2016年1月31日日曜日

勝つための歴史

戦争の悲惨さをひたすら叫んできた平和教育は、死んだ兵士の名を東条英機と山本五十六以外に誰も知らぬというガキの大群を生み出した。この二人さえ知らぬとニホンジンという珍種の動物もその辺に棲息していよう。兵士の遺書を読み、日記を読み、彼らの日常に触れることによって、彼らにとって戦争がいかなるものであったかを追体験し、のみならず自身をその立場に置いて考えるという機会を持たずして「命の尊さ」なんぞあったものではあるまいに。
日本人は、本当にあの戦争を顧みて反省してきたのか。ただ無視しただけということではないのか。そして、無視した事さえ今や忘れつつあるのではないか。
平成を生きる日本人は、人種としてはいまだに戦中戦前と繋がっているが、歴史的社会的存在としては全く別の生き物になった。
それが良いことか悪いことかは知らぬが、ただ歴史を知らぬということが将来において我々に馬鹿げた判断をせしめないことを祈るばかりだ。
いま世界と自国の歴史を誰よりも勉強しているのは、間違いなく中国だ。それは趣味としてではなく、生き残るため、勝ち残るためなのだ。