2018年4月9日月曜日

雨の日曜日の随想

◯豊田穣「革命家 北一輝」読了。飲み会が続くと読む速度が落ちる。これから北一輝の代表的な著作の二つを読むところ。すなわち、「支那革命外史」、「日本改造法案大綱」。正月以降の日本の戦前のアジア主義周辺の勉強の一環で、竹内好、葦津珍彦、橋川文三という面々の本をちらほら読んできた流れだが、少し脱線しているような気もする。

◯サルもゴリラもチンパンジーも物事をいくらか学ぶが教育はしない。チンパンジーの長老がボルネオのジャングルに10頭程度の若いチンパンジーが群れの運営について学ぶ学校を作るというのはいかにも考えにくい。他方、人間ときたら教育が大好きだ。自身の子供のことになると夢中になる親は少なくない。あれをさせよう、これもさせよう、あの中学に入れよう、はてはあの海外の大学院ーと、こうなる。僕はチビどもにはほったらかしで臨む。僕と妻が家で勉強をしている限り子供が勉強をしないというのは、ちょっと考えられぬ。肥満のトレーナーについて肉体改造に励むオッサンがいないように、スマートフォンとやらでひたすら遊ぶ親父と同じ屋根の下で勉強に精出す子供もあり得ない。

◯家族での会話が討議=ディベートにならない。チビたちが幾つになったら移民政策や日本企業の人材政策やエネルギーの問題について話が出来るようになるだろう。家族だからこそ、こういう公的な議論をしないといけないと僕は思う。家族でこういう議論をしていなくて、いきなり中高生あたりで「自分の意見を言え」と言われてもそりゃ無茶な話。

◯子育てをすると、というよりそれにわずかばかり関与すると、ヒトの乳幼児がいかに他の動物、特に高等な哺乳類に近い動物であるかを実感する。それはつまり生まれたばかりのヒトが如何に成熟したヒトから程遠いところにいるかを物語ってもいる。乳を飲んで泣いてウンチをして寝るしかしないヒトの赤ちゃんが、15年もすれば多言語を操りヘーゲルを読みピアノを弾き、あるいは人を騙すのだ。この15年間の脳の成長というのは単純に驚異的だ。犬の赤ちゃんと成犬の知能レベルにおける差を考えてみるとこのことは決定的だろう。とはいえ、恐ろしい話でもある。これだけ凄まじい機構を頭部に詰め込み、それが人生の最初期に一気呵成に成長するのだから、良いものも悪いものも全部丸めて柔らかな脳は吸収してしまうだろう。親の夫婦喧嘩、親父の仕事の愚痴、テレビの馬鹿話、etc。我が家にはこの三つは少なくとも絶無也。

◯今後2050年に向かって日本の外交政策の最大の課題はなに?と訊かれたら、僕はアメリカを東アジアのパワーとしてここに残すことだと言うだろう。と、思いつつ、ふと棚からボリス ジョンソンさんの「Churchill Factor」を取り出して読むと、チャーチルが如何にルーズベルトのアメリカを大西洋を超えて欧州戦線に参戦させるかに苦心したかについて丁寧に描かれていた。タイムリーなり。21世紀の今の時点から見ると、米英が手を携えてD-Dayにノルマンディに上陸したことは、さも当たり前のことのように思えるが、そうではない。1935年には米議会は中立法を制定し、米国からのいかなる国への武器輸出と船舶による武器輸送を禁止していたのだから。真珠湾攻撃のあの日、チャーチルが嬉々として「今夜はぐっすり眠れる」と言ったというのはそりゃそうだろう。バトルオブブリテンで如何に優秀なスピットファイヤのパイロットが勇猛果敢に独空軍の爆撃機を叩こうが、米国の第二次世界大戦参戦無くしてチャーチルはヒトラーに勝てなかったであろうことはほぼ疑いがない。チャーチルは、大英帝国と自身に流れる血に凄まじいまでの誇りを持ちながらも、同時に英国から独立した若いアメリカという国の漲る力を的確に見通していた。日本の政治家は、「日本とアメリカは価値観を共有する太平洋の同盟国だ」ということ以上のなにをワシントンに向かって語るか。ちなみに、チャーチルはルーズベルトにけっしてこうは言っていない。「イギリスは戦えない、だから助けてくれ」。そうではなく、こう言ったのだ。「共に自由のために戦おう、血を流してでも」、と。