2012年10月18日木曜日

ヘーゲル「精神現象学」より

「教養とは、精神が、実体的な生活の直接性から脱し、形成されていくことである」

「精神の力の大きさは、その力が外へ現れ出る大きさにのみ比例しているのであり、精神の深さは、精神が自分の身をさらして展開し、自分を失うことに耐えうる度合いに、正確に比例する」

「新たな精神のはじまり、それは、教養のさまざまな形式のあいだに変転をかさねてきた広大な過程の所産であり、幾重もの紆余曲折と、たび重なる努力や苦労とを経て得られた報酬である。」

「胎児は、即自的には人間であるにしても、対自的にそうであるわけではない」

ニーチェの精神を持って、いやニーチェの精神を以て、如何に我は商売の道を歩むべきや?

最終的には自分の利益になるからと考えてなす全ての一見利他的なサルの行為を、さも人間性に溢れた美しい行為であるかのように言う馬鹿。

身を滅ぼす覚悟。
恐ろしい道の始まり。
愉快なる絶対安心の格闘と不安。

「凛々と泣きながら」、蕎麦を食べましょう。