2013年10月14日月曜日

日本で車を持つととても貧乏になる

自動車を一度でも日本で購入し、さらにそのあとにアメリカで(別にアメリカでなくともいい)車を購入した経験がある人は、日本人がいかにべらぼうな金額をただ車を所有し乗るためだけに支払っているかを痛感するはずだ。

日本で車を買うと、購入時点で、

消費税、自動車税、自動車重量税、自動車取得税

を支払わないといけない。これが車種によっては十万円を優に超えてくるのはみなさんご存知の通り。
消費税はまぁいいとして、「自動車税」のほかに「重量税」と「取得税」が並ぶのは一体全体何なんだろうと思わずにはいられない(調べりゃいいんだが)。
例えば洗濯機を買ったときに、「洗濯機重量税を払え」と役所に言われたら誰か支払う人はいるだろうか?電動歯磨きを買ったときに「電動歯磨き取得税を払え」と言われて支払う人はいるだろうか?

おまけに、これだけ自動車が壊れなくなった時代にも、これまでと全く変わらぬ車検制度がある。「君たちの運転している車が安全かどうかは僕たち(役人)がしっかりと責任をもってチェックしてあげるからしっかりお金を払いなさいよ」というわけだ。
なんだそれは。

さらにある。車を運転するのをお上に許してもらうために免許をとるのにも平気で30万円という金額がかかってくる。

さらに高速道路は有料。
これは仕方がないが、都心部では月数万円の駐車場代の負担。
ガソリンにも1L辺り53.8円の税金が乗せられる。

これらのコストを全て賄って余るほど日本人の平均所得が高ければいいのだが、日本人の平均給与は15年間下がり続けてきた。

そんな状況を全く無視して、「近頃の若者は草食系。金を使わず若い男が車に興味さえない。ゆゆしきことだ。」というような言説は、馬鹿げている。この日本でこれから家族を作ろうとする、年収が500万円以下(圧倒的多数だが-)の20代が、車を購入して維持することは何をどう計算しても経済的に合理性がないだろう。増税だし。
例えば、年率5%で今後15年間確実に給与が増加していくと想定できれば話は別だが、そんなピカピカの優良企業は少数派である。

それにさらにもう一つ付け加えるならば、日本車にはブタか猪のような箱型のミニバンか計四自動車しかなく、心踊るようなクーペもセダンも日本メーカーは作ってはこなかった。

なんとか車を買ってドライブだーと土曜日に東名か中央高速に乗ったはいいが、待ち構えているのは都心をでる車の群れの大渋滞で、真夏であればここを抜け出るだけで大仕事という感じ。日本人が有給休暇をとらずに祝祭日にみんな一斉に遊びに出掛けることから起こる一つの喜劇だろう。40㎞の渋滞に突っ込んでいける辛抱強さというのは、真正の弩Мとしかいいようがない。

もう一ついうと、日本での中古車販売価格はべらぼうに安い。アメリカに比べると。

帰国してから車をまだ買っていないが、まぁたぶん買わないと蕁麻疹が出そうなのでたぶん買うのだけど、どうやったって経済合理性からは日本の都会で車を持つことは説明できない。
なので、経済合理性以外の「駆け抜ける歓び」をもたらしてくれるBMWが今回も候補の筆頭だ。娘が5月30日だから、型落ちの530iなんてどうかなーなんて考えるのが楽しい。シルキーシックス。

と、まぁこう見てくると、まるで車を持つことをよってたかって罰しているようにしか見えないではないか。自動車産業で飯を食べている人は国内で500万人を優に超えるというのにだ。
明らかにこの税制は、自動車がぜいたく品であった時代の遺物である。倉敷で自動車なしで生きていけというのは、実際上不可能な要請である。自動車は、21世紀の今、多くの場合必需品の一部である。

本当に恐ろしいことは、ほとんどの日本人がこういうコストを当たり前のこととして認識している節があるということだ。それはどういう意味で当たり前なのだろうか。そんなことないんじゃないだろうか。