何十万年経っても俺の子孫が、偉業を成し遂げたときに、
「俺は生きる伝説だ。これからは俺のTwitterをフォローするように報道してくれよな」
というような、走ることしか能がない畜生レベルの人間にならぬことを祈る。
本当にあのウサイン・ボルトという競技者は、ジャマイカの恥だ。
彼のせいで、ジャマイカという国の民のレベルが推し量られてしまう。
「脚が速いっていうだけでこんなに注目されて困ったもんだ」と思うところはないのかね。
紳士らしいウィットのきいたジョークもなにもあったもんじゃない。
ああいう選手がいると五輪もスポーツも全て白ける。生きる伝説が自分で「私は生きる伝説です」っていうわけがなかろう。
チーターが全速で走ると100mを3秒と少しで駆け抜けるそうな。
マッコウクジラは3,000mもの深海に潜るし、マグロは100km/hで海中を巡航することができる。
チンパンジーの腕力には往時の魁皇の右上手でさえ絶対勝てないし、獲物を何十キロも何時間も追いかけ続ける狼の持久力にはどんなマラソンランナーも及ばない。
人間が他の動物より優れているのは、人間から見て「優れていると好ましい」と思うところにおいてのみなのだ。「今一億円を投資すれば5年後に1.5億円になって返ってくる」とか「この人と仲良くしておけば将来いいことがある」とか、そういう猿の世界のお話。
肥満の人類が街をゼイゼイ言いながら走っているのを見ると、「狼は走る時に頭がブレない」というマーク・ローランズの言葉を思い出して、そのランナーを小馬鹿にしてしまうのは俺の最近の悪癖である。
人間は基本的に内心においては恥ずかしい存在で、恥ずかしい存在であることを忘れてしまうと本人は幸福なんだが、見ているこっちがどうしようもないほどに彼が痛々しく見えてしまう。
2大会連続の2種目金メダル、オデメト~