〇集団的自衛権を容認することが先日閣議決定された。
朝日新聞などは、「憲法によって自衛の範囲を超える集団的自衛権の行使は認められない」ことを大前提に「暴挙だ」と言っているのだが、どうだろうか。
そもそも吉田茂がかつて「憲法によって自衛権も禁止されている」と述べている。その後それが解釈によって変更されて「個別的自衛権は保有しており行使も認められる」となっているわけで、それについては朝日新聞も反対の立場ではない。
憲法学、国際法学のどこからも、「集団的自衛権→ただちに→憲法9条違反」ということにはならぬ。
それは所詮法文をどう解釈するかの話であって、その解釈の仕方を一つの立場から「乱暴だ」という批判はあり得るものの、それは法律を破壊しているとまでは言えない。
昨日7月5日の朝刊で朝日新聞は、「日本こそがアジアで戦争をしようとしている国である、という認識がアジアの民衆レベルで広がっていることは事実である」と書いた。
ベトナムの船に放水銃を撃ち込み、体当たりを喰らわせ、日本の領海に機関砲を装備した海上警察の船を侵入させ続ける核兵器と空母の保有国ではなく、我々日本人が「戦争をしよう」としていて、それがアジアの民衆の認識であるそうな。これに賛同するまともな日本人はあまりいないはずだ。
我々は尖閣に誰かが上陸してきたり、領空に戦闘機や爆撃機を飛ばしてきたり誰かがしない限り、ひたすら平和な国であり続ける。
我々は尖閣に誰かが上陸してきたり、領空に戦闘機や爆撃機を飛ばしてきたり誰かがしない限り、ひたすら平和な国であり続ける。
朝日新聞は存在自体が冗談のようなものになってしまっている。
これも一つの商売であるというならば、俺の商売がここまでヤクザなものではないことを願う。
「戦争する国」というが、この地球に存在する国で、原理的に「戦争をしない国」など存在しない。いや、そんな国はそもそも存在する資格さえないと言えるだろう。
もっとも、俺は「命よりも平和が大切だ」というガンジー主義を日本一国として国民投票を通じて採決するのであれば、それはそれで一つの国の在り方であり、国の死に方であろうと思うものである。
〇横浜のある街で暮らしている。梅雨も終わりかけだというのに、カエルの声も虫の声も聞こえはしない。これが、我々が目指してきた豊かさなのだ。嗤えるなぁ。エアコンって、ほんとうにいいもんだねぇ。
〇生きていればあらゆる面倒や問題が身の回りで起き、それに不平不満を言いたくもなる。
だが、自分はもっともっと面倒なことを引き受けようという覚悟がある人間は、そんなことは笑って受けとめるだろう。
現状に不平不満を言うことは、自分がその程度の問題しか抱えられない人間であることを公言することに等しい。
今日の問題なぞ、マウンドに上がる前の5mのキャッチボールでさえないのだ。
「250kg爆弾抱えて突撃せぇ」と言われたら、「そりゃ隊長、ちょっと非道いなぁ」と笑って見せる、そんな器に自分はなるのだという意思が人間を大きくする。
優しさとは克己のことである。
〇歳を重ねることの楽しみは色々あるが、そのうちの一つは旨いものが少しづつ増えていくということだ。
昔、珈琲もビールも苦いだけだったがいまはなくてはならないものだ。最近は少しだけ旨い日本酒も覚えた(山形の「十四代」)。
兄貴のゴボウのスープも10代では分からなかった味だったろうし、最近大好きなラッキョウの塩漬けもその昔お婆ちゃんがよく食べているのを見て「ようそんなもん食うなぁ」と思っていた。
ラッキョウの塩漬け、今ならではの味で旨いですよ。
〇東芝がブルガリアの原発建設プロジェクトをとった。
ロシアからの天然ガスに依存してきたウクライナ西部の国に日米連合が原子力発電所を建てる。なかなか興味深い話である。