2015年8月6日木曜日

人間と核兵器

70年前の今日、広島の街に原爆が落ちてきて炸裂したという事実よりも、一人の人間が明白な大量殺戮の意図を持ってあの作戦を実行するよう命令したという事実のほうがはるかに怖い。核兵器は怖くないが、人間は心底怖いと思う。
「核兵器は恐ろしい」という言説は、実のところ、「人間は悪しきものだ」「人間は恐ろしく残酷なものだ」という事実から目を背け、モノに大量虐殺の責任をなすりつけようとするものでしかない。


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幸せな結婚

幸せな結婚とはいいものだ。しかし幸せな結婚だけで満足するような男は、幸せな結婚などけっして手に入れられない。




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2015年7月28日火曜日

死者との邂逅

たまに、横浜の閑静な住宅地の兎小屋に暮らす二人の娘を不憫に思うことがある。それは、俺の所得の故の兎小屋住まいについてではなくて、その閑静な住宅地の非歴史性と死者の不在のことである。

俺がガキの頃ーはや30年も前のことになるわけだがー、姉貴や近所のにいちゃんねえちゃんたちと、小さな祠に控えめな鳥居を備えただけの狛犬様と呼ばれる、それはそれは小さな社でよく遊んだ記憶がある。全国どこでも同じだったろうが、小さいとは言っても自分たちの背よりはうんと高い鳥居の上に小石を乗せることを競って遊んでいた。石が乗せられたら良いことがあると信じていたかどうかははっきりと覚えていないが。
近所の墓も集落の所々に点在していて、そのそばを少年野球の練習の帰りや釣りの帰りにいつも通っていた。民家の隣に墓が並んでいることは当たり前のことだった。祖母は何よりも自分の家の墓参りを大切にしていて、野球の練習の合間に雑草の駆除に、少し離れた墓まで俺がついて行くと、「おじいさん、基君がお墓をきれいにしてくれましたよ」といつも優しく語りかけた。俺としては草むしりをしただけなのに、一度も会ったことがないじいちゃんやいつも怖い顔をしていた曽祖母の顔がありありと思い出され、クソガキなりに姿勢を正したものだ。
家の離れの北側にも、高さと幅と奥行きを合計してと1.5メートルはないと思われる小さな祠があって、祖母はいつもこれの水を替えていたと記憶している。この祠は今もある。
家のなかには曽祖母の額入りの写真やじいちゃんの額入りの写真もあって、もちろんそれらが掲げられている御座敷には恐ろしく古ぼけてはいるが重厚な仏壇と、今にも千切れて破れてしまいそうな「天照大御神」の掛け軸があった。犬養木堂翁や三島中洲先生(山田方谷先生の一番弟子で大正天皇の侍講、河井継乃助先生の兄弟子)の書などがもぽつねんと掛けられていた。
とはいえ、これらは岡山県倉敷市の少し古い家なら当たり前のことで、似たような家の誂えを近所のどこでも見た記憶がある。言わば、田舎ものにとっての1980年代の通常の生活風景と言えよう。

時は流れて四年前の春、俺が妻を両親に会わせるため連れて帰った時、頭のなかでは別に親への挨拶なんてどうでもいいことで、それより「ご先祖さんにはよ報告とありがとうを言いにいかんと」という思いばかりだった。初めての実家への挨拶の時にお墓参り?なんて言われたら、これは世界観と家族観と歴史観についての大いなる齟齬としかいいようないから、その時は結婚はなしだろうな〜残念だな〜とも思っていた。もっとも、自分が選んだ女がそんなしょうもない女であるはずがない、とも思っていた節も確かにある。

で、5月の連休のある日の夕方。何故か北を向いた低い山の斜面にある我が家の墓を二人でざっと掃除し、俺は缶コーヒーのBOSSのブラックを2缶、先祖墓に置いた後、墓に向かって正対、最敬礼をした。「さて、帰ろうかね、ありがとうね」、と妻に言うと、彼女はこう言ったのだ。
「うん、おじいちゃんたち、喜んでくれたかな」と。
それはぶりっ子することが世界トップクラスに苦手な我が妻の、深い真心からふっと漏れ出た感情が言葉になったものであるということぐらいは若い俺にも容易に察せられた。「この人間は、俺よりもさらに強いご先祖さんとの紐帯のなかに生きている、この時代錯誤女...!」、そう確信した瞬間だった。

多少惚気ているようだが、それが目的ではない。実際、妻の両親の実家の鹿児島は大隈半島南部においては、墓はほぼ必ず家屋の側にあって、日参が基本である。毎朝顔を洗うように墓に参る。南国だからか、数日おきに替えられる豪華な赤や黄色やオレンジ色の花がすべての墓を飾っていて、集落のなかで最も華やかなのは実はお墓であるという面白い風景が現在も残る。

翻って俺が現在暮らす横浜市のある私鉄沿線の住宅街には、墓も神社も地蔵さんも何もない。どれだけの家に仏壇があるだろうかとも思う。街には、駅の周辺に幼稚園や保育園、スーパーやクリーニング屋やフィットネスクラブ、本屋や居酒屋があり、まぁ生活するには便利なことこの上ない。そんな街で子供達が遊ぶのは、横浜市がその潤沢な財源で維持している、ありがたいほどに手入れが行き届いた緑の多い公園である。

普通に考えれば、なにも不満の言いようがない子育ての環境に思える。安全で、歩道は広く、暴走族のような輩もおらず、夜は森に彷徨い入ったのかというぐらい静かである。近辺には私立の進学校やインターナショナルスクールとやらも複数あって、先立つ物さえあれば教育についても心配はない。

だが、何かが欠けているーーー俺はそう胸中でずっと感じていたのだ。
それは、自分を生んだ父や母の両親やその親たちが、確かにこの地に生まれ育ち、子をなし、そして死んでいったのだという明白な実感と、クソガキの俺が祖母とともに体験したご先祖さんとの邂逅の場所である。
ここには、死者の居場所はない。いま生きている人間にしか存在しないものとされている社会において、死者たちは居場所を与えられず、遠い空で星にでもなってキラキラ悲しく輝いているんだろう。

自分は何者なのかと20年間問うてきた。未だに答えはありはしない。だが、少なくとも、俺はご先祖さんが必死に命をつないできてくれたことの結果として、この平成の御代に暮ら1人の男であるとはっきり言える。そのご先祖さんか、どこで生まれ、どんな暮らしをしてきたか、わずかばかりだが聞かされてきた。
結局のところ、俺はそれ以上の存在ではありはしないのかもしれない、とも思う。だが、それ以上ではないかもしれないが、それ以下ではけっしてないのだという自負と自信も確かにある。たくさんの人たちが命を繋いできた結果として、たまたま自分という存在があり、その事実にいくばくかの感動を覚えるのあれば、自分とは異なる他者として、死者を分け隔てることはもはやできはしない。

歴史とは、所詮我々が恣意的に解釈した過去の出来事の総体であるかもしれない。だが、教科書の歴史とは別に、手で触れられる自分自身の歴史が存在するのだ。多くの人がそれをまじまじと見ようとしないだけで、死者たちはすぐそばにいるのだ。

上に述べたような祖母との墓参りでの経験を、人によってはなんじゃそれはと笑うことたろう。
だが、大学院時代の京都の夏の夜半、賀茂川の芝生に寝転がって、満月に照らされた北山連峰の稜線を見はるかし、涼しげな虫の声と嫋やかな川のせせらぎに耳を休ませるとき、確かに俺は自分がこの世にやってくる前にも同じように流れ続けてきた膨大な時間を強く自覚したのだ。それは、俺の親父がクソガキだった時間であり、俺の祖父がオシメを曽祖母に替えてもらっていた時間である。
あれは、宇宙的でありながら、これ以上ないほど刹那的な瞬間でもあった。あの賀茂川での体験は、祖母とのあの墓参りと俺という人間の地中深くで時空を超えて深く強く繋がっているのだ。







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2015年1月12日月曜日

雑記

◯我々にとって最も容易いことは、人を批判し、自身の境遇に不平を言い、さして重要でもない事柄に怒りを表わすことだ。この3つは本当に誰にでもできることだ。この3つを三ヶ月だけでもやめることができるならば、貴様は一端の紳士になっているに違いない。

◯我々は国務大臣や大企業のトップに立って初めて祖国を背負い歴史に対面するのではない。どれだけ小さくとも1人の責任ある大人として生きる限り、家族を含めた自身の見える範囲の者に対する責任は、総理大臣が国民の幸福と安寧と歴史に対して負うあの責任と性質において変わるところがない。人間はそうやって自分を鍛え上げていくことで、やがてくる大きな舞台に向けて少しづつ準備を重ねていく。無駄な準備になったとしても全然かまわない。「人間」がでかくなっとるんだから。それは進化を責務とする我々にとって、一つの勝利であるのだから。

◯チャーチルがダンケルクが陥落する直前に、「たとえフランスが降伏しようとも、我々はただひとりでもヒトラーと戦い続ける、さもなくば合衆国の援助などなく、世界は我々の威信を疑うだろう」と言ったという事実は、東アジアに巨大な軍事大国の勃興を見、かつての大英帝国とおなじく合衆国の軍事力に恃むところ大なる今の我が国にとって示唆的である。

◯本田「我れ拗ね者として生涯を閉ず」読了。さすがに俺が出会った人間のなかでもっとも予定調和的で日本的な会話が成立しない内田の推薦本だけあって、面白い。「生き様」という言葉も日常使われなくなったが、まさに生き様である。新聞記者が日本を変える、その純粋な覚悟と実行に戦慄しつつ、深い敬意を表したい。だが、奥さんは大事にしないといけない。



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2015年1月4日日曜日

初詣

久しぶりの靖國へ。
実は初詣の時期に来るのは初めて。
屋台が沢山参道に並んでいる。

靖國に並ぶ屋台は平和の香
硝煙なき世を尊しと思ふ

もいっちょ。

靖國の父よ兄貴よ先輩よ
我も祖国の基なるらん

神保町で、以下を購入。

-「出家とその弟子」
-「ザ・フェデラリスト」
-「アラビアのロレンス」
-「三十三年の夢」(宮崎滔天の自伝。平成人にはよい漢文の勉強ならんや...)
-「塵壺」(河井継之助の日記で、方谷先生の高弟にあたる三島中洲先生が明治23年に長岡の悠久山に作られた河井継之助の碑へ寄せた撰文も収められている) 

2015年1月3日土曜日

犬か阿呆かの選択

貴様がその昼飯を大戸屋で食らうのはなんのためだ?
腹が減ったから食うのか?犬か貴様は?
日本の未来のために食うのか?阿呆か貴様は?
犬か阿呆、人生色々なんて言うが、実はこの犬になるか阿呆になるかのどちらかしかありゃしない。


平成二十七年年頭雑感

◯トマス・ピケティを「こだま」のグリーン車でじっくり読む。民主主義にとって資本主義的産業社会における経済成長が極めて重要なのは、それが経済的平等と関連するからだ。ある人が親から相続した資産は、高い経済成長率を維持する国にあっては、経済が停滞した国におけるよりも価値が低く、結果として個人は自らの力で富を築くほかない。他方、低成長の経済では、相続する資産が少ない人は、自らの労働によって生まれた時からの経済的な格差を克服することが困難だ。もちろん成長は新たな富の不平等や分配を生むだろう。しかし、それに対して個人個人が如何に納得できるかということは、我々が想像する通り重要と思う。
バブル崩壊後の日本のデフレが日本国家にとって恐ろしいのは、経済の縮小がそれによって富める者とそうでない者を社会的に固定し、一つの国家のなかに話す言葉以外は共有するものを持たぬ階層=クラスを生み出す可能性があるからだ。
アベノミクスが目指すインフレ率2%がやがて実現するとして、この時実質成長率1%を目指すとしたら、名目成長率は3%が必要になる。人口が減少していくため、一人当たりGDPの成長率は3%を超えないといけない。従って、2015年に500万円の所得を得ている人は、2020年に580万円の所得を得て初めて1%の経済成長の恩恵に預かったということができる。名目で3.5%となれば、ほぼ600万円が必要になる。

◯仮にアメリカの19世紀後半のフロンティアを求めての西進が、21世紀のこの時代に行われていたら、恐らくそれは今の「イスラム国」の怒涛の勢力拡大と同じように報道されるかもしれない。イスラム国は、単に「イスラム過激派武装勢力」という範疇を超えているように思う。イラクから権力が消えシリアが数年来の内戦でボロボロになるなかで、第一次世界大戦のあとにサイクス・ピコ協定などによって人工的に形成されたイラン、イラク、ヨルダン、シリア辺りの政治秩序を、新たに塗り替えんとする運動なのではあるまいか。首切りを擁護するのかという批判が来そうだが、ただこの運動を歴史的な文脈のなかに置いて理解したいのである。

◯なぜにマンションの広告チラシに「データでみる青葉区の行政ランキング   私立中学校進学率No.1!」なんてものが書かれているんだろうか。素朴に読むと、「公立中学校が暴走族やヤンキーだらけだからみんなコストをかけてでも私立に行かせるんかな?」と田舎もんは思ってしまうんだが、それとも横浜市は青葉区の住民が私立中学校に通いやすいように補助をしているんだろうか?(橋下大阪市長は、府知事の時に大阪府に私立高校授業料支援補助金制度を作った)

◯今朝の日経朝刊一面の左側に「なくせ偽装バリバリ」。つまりは仕事してないのに仕事をしているふりをして残業したりするのをやめようということ。
総論で賛成なんだが、「無駄な残業」を数年来やってきたサラリーマンとしては全面的には首肯できない。
確かに、夜日が沈んでからオフィスや工場に残ってダラダラやっていても生産性は低いだろう。だが、仕事の振り分け、英語でいうジョブ ディスクリプションがあるようでない日本企業においては、実は若年者が知識の部分で年配の連中に追いつくには残業の時間というのは非常に重要である。例えば用もないのに21時から2時間くらい大昔の契約書をコーヒー片手に眺めていたら今の商売に使えるアイデアが得られるとか、夜遅くになると近くに座っている普段ろくに話もしない先輩がやたら商売の歴史を語り出すとか、そういう泥臭い、不恰好な、「生産性」を求めるという合理的思考では掴みきれない価値が、俺もやってきた「残業」というもののなかにはあるのではないかと思う。
ビジネスの現場において無駄を省くことは当たり前のことであって、俺が勤務する商社の「朝バナナ、残業禁止」は沢山のメディアが特集するほど有名にもなった。
だが、我々保守主義者は、ハイエクに倣って、アプリオリに「何が無駄で何が無駄ではなく必要か」を完全に知悉できるほど賢くはないということもまたしっかりと銘記しておかねばならない。たまには、阿呆なほどの大無駄も、未来の躍進や革新には必要なのである。つまり、高校時代の理不尽や今風に言う「体罰」にだって幾許かの意味があるように、この世の中、豚や牛の糞さえも人によっては大切なものなのだ。
ま、これからは自宅のトイレからでも渋谷の40階のバーからで自在に仕事ができる時代だ。

◯米軍が本格的に無人機を攻撃用途に使用し始めたのが2000年代前半のアフガン戦争、イラク戦争だった。それから10年、Amazonが無人機で本を宅配しようとしている。10年先を普通の人が見通したければ、世界で最も最先端の技術を金に糸目を付けずに開発している米軍を観察するとよいかもしれない。十分ではないとしても無駄にはならないだろう。
HPからしてガンダム的で未来的な米軍国防高等研究企画局(DARPA)のサイトはこちら。

◯安倍政権の最大の課題が経済であり財政であることは言うまでもない。
しかし、与党が衆院の3分の2を支配するというこの状況。この時機を逃せばいつあの醜悪な他国の人が勝手に書いた憲法と呼ばれるものをいつ改正できるのか。
国民主権を謳いながら、起草したのは米国人というのは異常である。不磨の大典などこの世には存在しない。
戦後70年の今年は、2085年までこれまでの70年間と同じ時間が同じように続く70年の最初の年なのか?それとも、戦後という一つの歴史から果敢に訣別し、謂わば「戦後・後」の時代を我々の力で構想していかねばならぬ転換の時なのか。
もはや答えは自ずから明らかであるように思う。祖国の独立と繁栄と未来に責任を持とうとする者は、前例踏襲主義に遊ぶことは許されず、不確実な未来へ挑戦する勇気が常に必要なのだ。







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2014年9月3日水曜日

走りながら考えたこと

自分が生まれてきたことを呪うことは残念なことだが、それよりもさらに悲惨なことは自分が生まれてきた意味が分からないと嘆くことだ。
歴史上どんな人間も誰一人として自分自身の意思で生まれてきたわけではないから自分が生まれてきてしまったという事実を呪うこともままあるだろうが、生まれ落ちてから自分で生きる意味を掴み取れないことは多くの場合自分のせいでしかないから自分自身以外に批判の向けようがない。
間違っても自分の子どもがやがて「お父さん、お母さん、私を生んでくれてありがとう」などと言ってくれるだろうなどと期待してはいけない。若い時分には自分の存在の意味不明さに懊悩して自殺を考えるような知的な人間であることを俺は我が子には望む。馬鹿という存在の特権は、あらゆる苦悩から自由でいられることであって、その快適さのためには人はけっこうなものを平気で自覚もなくポイポイ投げ捨てる。
日本語を解するよいになったら子どもにはこう言おう。

「お前の人生はクソにも花にもなる。お前次第じゃ。わしは手伝いはするが、やるかやらんかはお前が決めい。」

まー、わかっとるんだがね。
何がクソか何が花かについて、こいつらとは分かり合えないということは。
それが、とどのつまりは人間は一人であるということでしょう。

2014年7月6日日曜日

独り言

〇集団的自衛権を容認することが先日閣議決定された。
朝日新聞などは、「憲法によって自衛の範囲を超える集団的自衛権の行使は認められない」ことを大前提に「暴挙だ」と言っているのだが、どうだろうか。
そもそも吉田茂がかつて「憲法によって自衛権も禁止されている」と述べている。その後それが解釈によって変更されて「個別的自衛権は保有しており行使も認められる」となっているわけで、それについては朝日新聞も反対の立場ではない。
憲法学、国際法学のどこからも、「集団的自衛権→ただちに→憲法9条違反」ということにはならぬ。
それは所詮法文をどう解釈するかの話であって、その解釈の仕方を一つの立場から「乱暴だ」という批判はあり得るものの、それは法律を破壊しているとまでは言えない。
昨日7月5日の朝刊で朝日新聞は、「日本こそがアジアで戦争をしようとしている国である、という認識がアジアの民衆レベルで広がっていることは事実である」と書いた。
ベトナムの船に放水銃を撃ち込み、体当たりを喰らわせ、日本の領海に機関砲を装備した海上警察の船を侵入させ続ける核兵器と空母の保有国ではなく、我々日本人が「戦争をしよう」としていて、それがアジアの民衆の認識であるそうな。これに賛同するまともな日本人はあまりいないはずだ。
我々は尖閣に誰かが上陸してきたり、領空に戦闘機や爆撃機を飛ばしてきたり誰かがしない限り、ひたすら平和な国であり続ける。
朝日新聞は存在自体が冗談のようなものになってしまっている。
これも一つの商売であるというならば、俺の商売がここまでヤクザなものではないことを願う。
「戦争する国」というが、この地球に存在する国で、原理的に「戦争をしない国」など存在しない。いや、そんな国はそもそも存在する資格さえないと言えるだろう。
もっとも、俺は「命よりも平和が大切だ」というガンジー主義を日本一国として国民投票を通じて採決するのであれば、それはそれで一つの国の在り方であり、国の死に方であろうと思うものである。

〇横浜のある街で暮らしている。梅雨も終わりかけだというのに、カエルの声も虫の声も聞こえはしない。これが、我々が目指してきた豊かさなのだ。嗤えるなぁ。エアコンって、ほんとうにいいもんだねぇ。

〇生きていればあらゆる面倒や問題が身の回りで起き、それに不平不満を言いたくもなる。
だが、自分はもっともっと面倒なことを引き受けようという覚悟がある人間は、そんなことは笑って受けとめるだろう。
現状に不平不満を言うことは、自分がその程度の問題しか抱えられない人間であることを公言することに等しい。
今日の問題なぞ、マウンドに上がる前の5mのキャッチボールでさえないのだ。
「250kg爆弾抱えて突撃せぇ」と言われたら、「そりゃ隊長、ちょっと非道いなぁ」と笑って見せる、そんな器に自分はなるのだという意思が人間を大きくする。
優しさとは克己のことである。

〇歳を重ねることの楽しみは色々あるが、そのうちの一つは旨いものが少しづつ増えていくということだ。
昔、珈琲もビールも苦いだけだったがいまはなくてはならないものだ。最近は少しだけ旨い日本酒も覚えた(山形の「十四代」)。
兄貴のゴボウのスープも10代では分からなかった味だったろうし、最近大好きなラッキョウの塩漬けもその昔お婆ちゃんがよく食べているのを見て「ようそんなもん食うなぁ」と思っていた。
ラッキョウの塩漬け、今ならではの味で旨いですよ。

〇東芝がブルガリアの原発建設プロジェクトをとった。
ロシアからの天然ガスに依存してきたウクライナ西部の国に日米連合が原子力発電所を建てる。なかなか興味深い話である。


読書メモ’s

〇仲正昌樹「精神論抜きの保守主義」 (7/2読了)
名指しで批判してはいないが、産経新聞や「正論」や「諸君」のようなものを「精神論ばかりの保守主義」として書かれていることは明らかである。代わりに著者は、西欧の著名な保守主義者の思想について語るなかで、近代保守主義の系譜は決して昨今の日本の「保守派」のように急進的に戦後体制の変革を志向するものではなく、むしろ実利をとるための合理的な思考過程として選択されるものだと言う。
日本の現代の保守派と言うものたちが、精神論ばかり語ったり、感情的に反対派(例えば朝日新聞)を批判するばかりであることに飽き飽きしているまともな人達は多いであろう。そういう人にはお勧めしたい本である。
もう少しだけ現在の日本とそれを取り巻く世界の状況とそれに対する処方箋として我々がどうするべきかの論述があればとも思ったが、それは我々に課された仕事である。

〇尾崎秀実「愛情はふる星のごとく」 
(7/4読了)
言わずと知れたゾルゲ事件で絞首刑になった共産主義者である。
獄から妻子に宛てた書簡集。
検閲のためか、尾崎の思想を述べたような場所はほぼない。
見えてくるのは死が目前に迫った時に一人の人間、インテリ、夫、父としてどのように彼が振る舞ったのか―ということのみだ。
そして、この意味では、どんな人物も、共産主義だろうが国家主義者だろうが無政府主義者だろうが、あまり変わりがないのかもしれない。
どんな政治信条を持っていようが、妻子を思い、自身の命をこの世の中、歴史において如何に位置づけてみせるかということが我々人間の全てに共通する問題であり挑戦であるように思う。
いたるところで書かれる「食物考」が実は一番面白かった。「高知のカツオのたたきというものは非常にうまかった」と書かれていて、今から考えると東京と高知も一週間の旅でしか行けなかったわけで、俺が「NYCのステーキは旨い」ということに近い。
「ネール自叙伝」とネール「娘インディラへの手紙」が面白そうである。

〇コリン・パウエル(元米国国務長官・統合参謀本部議長)「リーダーを目指す人の心得」 (7/5読了)
重要な言葉たち。
「部下からの尊敬を求めるのであれば、まず部下を尊敬せよ。」
「リーダーとは、問題を解決するために存在する。」
「部下について注意を配り、彼らをよく知るよう努めよ。」
「物事をなすのは組織ではない。物事をなすのは計画や制度ではない。物事をなすはただ人である。組織や計画や制度は、ただ人を助けるか邪魔するかのどちらかである。」(ハイマン・リッコーバー将軍)
NYCで床を雑巾で拭き掃除をしていたジャマイカ移民二世の黒人が、NY市立大学在学中に加入した予備士官訓練制度からついには世界最強の米軍のTOP(統合参謀本部議長)にまで上り詰めた。面白いことに、この本を読む限り、「上り詰めた」というような印象は全くない。だからこそ、パウエル氏は部下に支えられ、上司に愛され、やがて国務長官となり、大統領候補とまでなったのだろう。
イラク戦争直前の2003年1月に彼が国連で行ったサダム・フセインが準備しているという生物兵器についてのプレゼンについて、「不存在を知っていたなどということはない」と断定し、しかしその過ちを悔いている。
ラムズフェルド国防長官とパウエル氏との違いとしてよく言われた、「圧倒的な戦力を一気に投入することが常に最適だ。なぜなら、それができるときにそうしない理由がない」というところは、ラムズフェルドと違って彼が元軍人であり、数十万の命を預かる立場に長くあったことも影響していよう。
「軍人は戦争をしたがる」というのは、少なくともアフガン戦争とイラク戦争時のアメリカを見る限り、当てはまらないように思う。

〇橘川武郎「電力改革」 (7/6読了)
日本の過去150年の電気産業の趨勢。

1.石炭火力中心(大規模長距離送電なし):1887~1900年代
2.水力中心(地方から都心部への大規模長距離送電が可能に):1900~1950年代
3.石油火力中心:1960年代~1973年
4.原子力を中心としつつ、LNG火力と海外炭を加えた"脱石油"時代:1974年~

と述べた後で、5.の時代として、福島原発事故以後の現在について提案するのは以下三つ。

A.電力産業体制改革
→小売の自由化(16年4月~)と電力会社間競争、新規参入(ただし発送電については競争を制限する)
B.電力需給構造改革
→これまでの供給サイドからの調整だけではなく、需要サイドからの調整を行えるようにする。スマートメーターなど。
C.原子力政策改革
→原発事業の国営化とバックエンドにおける再処理とワンスルーの併用。加うるに、電源開発促進税を中央から地方へ移管。

これから起きて行く、起こさねばならない改革というのが、国家百年の計を担う大改革であることがよく分かる。
著者がこの新書のなかで何度も言うC.の「原発事業の国営化」については、俺は思うところが大いにあるが、またいつか語りたいと思う。