛利の村上水軍を打ち破った際に使用された巨大な安宅船を建造したのもこの九鬼の一族である。
で、まぁここまでは知れた話。
面白いのはここから。皆知ってるかな。
関ヶ原の時に、九鬼嘉隆は石田三成に加勢し、自害した。嘉隆の子の守隆は、父と別の道を選び家康に加勢した。論功行賞もあり、5万5千石の大名として取り立てられた。ところが守隆の跡目争いでもめて、九鬼家は海のない摂津の国、三田藩に引っ越しを命じられる。猪のボタン鍋で有名なところだ。有馬温泉も近い。
時は下って幕末。
九鬼家はいまだに確固と三田藩を統治していた。
維新の激動のなかで、藩主であつた九鬼隆義は、すぐに神戸に居を移し三田藩の家老であった小寺泰次朗と白洲退蔵の三人で、「志摩三商会」を設立し、外国の医薬品、食料品、雑貨などの商いを始め、富を得た。大地主でもあった隆義は、キリスト教徒となり、神戸女学院大学を設立している。
なぜに元三田藩の藩主が神戸に住みながら、「志摩三商会」と名付けたのかといえば、間違いなく志摩から出た「九鬼水軍」としての自らの出自を意識してのことだろう。
はて?三田藩で白洲?
そう、白洲退蔵とはあの白洲次郎の祖父である。
そういえば、先週妻と二人で東京・鶴川の、旧白洲邸「武相荘」に行ってきた。武蔵と相模の境だから「武相荘(ぶあいそう=無愛想)」なんだと。
写真たち。
何に驚くって、武相荘の裏の、白洲次郎氏の子孫の方がお住まいの家。森のなかのムーミンさんたちですな、あれは。紳士は田舎に暮らします。俺もこのガッデム東京を早く去りたいものだ。
神戸女学院を設立した人の250年前の祖先は伊勢志摩で海賊をやっていた人だったというのは、なんとも心温まるお話ではあります。水軍を失った九鬼家が250年の時空を経て貿易商社という「海」なしにはあり得ぬ事業によって復活するというのは、小さいけれども一つの歴史物語ではあるでしょう。つまり河童は河童であるということです。
育子作のべべ用ベスト。海軍さん仕様也!
あんまり天気がよいのでテラスの外に椅子を置いて読書兼日光浴。
これをみて「優雅やな~いいな~」という妻はやっぱり変わっているよなーと思う。
ギボン自伝、楽しみである。