第九十六条:
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
衆参いずれかの33%が反対すれば、どれだけ改憲の必要があろうができないというのは馬鹿げている。
分かりやすく言えば、衆参722人(480人+242人)の国会議員のうちで参議院の80人(国会議員全体の11%)が反対すれば、国民は国民投票の機会され与えられない。日本国民1億2800万の最高法規が、たった80人の反対が故に身動きがとれない。
96条改正反対派は、「9条改正のためまず96条を改正するのはだめだ」などと言うが、9条改憲の是非は議員ではなく国民投票で直接民意を問えば良い。最高法規の改正について民意を信頼しないというならば、我々はなぜにかくも有難くデモクラシーを「民主主義」と誤訳してまで有難く祀って来たのが意味が分からぬ。
「全電源喪失はありえない」という前提で原発の危機管理マニュアルを作っていた国で、全電源喪失が原因のチェルノブイリに次ぐ原発事故が起きたにもかかわらず、いまだに「戦争に備えたら戦争になる」という戯言に耳を貸している暇は全くないでしょう。
「自分の国は自分で守る」という、「人を殺してはいけません」というのと同じくらい当たり前のことを、日本で言えば「右翼」と言われる。
馬鹿じゃないかと思う。いや馬と鹿のほうがよっぽど馬鹿じゃないだろう。