2014年2月22日土曜日

敗北、あるいは誇り

最近、大西郷の墓に参り、敬礼した。のみならず、大西郷が西南戦争最後期に潜伏していた鹿児島は城山の西側の洞窟や、城山の反対側の斜面の終焉の地にも足を運んだ。煙を吹く桜島を見上げ、まさにこの風景を137年前の9月24日に見てから腹を切ったであろう大西郷を思い遣った。
蛤御門の変以来、征韓論争には負けたが戦には一度も負けなかった大西郷の、最初にして最後の敗北であった。

知覧に行った。鹿屋にも行った。
知覧からは陸軍航空隊が、「隼」など戦闘機や練習機を駆って出撃した。鹿屋から、海軍航空隊が零戦を主力として死出の旅路に出た。
はっきりと敗戦の見込みしかないなかでの、悲壮な覚悟での敗北へ向かっての肉弾突撃だった。

そんな時代をはるか後にして、いまロシアのリゾート地ソチで冬季五輪が開催されている。
浅田真央選手は、女子フィギュアスケートで6位だった。世界の頂点を極めたことがある彼女にとっては、この結果はどう評価しても敗北である。ショートプログラムが終わって16位であったために、最後のフリーに挑む前にすでに彼女の「敗北」は決まっていたといってよい。金メダルしかないというようなメディアの報道も過激で、フリーに臨む前のわずかこ23歳の彼女の動揺は察するに余りある。

しかし、彼女のフリーの演技は、けっして敗北者のそれではなかった。
長く人生のほとんどを懸けてきた目標を達することができないと分かった時、それでも人は何かを容易に諦めはしないのだと改めて思い知らされた。少なくとも、歴史に名を残したりある分野で天下を取ったりするような人間はいつもそうである。

しかしなぜだろうか。なぜ、自分の最も大切な目標が失われても、闘争心を持ち続けられるのだろうか。もはや、闘うことに意味はないと言われる状況であるのになぜ戦い続けるのか。

それは、ただただ、誇りのためだ。その誇りとは、自分自身がいつも一人で向き合ってきた自分という人間とその時間に対する責任である。
我々は、自分に嘘をつき自分を誤魔化して敗北を笑えるほどには強くない。

2006年のドイツでのワールドカップを最後に引退した中田英寿は、グループリーグ敗退が決まっていたグループリーグ第三戦のブラジル戦の前日、自身のHPに書いた文章の最後に、「まもるべきものは、ただただ"誇り"」と書いた。ブラジル戦の後にグラウンドから起き上がれなかった彼をテレビで見た後、この文章を読み、この風変わりなサッカー選手は、日本人の魂と誇りを示すためだけに一人最後まで遮二無二ピッチを走り続けたのだと知り、彼は真の「特攻隊員」だと思わされ、涙があふれた。

負け戦には意味なぞないという人間は、まことに日本人の美を知らぬ者であると俺は言いたい。
幕末、会津は負けた。河井継乃助の長岡も見事に負けた。維新成ってから、大西郷も負けた。大日本帝国も特攻隊員の全ての英霊も負けたし、いま、浅田真央という天才スケーターも負けた。だが、彼らの精神は断じてなにものにも屈しなかった。
俺は、このことに言いようのない感動を覚える。そして彼らの不撓不屈の魂を支えるものは、彼らが営々と積み重ねてきた空恐ろしいほどの苦悩、孤独、献身であると理解し、そのことに対して深い尊敬の念を抱く。

このしょうもない小論の一つの結論がある。それは、誇りを持って生きたいのであれば、誇ることのできる毎日を、どれだけ苦しくとも毎日毎日地道に積み重ねていく他には絶対ないということだ。これ以外の似非の「誇り」は、埃塗れの傲慢へ堕落するほかないだろう。

2014年2月17日月曜日

極端な気候

車を買うなら絶対車高の高いSUVだな...と決意した先週末に続く大雪。大雪にも大雨にもジープのような車なら安心である。先週金曜日の夜は、寓居の側を車高を下げた白いアルファードが、フロントバンパー下のスカートで除雪車みたいに雪を押し出しながら走っていて、なるほど〜便利やねーと感心していたら、確かに後続車は少し走りやすそうだった。

さて。

高知県で42度の史上最高気温を記録した猛暑の夏の後の冬、都内に25cmの積雪。シカゴがマイナス30度で街中が凍り付いている時、テニスのオーストラリアオープンが開催されたメルボルンは気温が40度を優に超え、試合は中断され、ボールボーイは気絶し、ある選手はコート上で目玉焼きを作ってみせた。

原発事故以来、日本では気候変動や温暖化という言葉は放射能とか活断層とか使用済燃料とかの言葉によって駆逐されてしまった感がある。
しかし、本当に命を危険にさらし、あるいは実際に殺しているのは、どの電源なのだろうか。人によれば、中国では大気汚染のせいで年間数十万人が亡くなっているともいう。

世界がこれからどう変わろうとも、恐らく絶対に間違いのない二つの方向性がある。人口爆発と都市化だ。インド、トルコ、アフリカや東南アジアなどの新興国の人口は増え続け、同時に増えた人口も元から存在した人口も都市を目指す。
この二つとExtreme Climate(極端な天気)が合わさった時、我々は毎年世界のどこかで昨年フィリピンを襲ったような無慈悲なほど狂暴な自然の猛威を目にすることになるだろう。さらに、現在のハイチが典型だが、新興国はおうおうにして政府の資金や人材・資機材のリソースが十分ではなく、一度治安が不安定化すればその回復に先進国の場合よりもはるかに時間を要する。誰もが納得するところだが、東日本大震災が日本以外の国で起こっていたならば、はるかに沢山の人が亡くなっていただろう。

こう考えると、日本から資金を持ち出して成長する世界に投資をしていくことは資産ポートフォリオ組成上大切なことではあるけれども、これまではあり得なかった規模の自然災害というものもテールリスクとして意識せざるを得ないように思う。

二つの違う話をしたようだが、そうでもない。日本は、世界に対して気候変動について無関心であるという姿勢を見せてはならんのだ。その対策の一つとして、慎重に原子力を運用していこうという我々のエネルギー政策を誰も口悪しく罵ることもないだろうし、原子力先進国としての日本が存在することは、世界にとっても重要な意義あることだと信ずる。


【バンコク=永田和男】http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20140217-OYT1T01193.htm?from=main5
ケリー米国務長官は16日、インドネシアのジャカルタで気候変動問題に関して講演し、「気候変動は今や世界で最も恐ろしい大量破壊兵器と言える」と警告した。


その上で、二酸化炭素排出量削減のため、再生可能エネルギー導入を世界的に進める必要性を強調した。米国務省が講演内容を公表した。
 ケリー長官は、昨年、フィリピンを襲った超大型台風や2011年のタイの大洪水を例に挙げて、「この地域が気候変動の最前線にあるのだ」と語ってアジア各国にこの問題への一層の取り組みを求めた。
 15日には、米国と中国が気候変動に関する共同声明を発表しており、直後にインドネシアで行った講演には、経済成長にともない二酸化炭素排出量の増えるアジア各国にも連携を訴える狙いがあったとみられる。
(2014年2月17日20時35分  読売新聞)