読売新聞によると、尖閣諸島近海での警備を終えた海上保安庁の大型巡視船「やしま」(神州八島の「やしま」かな)が横浜港に帰港した。
警備とはいえ、ほとんど実戦、ほぼ毎日全神経を中国の船に集中しながらの航海だったことだろう。
クリスマスも正月もなく、家族からはるか数千キロも離れた風雲急を告げる海原での活躍に心から敬意を表したいと思う。
昨晩、安部新政権で防衛政務官に就いた「髭の隊長」こと佐藤正久氏(イラク第一次復興支援隊隊長)の著書「イラク『戦闘記』」を読んでいた。
驚いたのは、2004年に佐藤氏などの先遣隊が日本を出て香港経由でクェートに飛んだときの話だ。
まず、防衛庁長官から市が谷(防衛省)で隊旗を受け取る。その後、成田空港まで一行は向かうのだが、この車内で軍服(陸軍なので迷彩服)をスーツに着替えたというのだ。
なぜかという、成田空港株式会社が「迷彩服で空港を歩くことはまかりならん」と言ったから...絶句。
サバイバルゲームマニアのおっさんが全身迷彩服で空港を歩いていたら職務質問の一発もやってくれないといかんだろうが、こともあろうに日本国の陸軍の将兵が国の玄関たる空港を戦闘服では歩けないとは一体全体どういうことか。
おまけに日本の航空会社は、保安上の懸念がある(?)という理由で、彼らの搭乗を拒否したという。そのためノースウェスト航空で香港まで行き、そこからクェート航空で飛ぶことになったという。
アメリカは、完全に真逆だ。
巨大な基地がある空港に出張で飛んでいきArrivalに進むと、着いてまず目に飛び込んでくるのは、イラクやアフガンその他の地域から戦闘任務その他を無事終えて家族の待つ街・国へ帰ってきた兵士を迎える、「おかえりなさい!ありがとう!」という巨大な看板だ。兵士たちは、迷彩服のままで飛行機から降り、巨大なザックを抱えたまま数ヶ月ぶりに会うであろう子供たちを抱きしめる。
なんなんだろうこの違いは。
ところが、世界は捨てたもんではない。
佐藤氏らの一団が搭乗したノースウェスト航空機が離陸し安定飛行に入ると、CAさんたち(アメリカ人だったらしい)が、キャンディなどが入った小さな袋をくれたという。佐藤氏ら一行に。その中には、"Thank you from US Crew"と書かれていたという。
あのイラク戦争については俺も言いたいことがないではない。
だが、アメリカ人にとっては、同胞が何千人も死んでいるイラクの地に、同盟国の日本の軍人が飛んで行ってくれる、しかもその彼らを自らの機で運ぶことができる。そういう思いがこもったThank youだったのだろうと思う。
クリスマスが近づくと、ラジオでは「今年のクリスマスを家族と離れて自由のために(まぁともかく!戦う我々の兵士たちに感謝します」という言葉が当たり前に聴かれる。
アメリカには、(おそらく世界のどこの国でも当たり前にある)軍人・兵士に対しては敬意を払うべきという不文律が厳然としてある。単なるひとつの職業とは見なされていない。
かつて吉田茂は、昭和32年の防衛大学の卒業式の式辞において、こう言った。
「君たちは自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とは誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。言葉を換えれば、君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。一生御苦労なことだが、国家のために忍び耐えがんばってもらいたい。自衛隊の将来の君たちの双肩にかかっている。しっかり頼むよ。」
別に今更吉田のこの発言を批判することにさして意味はないし、むしろ経済成長に注力して国力を回復させるためにアメリカの核の傘の下で「軽武装・経済重視」路線を踏み出していた当時の日本の首相としては、むしろ慧眼というべき珍妙なレトリックである。
しかし、因果関係の順序として、「自衛隊が日陰者→であれば、日本は平和」なのではなくて、「日本が平和→であれば、自衛隊が日陰者」なのだと思う。
日本が平和だった徳川の260年間、日本に海軍も陸軍も存在しなかった。日陰者どころか、西欧的な意味での軍人という集団が存在しなかった。
欧米列強との競争に入った途端に国の守護神としての軍人の地位は(おそらく大東亜戦争前の頃には、幾分高すぎるほどに)著しく高くなった。
日本が今直面している時代は、「自衛隊を日陰者にしておけば」平和が守られる時ではないだろう。
また、「自衛隊をちやほやし」たからと言って、隣国の脅威がさらに高まるというわけでもない。
脅威は脅威として、日本国民の自衛隊についての認識とは全く無関係に、すでに存在しているというべきだろう。
自衛隊や海上保安庁に対して全国民が最敬礼するべきだというのではない。
そうではなくて、「この人たちは、銃弾が飛び交う戦場にでもいざとなればその身を投げ出すのだな」ということだけ、頭のどこかにぼんやりと覚えていてほしいと思う。
それは、仕事で100億円の損を出そうが、けっして命を奪われることはない俺のような民間の人間からすると、死についての究極的な覚悟の問題において、違う。
「やつらは税金泥棒だ!」という人は、いま尖閣近海から全ての海保の巡視船を引き上げさせ、那覇からのF15のスクランブルをやめさせればいい。
一週間もすれば、そこに中国人民解放軍の駆逐艦が遊弋しているだろう。
そしてそのうち「沖縄もちょうだい」「五島列島もちょうだい」「沖ノ鳥島も南鳥島もぜんぶちょうだい」と言って全てを奪いに来るだろう。
最後に自衛隊の幹部を除く一般隊員の入隊の際に行う宣誓の言葉を張り付けておく。
「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、
一致団結、厳正な規律を保持し、常に特操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、
技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感を持って、専心職務の遂行にあたり、
事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。」
この言葉、特に最後の一行が単なる言葉遊びでもなんでもないことは、東日本大震災のときの陸上自衛隊の必死の救援活動やCH-47部隊の決死の放水活動を見れば明らかだ。
「危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」
商社では、酒を飲めと言われる。稼げとも、よく言われる。当たり前のことだ。
だが死ねとは言われない。
貴様は今日も、戦士であるか?食べて寝るためだけに生きた豚ではなかったか?
(豚に失礼なことを言うな!!!)