朝は好天なるも昼前からロンドンにしては矢鱈重たい雨。Showerではない。
優子と京子は留守番。
とはいえ雨散歩は好きなので気にせず手帳と西田幾多郎「善の研究」とペンと赤鉛筆を持ってPrimrose Hill Parkへ。
懸垂65回、四股・摺り足等のトレーニングをした後、南に隣接するRegent ParkにあるCaféへ。
四連休の初日というのに雨のせいか人気はなく、インド系のおじさんが電話をもたずに遠くを眺めているのと英国人らしい女性二人の子供連れがいるばかり。
雨は、よい。
スーツと革靴を濡らさない雨を、僕は好む。
フードが付いたスポーツジャケットの肩と背をパチパチと叩く控えめな雨音が、僕がいまこの瞬間確かにここに在って、自身を形成するたんぱく質とかカルシウムとかの物質はそれを取り巻く大気とは異なる存在であることを実感させる。
日本の真夏の夜、オフィスを出て湿気た30度の外気に当たることをことのほか嫌うのは、それが不快であること以上に、自分自身と世界との境界がぼやけてどこまでが自分であるやらよく分からんという雑多な苛立たしさにある。
太りたくないのも実はこの理由が大きい。随意筋は意思によって稼動させられるが、脂肪はそうではないからだ。何処までが自身の身体かを完全に把握したいし、その身体を出来る限り自身の思うがままに動かしたい。
さて、とはいえロンドンも春。
3月末の朝の冷たい雨も、準備万端完了して後は芽吹くのを待つばかりの可愛らしい新芽を振るい落とすことはできない。
灰色の朝。しかし春の、新たな命の予感に満ちた、冷たい雨の朝。
止んでくれとは思わない。降り続けてくれとも思わない。
あるがまま。そのままでよろしい。