ニューヨークに向かうANAの機内にて我在り。いや我在った。
旅路の機内は1人になってボケっとできる、まことに有難い時間である。新聞三紙、雑誌二冊、読みかけの本数冊などをじっくりメモを取りながら読んでもまだ時間があるから、灯りの落ちた機内で、Boeing777の両の翼が大気を切り裂く音だけを聴きながら、瞑想する。自分のおつむがどうしようもないほど煩悩だらけであることを再確認。愕然としますナ。
さはさりながら、長時間のフライトは、姫路駅から西阿知駅までをひたすら着実に一駅ずつ脚を伸ばして行く、あの山陽本線の普通電車ほどには、読書や思索には向いていないとも思う。
宝塚に住んでいた学部生の時分、親父がタイに駐在していたこともあってよく倉敷に帰った。彼女はおろか友人らしきものがあちらに絶無だったという事情もあったが。同じく神戸の大学に通った長姉はいつも帰省するときは新神戸から新幹線を使っていたらしいが、私はいわゆる"鈍行"というのが好きだった。時間だけはなにしろ膨大にあった。
姫路を出て20分も行けば、岡山と兵庫の県境の農村地帯に入る。進行方向に向かって左側のボックスシートを占領して車窓に肩肘ついて、南側に低い山と田んぼと畑とのなかにまばらに家々が立ち並ぶ風景に目をやる。季節がよければ田植をしたばかりの苗代の匂いもした。
「あんなところに古い神社があるわい。長いことこの村の鎮守の神様なんだろうなー」とか、「やっぱり田舎にはX5は走っとらんのー。軽四ばっかりやなー」とか、「今年も立派な大根ができるとええなぁあの爺ちゃん」とか、「我が家に鯉のぼりが泳ぐことはもうないんかねー」とか、「あそこは石灰岩の鉱山かなー?」とか、「ここの人たち普段の買いものどこでするんやろ?」とか、どうでもいいことがひたすら頭にポコポコポコポコ出てくる。
その連続とそこから湧いて来るしょうもない着想がやたらと気持ちよくて楽しいものだから、いきおい携帯電話の電源を切ってしまった。中断されるにはあまりに勿体ない時間だから。人と繋がっていては持ち得ない時間というものがあるのダヨ。
ところで、2027年の開業を目指すリニアモーターカーは、品川から名古屋までほとんどの部分がトンネルであるらしい。中央道の方を走るんだからそりゃそうだな。地上に出る部分もフードで覆われる。となると、東京と名古屋を40分で結んでしまうという、超電導によって地上10cmを浮いて巡航するこの乗り物は、車窓に風景を愉しむという暇人の極楽とは無縁、真逆のところにある。それに敢て反対するのではないとしても。
まぁ、新幹線と航空機からしてすでにそういう速度の世界にすでに足を踏み入れておるわけですが。
そうかと思えば、JR九州の「七つ星」のような、「移動することそのものを娯楽とする」高級クルーズ電車のサービスが、やおら注目を集めている。高額なのにもかかわらずである。スィートだと三日間で100万円だったっけ。おいそれと両親にはプレゼントはできませんナー。JR九州に触発されて他のJR各社も似たようなサービスを導入しようとしているそうな。
名古屋が東京の郊外になろうかという今の時代には、「ゆっくりと車窓から田園風景を眺めること」に、人々は数十万円を支払うようになったということでしょう。
はて、私はどこでボケっとするべきか。