2016年1月2日土曜日

「子供」はいつ「大人」になるのだろう

と、いう問いを自分に問うてみても、正確なことはわかりはしない。

だが、人類の約40万年の生存史のなかで、年少の子供たちが純粋に「子供」として、つまり生産人口として見なされなくなったのはつい最近のことであるに違いない。

 

別にそれが悪いとは言わない。なんせ僕にしてからが、この20世紀末の物質文明の恩恵に被ってきた。生産活動から完全に隔離されて、父と母がそれを担当して飯を食わせ学費とグローブを買う金を与えてくれたからこそ、朝から晩まで16歳の大金持ちでもない家の息子が野球という「遊戯」に時間を費やせたのだ。これは瞠目すべき近代資本主義に起因する史上例を見ない生産性の発展、20世紀後半の膨大なる富の蓄積、そして国民国家による普遍的な教育制度の確立なしにはあり得なかったと思う。人生の初期に十分な基礎学力や問題を発見する力、他者と議論して論理的に意見を述べる力などを習得することは、社会で何事かをなそうとする人にとっては数千年の昔から洋の東西を問わず必要欠くべからざるものだ。人類と地球を裨益するところ大なる基礎科学の驚異的な発展も、人類がみな10歳で鍬や鋤をかついで昼に夜に働かねばならぬ社会では、到底あり得なかった。もちろんこういうからといって僕を近代をただ礼賛するものだとは勘違いして欲しくはないのだが。

 

が、この年末にふと疑問に思うことがあった。義兄の家で小学用の餅をつきながら、たくさんのチビたちが足下に遊ぶのをみて、「この子らはいつ"大人"になるんだろう?」と漠然と考えた。

 

たとえば、かつて武家の男子であれば、元服という単純明快な基準があり、ここを過ぎれば戦にも行くし、いっぱしの男として扱われた。そうであったならば、少年たちは自然と父や兄から彼らの元服の時の話や初陣の話を聞いて、10歳の頃から切歯扼腕来るべき闘争の時代に向けて心身を引き締めていたであろう(江戸時代には初陣などないが、それでも武士の論理が2世紀半生きつづけたことは幕末の武士達の言行録からも明らかだ)。

その意味では、彼ら武家の年少の少年にとっては、幼児期でさえやがて来るべき当主・領主・武将としての大責任を肌身に予見しながらの予行演習的な時間とも言える。つまり、純粋な意味での「子供」ではなかったと言える。

 

この点、21世紀初頭の日本に生きる幼児・小児らは、純粋に「子供」であるような気がする。あるいは、より穏健に言えば、そういう子供たちが相当多数を占めているように感じる。

もっともこのことは、上に述べた通り僕の成長過程においてもそうだったわけで、視野を過去50年に限定するならば特段新しいことでもなんでもないし、子供が子供らしく生きられる社会が素晴らしいものだということには僕も完全に賛成する。

ところで、ここで僕が「純粋に子供」であるという時、それが意味するのは、大人とは異なる行動規範、人間関係などのルールが彼らに適用される子供のことをいっている。

つまり、年少であるという事実のみによって、大人たちの人間関係とは異なるルールが適用されうるとき、僕はその子供を「純粋な子供」と呼ぶ。

 

僕の問題意識はここにある。

大人たちの人間相互の関係を規定するルール(もっとも原理的なものとして、挨拶、礼儀などに関するルール)が未だ自身には適用されず、それに従うことが期待されない子供たちは、いつからこのルールに服するのだろうか。

何時、誰が、彼らにそのルールの存在を伝えるのだろうか。

自分の母のことを「クソババァ」と罵っても「もうそんなこと言わないの」としか言われない小学生の恐るべき幼稚性は、いつ誰がこれをあらゆる意味において誤りであると伝えるのだろうか。


僕自身のことを顧みると、父は僕のことを子供扱いしようとはしなかったように思う(祖母と母は別)。それは、彼が、僕が毎週楽しみにしていたドラゴンボールZを観ることを断然拒否して「7時にはNHKのニュースを観るのが常識じゃろうが」と言い、テレビのチャンネルをなんの戸惑いもなく換えたあの態度に象徴されている。もちろんこれを「単なる我儘な親父だ」とは言いうるし、そう考える人がいまは多数派かもしれない。しかし、僕は、我が家にこんな、今となっては偏屈親父ともいうべき父が家に在ったことが有難いことであったと今更思うのである(祖母がいたことはもっと有難かった)。あそこですんなりとドラゴンボールZを観ることを許す優しい親父であったならば、僕は今の僕の在り方とは、精神的にも肉体的にも恐ろしく異なる人間となっていたものと確信していて、それは僕の喜ぶところでは全然ない。

さらに、中島少年野球の秋葉監督と城東高校野球部の山崎監督も、僕たちを子供扱いしなかった。何故といって、「勝つこと」が最重要の目的だったからだ。

この二人の監督たる人間の「情熱」こそが、教育者たるべきものが持つ最重要の要素を体現し尽くしている。彼らは「子供」たる僕たちに対して優しくはなかったし、そんな必要を露ほども認めていないようだった。だから、そういう人たちに自分を認めさせるのだと躍起になって僕たちは努力しようとした。思えば、「人間はただ在るだけで意味なんぞないだろうが」と、天賦人権論を大学で学んだ時に精神的蕁麻疹が出たのは、これらの経験と無縁ではない。

 

こういう疑問など不要と一笑に断じる人も多い事と思う。人間は段階的に成長し、やがてみな凸凹の道を通ってそれなりに大人になっていくものだからである。

しかしながら、自身も人の親となった僕は、我々の子らがどうやって大人になっていくのか、どのような大人になっていくのかについて重大な関心を持たずにいられない。それは、ただ我が子可愛さの故のみならず、教育こそが国家100年の計であるためだ。その意味では、「子供」がいつ「大人」になっていくのかという問いは、まったく無駄なものでもなかろうと思う。なぜといって、彼らはたまたま2016年のま幼少期を生きているだけであって、彼ら彼女らの人生の大部分は「大人」として過ごすのであり、また青壮年時代こそが社会と国家に個人が貢献する最大の可能性を持つ時機だからである。

 

論点から脱線するが、教育者について僕はこう思う。

人間を教育できる人間がいるとしたら(いるのだが)、それは自身の人間を徹底的に高めるために絶えざる努力を積み重ねる者だ。そして、教育のプロでもなんでもない一個の親たる僕は、自分の「生き様」を娘に見せることによってでしか、彼女らに何かを伝えることはできはしない。いや、伝えられるというのは妄想であるやもしれない。それでもいいのだ。

我が家の子らは、社会に奉仕することを以って自らの喜びとする人間に育って欲しい。そのためには、親たる僕がそのような人間たるべく日々努力を積み重ねることしかできることはない。

「子供の事を論じても最後はやっぱり自分語りに終着するのか」という批判は甘受しようと思う。もっとも、人間の世の中、完全にコントロールできるのは僕という一人の人間のことだけである(それさえ俺はできていない)。3歳の我が子でさえもはや完全に人格を備えた他人である。だから、子や教育を論ぜんとせば、自然、自分の在り方に撞着するのは自然な成り行きではなかろうか。

 

この正月の小論の最後に菅子のこの言葉を引くのは無駄ではなかろうと思う。

 

「一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し。

 一樹一穫なる者は穀なり、一樹十穫なるものは木なり、一樹百穫なるものは人なり。」