石原莞爾は、陸軍幼年学校在学中の折、機械式ペンシルの先に虱を10匹飼っていて、机の上にこいつらを出しては「虱レース」を楽しんでいたらしい。またあるときは、図画の授業のために提出する写生の題材に困った彼は、彼の股間の一物を写生して、これを「便所にて我が宝を写す」と題して提出したそうな。
最近会社の研修で講師が、「会社を(よい方向に)変えるのは奇人変人の類です」と言っていたために、今朝石原のことを想起して「秘録 石原莞爾」という本を本棚から引っ張り出したのだが、まぁここまでの変人はあまりおらん。
ところで、石原の部下の兵に対する愛には考えさせられるところ甚大なり。石原=最終戦争論だけではないよ。
石原は兵の教育についてこう述べている。
「猛訓練によって養われてきたものは、兵に対する敬愛の念であり、心を悩ましたものは、その一身を真に君国に捧げている神の如き兵に如何にして精神の原動力となるべき国体に関する信念、感激を叩きこむかであった」。
ある基地で連隊長を勤めていたときなどは、石原は日曜日などに兵営を訪ね、浴場を視察して、敬礼をする兵に対して、「敬礼はせんでもよい。湯加減はどうだ?」と尋ねもしていたそうな。そして、温かい風呂に兵が使って喜んでいるのを見て、彼自身もたいそう嬉しそうにしていたという。
今の会社に勤めて3年が過ぎ、俺より若いものと共に働くようになった。歳を重ねていけば、俺が弩阿呆でない限り、年下のものを部下として「動かす」ということが多くなる。そのときに、彼らの「精神の原動力」を俺はいかにして与えられるだろうか???
精神の原動力を増進せしめるために、その人への即物的な価値供与の多寡を決定する権限を自身が保持していることを以て脅迫するが如きは、人間における最低次元の者だ。俺はそこまでの鬼畜にはなりたくない。
チャーチルの多くの演説は、明らかに英国人の「精神の原動力」となり、あの苦しい戦いを勝ち抜く力となった。この日本の戦後最大の苦難の時に、日本の政治家の言葉は誰にも響きはしない。彼らは、何も信じてはいないのだ。
人の上に立つ者は、頭脳抜群の優秀な人間でなければならない。集団を率いる者が阿呆だと悲惨が起きる。だが、頭脳だけでは十分ではないのは明らかだ。人間としての大きさは、石原が兵の風呂を休日に視察して湯加減を確かめていたように、自分以外のどれだけ多くの人間の幸福安寧を、我がものとして思い遣ることができるかによって決まる。
ついでだが、石原は大正6年に「長岡藩士河井継乃助」という本を書いている。「どうも継乃助と石原は似ているところがあるなぁ」と感じていただけに、これは必読の書だ。
独り言:
「俺は...もう日本が駄目かと思った...だけど!そこに日本があった...!!」(東日本大震災後の空軍松島基地にて、長渕剛)
まさに、詩人だ。
破滅のなかでこそ起ちあがってくるものがある。
マーク・ローランズは繰り返し言う。
「最も大切なあなたは、あなたの大切なもの全てを失った時に残るあなただ」
強きに対しては卑屈になるな。
善きに対してはこれを援け、
悪しきに対しては鬼であれ。
私心を捨て、正義を第一とし、大局的な視野の下に、時代の先の先までを洞察して判断を下し、ただ国家国民のために最善を尽くす。
ここにおいて、俺は誰にも負けたくない。それ以外は取敢えずどうでもいいや。
熱く生きたいと思った。社会の理不尽や嫉妬に懊悩することがあったとしても、現実が俺からみてどれだけ理想から逸脱しているとしても、俺は理想を捨ててはいけないと思った。
俺という個人が、俺の目標に対して資格十分の男であるかどうかを決定するのは、俺が死んでから誰かがしてくれるだろう。俺はそんなことには全然興味がない。俺は俺自身が信じる道を行くだけだ。
そして、仲間とともに血を沸騰させて涙を流して感動できる一瞬を諦めてはいけない。それは、現実から逃げるということではけっしてない。
最近、この歳になってー恥ずかしいことだがーようやく挨拶がきちんとできるようになったと感じる。
高校の時、二年下のある君の挨拶に驚愕したことがあって(15-16歳の少年の挨拶にしては出来過ぎていた)、爾来それを目標にしてきた。
海外でよく目にするのは、日本人の変な挨拶だ。「Good morning」とホテルのスタッフに言えない(目を見て言わない)、食事を持ってきてくれたウェイターに対して「Thank you」と言えない、その他沢山。
コンビニで「袋はいりません」と言うときに、なぜああも多くの人が目線も合わせずに言うのか俺にはよく分からん。丁寧に袋に入れてくれたら「ありがとう」の一言ぐらい言ってもバチはあたらんだろう。
相手の目をみて目礼をする、「こんにちは」という、それは人間関係の始まりの最も大切なことだと思う。
先日会社である幹部が、「まぁ(経営方針などについて)いろいろ言いましたけどね、皆さん、挨拶をしましょうよ。廊下ですれ違う時に、声に出さなくてもいいけどね、小さく会釈をするとかね、できるじゃないですか」と言っていた。あれはいい発言だった。それ以外はどうでもいいことと当たり前のことの陳列でみんなして睡眠していてもいいくらいだったけれど。