2011年4月22日金曜日

戦略論必読文献

クラウゼヴィッツ「戦争論」
いわずとしれた知らぬものはおらぬ戦略論の原典。「戦争とは政治とは異
なる手段による政治の継続である」、「戦闘とは、相手方に我が意思を強
要することを目的とした実力の行使である」云々。

マハン「海上権力史論」
セオドア・ルーズベルトの大艦隊主義を理論的に支えた海軍戦略に関する
不朽の名著。著者は秋山真之の米国留学時代の先生。

リデル・ハート「制限戦争指導論」
英国陸軍軍人として第一次、第二次大戦に参加した著者の代表的著作。敵
の抵抗が最大となる敵正面ではなく、例えば第一次大戦緒戦におけるドイ
ツの、ベルギーを突破して仏の北翼を攻撃したような、敵の物理的な殲滅
ではなく「錯乱」を創出すること、それによって敵の指揮中枢を麻痺させ
ることを目標とした。チャーチルの戦争指導に対する批判は下記のフラー
と一致する。第二次大戦においてヒトラーが戦車の集中的運用による電撃
戦によって連合国をパニックに陥れたことは歴史の皮肉か。

フラー「制限戦争指導論」
リデルハートとの違いを研究中。

ドゥーエ「制空」
南はイギリス地中海艦隊、北を急峻なアルプスにより中欧・西欧から隔て
られた後進国イタリアに現れた空軍万能論者の著作。迅速に火力を直接敵
の防衛拠点・市街地に投入することで総力戦争を支持する国民の士気を萎
えさせることができると言ったが、歴史はこの反対の事例に満ちている。
航空機の発達の時代に各国の戦略・戦術担当者にた与えた影響は甚大。

石原莞爾「最終戦争論」
日本が生んだ数少ない思想家にして夢想家、宗教家の名詞代わりの一冊。
石原にとっての海=太平洋=日本とアメリカを隔てたものの意
味を問いたい。なぜなら、されは「歩けない場所」だから。日蓮に帰依し
た歩兵たる石原は、中央アジアに発した人類はあるものは東へ進み日本に
至り、またあるものは西へ進みアメリカに至ったと考える。両者は西欧の
覇道と東洋の王道でおって最終戦争を戦い、そののちに世界の精神は統一
され世界平和が訪れるとした。石原が陸軍ではなく海軍を選んでいたら、
彼は世界をどう理解しただろうか。満州事変の主謀者なるも、その目に
写ったものは狭い日本なぞはるかに超えていた。
ドイツのハイパーインフレ時代にベルリンに駐在したため、ナポレオンや
フリードリッヒ大王に関する著作を安く大量に収集できたそうな。

野中他編著「戦略の本質」
石津朋之「戦争論概論」(講談社現代新書)

2011年4月18日月曜日

暗闇を歓迎する

東京が暗くなった。俺は大歓迎だ。もっと暗くてもいいぐらいだ。
暗闇があるといつでもそこに身を隠すことができるし(まぁ、同様に悪者が潜んでいる可能性もあるが、そこは危険を察知する動物の本能を研ぎ澄ませよう)、何より夜に昼のように明るくないからよく寝られるようになった気さえしている。
実際のところ、外苑前の会社を出て渋谷まで歩く時の246号線の暗さは明らかで、こころなしか東京の月の輪郭が以前より判然とするようになった。
寝る直前まで蛍光灯の光がギラギラと照っていては、なかなか寝ようとはしないし、そうして起きている間に人々はくだらんお笑い番組を見ているのだ。特別面白いとも思わずに、ただなんとなく。それが人生の無駄であることを忘れながら。それで浪費される電気だって、合計すれば結構な数字になってGDPを押し上げるのだから、我々はいい加減にGDP信仰を疑うべきだ。
思えば、俺は昔から薄暗い場所が好きだった。一人暮らしをするようになってすぐに間接照明の小さなライトを買って、大学と大学院の六年間、夜家で一人で過ごす時にはいつも小さなこのライトだけで読書も食事もした(これを書いている今もそうだ)。普通に考えれば、蛍光灯の真っ白な人工的な明かりの下で、一体どれだけの偉大な思想の書が書かれるというのだろう。そりゃ無理というものだ。人間には何を行うにも適した環境というものは確かにあって、ヘーゲルだってマックス・ヴェーバーだって、パチンコ屋の騒音と明るさのなかではどんな思索もできなかったに違いない。
だから、節電などと言わずに、今までより少し暗い生活を楽しもう。もしかしたら蝋燭の薄明かりの下ではあなたの妻がオードリー・ヘップバーンに見えてくるかもしれない。
薄暗いところにいると早く眠たくなるから、日付が変わる前にさっさと眠ってしまう。自然、朝は早く目が覚める。朝は瞑想に最適の時間だ。
大人の男は、少し暗いバーのほうが似合うのだ。煌々と電気の光が灯るファミリーレストランかマクドナルドしか似合わないガキのような男になってはいけない。

独り言:

○「だるい」「面倒くさい」「疲れた」
これらの言葉をたぶん過去10年以上言っていない。
街で「あぁ~超疲れたんだけど」と言い合う男子高校生。
電車で空席を見つけると即座に座ってゲームを始める大学生。
喫茶店で「あー疲れたぁ」と言いあうサラリーマン。
いつから男が「疲れた」だの「だるい」だのと言うことが許される時代になったんだろうか。
昔の男は(少なくとも俺のオヤジは)こんなことを絶対に口にしなかった。
自分がやがて数十万の軍を率いると一度でも考えたことがある男は絶対にこんなことを言わぬ。
そんなことを言った瞬間に、兵は一人たりとも自分の命令に従って動くことはないだろう。
男が思ったことを全部口から出してしまうことが許される社会というのは、なんと幼稚な社会だろうか。

○長渕剛が、東北の被災地を訪ねて、「本物の歌手の歌を聞いてください」と言って、「とんぼ」などを熱唱した。
炊き出しに行く芸能人は多いが(それ自体は素晴らしいことだ)、彼のようにギター一本抱えて「俺には歌しかねぇ」と言って自分の喉で打ちひしがれた人たちに何かを伝えたいと思って行動する男は少ない。こんな状況で、津波で崩壊した街で歌うことが「似合う」歌手など長渕剛以外にあり得ない。そこらへんでしょうもないラブソングを歌って小遣い稼ぎをしている商売歌手達は、この国難に直面して語る言葉も全然持たない。
長渕剛は、いつも苦しんでいる誰かの為に(たぶんまず自分のために)歌っている。その歌は、曲であるよりもまず彼の思いがこめられた詩である。だからこそ、こんな悲惨な状況のなかでも彼はー彼だけはー歌うことができるし、人々に彼の歌と思いはまっすぐに届く。
今日本が求めているのは、AKB48の踊りではない。長渕剛の魂の砲声である。長渕剛の「俺には歌しかねぇ」という壮絶な覚悟は、男として最高の尊敬に値する。
危機において最も輝く男になりたい。平和な時代は桑を持ち、有事にあっては采配を振るう。そのためには平和な時代から常に有事のための鍛錬と勉強を欠かしてはならぬ。
「男の身体と精神は、常に危機に向かって振りしぼられた弓のように緊張していなければならない」(三島由紀夫)。

○最近サボり過ぎだ。ちびちびまた書いていこうと思う。色々と賑やかでね身の周りが。正直言って勉強が少々不足もしている。岸本「バーク政治思想の展開」を手に入れたので、じっくり読む。
ついでにGW末までに、トインビー「歴史の研究」、カーネギー「人を動かす」、マキャベリ「君主論」、ヘーゲル「歴史哲学講義」を再読するつもりだ。今年の後半は、再読・精読に力を入れて自分の畑を深く耕して行きたいと思っている。
多読も俺のような若輩には大切であるが、知識を腹で溶かして自らのものとするような、そういう勉強の仕方も必要だと感じる。骨太の人間になるには、避けては通れない。


2011年4月5日火曜日

内村鑑三

ふいに、本棚に数冊並べている岩波文庫に目をやっていたら、内村鑑三「後世への最大遺物、デンマルク国の物語」が「読んでくれ、いま読んでくれ」と言っているように見えた。背表紙がね。
いまちらちらと赤線をひいたところを中心に読み返している。
メモによると、2009年の春に一度読了しているようだ。
こんなことがあるから、俺は本をまったく捨てることができない。

素晴らしい言葉がちりばめられている。
名言というものは、それだけ引っ張って来てもさして心を揺さぶるところ少なきもの多かれども、これを読んでくれた人の一人でもこの名著を手にとってくれるならば、俺のこの時間は無駄ではない。

「金を儲けることは、おのれのために儲けるのではない。神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則に従って、富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起こらんことを私は願う。」

「もし私に金をためることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。なんであるかというと、私の思想です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。
…思想のこの世の中に実行されたものが事業です。」

「文学は我々がこの世界に戦争するときの道具である。」
(佐々木中氏みたい)

「われわれが、五十年の生命を托したこの美しい地球、この美しい国、この我々をそだててくれた山や河、われわれはこれになにも遺さずに死んでしまいたくない。何かの記念物を遺して逝きたい。それならば我々は何をこの世に遺して逝こうか。その最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。これは本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にでも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」

「戦勝国の戦後の経営は、どんなつまらない実業家にもできます。難いのは、敗戦国の戦後の経営であります。国運衰退のときにおける事業の発展であります。戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民族であります。宗教といい、信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないのであります。しかしながら国に幽暗の臨みしときに精神の光が必要になるのであります。」

プロテスタンティズムから近代資本主義が起こり、それが西欧列強を強大なる国へと成長させたのだが、内村という偉大な信仰者・教育者のこういう言葉に触れると、さもありなんとの思いが湧く。

独り言:

朝がとても気持ちいのいい季節で、ここ数日は毎朝渋谷で電車を降りて、原宿の交差点(ラフォーレがあるところ)まで歩きそこで右折して表参道の通りを南下して表参道駅に至りそこから外苑前まで歩く。
あと1カ月ぐらいかな。2か月もすれば暑くてこんなことはできないでしょう。
歩くのは本当に楽しい。
走ってしまうと、なかなか思索はできない。歌うこともできない。
だが、この時間帯の表参道付近は、人通りも少ないし、何より歩道が広い。少々歌おうが演説の練習をしようが問題なしだ。数キロ速足で歩けば身体はほどよく温まって、オフィスに着くころには完全にBattle Readyだ。しかも何故かやる気満々なのだ。歩くと。朝からたっぷり陽光を浴びることも身体にはいいだろうしね。しっかり御洒落をして、一人でいろいろと考えながら四本足で歩く。
みんな、満員電車から降りましょう。でもトレーニングウェアを着て「ウォーキング」をするのは絶対やめましょう。「歩くために歩いている人だ」と思われるのって、とてつもない恥ずかしい。「痩せるために歩いている」と思われるのは、もっと恥ずかしい。俺はあくまでも移動のために歩く。そのついでに、考えて、歌って、笑う。

○2万人近く(以上かもしれない)の人が突然の地震と巨大な津波でなくなった。
居た堪れないのは、これらの人々の恐らくほとんどの方が、大切な人への気持ちを伝える間もなく濁流に呑まれてしまったのだろうと考えることだ。それは、途方もなく辛いことだ。亡くなる瞬間、その寸前に、大切な妻や夫や息子や娘のことを思い、何かを伝えたいーそういう思いにかられた人は沢山いたはずだ。
それさえも叶わなかった。特攻隊の英霊は、丁寧に遺書を書くことができた。
夫は妻に毎朝「愛している」というべきか、そんなことは夫婦で勝手に決めりゃよろしい。
だけど、思う。
死は絶対に俺らの側にやって来るもので、確率は低くても明日突然俺の部屋のドアをノックしにやってくるかもしれない。
そうであれば、後悔はしたくない。思いを持って生きている人は、その思いを大切な人に伝えておくべきだ。いつも伝えるべきなのだ。そうでなければ、戦士の覚悟は生まれないのではないか?
俺は、このブログがあるから、俺自身の混じりっ気のない言葉がすでに沢山遺っている。ゴミの山かもしれんがね。実際のところ、何時からか俺はそういうことをこのブログに期待するようになったのだと思う。
背中で語るのもいい。でも、言葉はもっともっと強力だと思う。核兵器よりもはるかに。

寝ます。
最近温かくなったから二度寝をしない。
二度寝したいときには、大マルクスのように、「君は、なんために生まれたのか。寒い朝にも暖かい布団のなかでぬくぬくと眠るために生まれたのか。そうではないのか。で、あるならば、起きるがよい」(自省録)とつぶやく。効果絶大だから、是非やってみてくだせ。


2011年4月3日日曜日

勇気の在り処 

去年、このブログに姪がダブルベッドに「へにょ」と寝る姿を撮った写真を載せた。
その記事のタイトルは、「Without love, no valor. Without valor, no love」(愛なきところに勇はなく、勇なきところに愛はなし)だ。

これまで、「勇」とは武張った猛々しい侍の精神が全面に押し出されたものであると思っていた。つまり戦闘者の戦時における精神の構え方だ。
だが、どうもそれが違う。俺の誤解だったようだ。相変わらず幼稚である。
藍子がすやすやと眠る写真を見て、愉快になった。何も怖くない、ゴジラが火を吹いて立ち塞がっても竹槍で突撃できるぞという勇気が沸いてきた。
しかも、それはーまったく驚くべきことだがー、誰かに対する敵意とか闘争心とかとは全然次元が異なるもので、とても穏やかな勇気だった。顔をしかめて敵を睨む敵愾心ではなくて、守るべきものを穏やかに眺めながら一旦緩急あれば俺は猛虎のように戦える、そういう確信だ。
腹の奥底にそういう確信さえあれば、平時において肩で風切って歩く必要は全くない。
井上武彦がバガボンドで武蔵の成長を描く時にイメージしたのはこういうことだろう。

最も勇敢なるものは、いつも朗らかに笑っている。慌てることも怒ることもない。
思いだけは腹の底の小さな太陽となって燃えている。だから、彼の身体はいつも温かい。
俺は、そういう男になりたいと思う。

独り言:

○せっかくのエイプリルフールだったんだから、上野公園のパンダを一日だけ黒熊か白熊にしてもよかったのになと思わずにいられない。あのルックスって、「いたずらしてください」と言っているようにしか見えないんだが、皆さん「かわいー!」って言って満足?

○先日百万遍を散歩しているときにふらりと立ち寄った古書店で買った「金大中獄中記」を読んでいる。獄中記というものを読書の類の一つとして作る必要があるように思う。今本棚に「獄中記」の場所を作ったところだ。
とは言いながら、たいしたことのない読書量のなかで読んだ獄中記もしれたもので、読んだものは佐藤優「獄中記」と吉田松陰「留魂録」ぐらいだ。
獄中記一般を俺が面白いと思う理由は恐らく次の三つだ。
ひとつに、政治権力によって投獄されてしまってもそれでも何かを伝えなければならないという著者の強い心の動き、衝動だ。投獄されて落胆し、諦めることもなく孤独な牢獄生活のなかでも読書、祈り、思索を絶やさなかった者は真に偉大だ。
ふたつには、それらが自身を否定しようとする「敵」に自由を奪われるという考えられる最も最悪の状況のなかで書かれているということだ。ヘミングウェイは、「あなたにとって最高の教育はなんだったか」と問われて、「幼少時の苦労だ」と言ったが、暢気で気楽な幸福それ自体は否定されるべきものではなく我々が愛するものであるが、やはり人の心を揺さぶるような言葉は多くの場合苦境において紡がれるものだ。
みっつに、信仰だ。ガンディー(これから読む)、金大中、佐藤優、いずれも敬虔な信仰者だ。獄中記を残してはいないが、19世紀~20世紀の200年間で日本最大の人物であった大西郷も、極右の坊主・月照を匿った罪で島流しにあっているが、彼自身も「敬天愛人」という言葉からうかがわれるように明確な信仰を持っていた。
事務作業員ではない指導者は、理想を語らねばならず、理想を実現するための胆力は信仰からしか生まれない。指導者の任務は、分析し批判することではなくて、物語ることだ。物語は、信仰からしか生まれない。
金大中氏の獄中記は、政治を志す者必読の文献であると思う。
バガボンドの言葉を思い出した。
「祈ることしかできねぇのか」(武蔵)
「祈ることができるんだ、我々は」(沢庵和尚)

○社会が自分のためにあると考えるか、自分が社会のためにあると考えるか。
他者が自分のためにあると考えるか、自分が他者のためにあると考えるか。
それによって、その人間が真に男であるか否かは決まる。
自分に与えられた天の恵みを思い遣り、誇り高く生きたいと願う時、男は勇ましく小さく笑う。

○愛と肉欲は矛盾対立するものであるか。10年前の大学時代からずっと考えている大問題だ。
30歳を前に、どうやらそれに一つの明らかな回答を準備できたように思う。
真に宇宙的な恋愛において、あらゆる矛盾は止揚される。
否、矛盾が存在する余地がないというべきか。
長渕剛風に言えば、「なんの矛盾もない」(そのままですが)

○今週末の散財日記
-John SmedleyのSweater
 真っ白を買ってしまった。大切にしよう。イギリスのセーターを初めて買った。
-古川薫「高杉晋作ーその魅力と生き方」新人物往来社  
 不藤が「こんど晋作について話そう」と言うから、こりゃ不勉強じゃわいと思いとりあえずの一冊。
 この部分を読んで俺は似ていると思った。傲慢だがね。
 「塾(松下村塾)に映ってからの晋作は、それ以前の彼の生活態度を知る者にとっては見違えるばかりの学問に対する打ち込みようだった。剣術に凝る暴れ者として思われていなかった晋作が、これほどの読書家であったことは、人々を驚かすに十分だったし、かつて大きく差をつけられていた久坂玄端にも追いつくまでになった」
- ジョン・レイティ「脳を鍛えるには運動しかない!」
 動物であることを忘れた人間は、だめだ。狼に対する劣等感を忘れた男は、何物に対しても戦えない。
-佐々木中「足ふみ留めて」河出書房出版社
 必読著者の最新著作である。本当にこの人は面白い。 
 「『大きな物語は終わった』というのは、『われわれは物語に抵抗しなくてもいい』と他人と自分を洗脳して、闘争から自分だけはまんまと逃げだしたいと思っている連中の言い訳にすぎません
 ほんとに気持ちいいこと言うね、この人は。
-Earnest Hemingway, "The old man and the sea"

○ロシアからの天然ガスがこれから10年間の日本の生命線となるだろう。『緊急事態!」をいいことに石炭焚きまくりの時代には戻りたくない。サハリンでのプロジェクトに関与している三菱三井丸紅伊藤忠には死に物狂いで権益維持と安定生産を実現してもらい、できれば権益の持ち分を増やしてもらいたい。併せて、モスクワとの関係改善はまことに緊急の要請である。モスクワにとっての地政学的な脅威とはなにか?それをじっくりと考えて、モスクワと握手することができる点を探す必要がある。特に、手つかずのシベリアの油田・ガス田の開発への参画は、日本のエネルギー・ビジネスに関わる全てのものにとって最重要の案件となるべきだ。リビア、シリアの火がイスラエルvsイランに飛び火する時、日本は真っ暗になる。大局的・長期的見地にたったロシア外交が今ほど求められる時は戦後なかっただろう。

○皆同じ時間に出勤して、同じ時間に帰宅する。通勤の時間はIphoneでマージャンかテトリスをしている。阿呆か。製鉄所で鉄を作るのでもない限り、現在の知識労働者(と俺が言うのも恥ずかしいが)の仕事は、場所的拘束性から自由であるはずだ。仕事は脳を使ってやるものであって、情報と意思の疎通のためにはありとあらゆるインフラが整い始めているではないか。ウランを売り買いするのに箱根の山荘の書斎にいてはいけない理由などない。
9時に出社して21時まで仕事をして、それから酒を飲みに行って、一人でタクシーに乗って帰宅するなどという馬鹿げたエネルギーどか食いの生活はもはや許されない。それは、そもそも自然に適っていない。こんな生活をしていたら子供が少なくなるのも当然だ。
朝は太陽とともに目を覚まし、トレーニングと瞑想と読書を6時半までに済ませ、7時半に出社して午後5時には会社を出る。そして家で家族と沢山話をして議論をして、午後10時には寝る。たまには蝋燭だけの食卓というのも悪くない。テレビは我々を阿呆にしようとしている(ジョブズ)から見る必要はない。
IphoneとIpad全盛の時代に、一つの場所に皆が集まって仕事をしているなんてなんと馬鹿げていたことかと大笑いする時代が間もなく来るだろう。群れることは常に悪である。
この大震災をきっかけに、在宅勤務が一気に広がるだろうが、資源を無駄に使うことなく情報化社会の便益を最大限に享受してゆったりとした生活を送るためにも、働き方にも革命が必要だ。
それによって、地方にも富が広がるようになる。世界の富を東京だけが享受するという富の一極集中が変わる。人口が分散することによって災害への備えもしやすくなるし、都市機能にもマックスの負荷をかけずともよくなる。
駅に乗客を電車に押し込むため(だけ)の要員が配置されているという事実に、感覚を麻痺させてはいけない。これは異常な事態の静かな継続なのだ。