2016年1月31日日曜日

勝つための歴史

戦争の悲惨さをひたすら叫んできた平和教育は、死んだ兵士の名を東条英機と山本五十六以外に誰も知らぬというガキの大群を生み出した。この二人さえ知らぬとニホンジンという珍種の動物もその辺に棲息していよう。兵士の遺書を読み、日記を読み、彼らの日常に触れることによって、彼らにとって戦争がいかなるものであったかを追体験し、のみならず自身をその立場に置いて考えるという機会を持たずして「命の尊さ」なんぞあったものではあるまいに。
日本人は、本当にあの戦争を顧みて反省してきたのか。ただ無視しただけということではないのか。そして、無視した事さえ今や忘れつつあるのではないか。
平成を生きる日本人は、人種としてはいまだに戦中戦前と繋がっているが、歴史的社会的存在としては全く別の生き物になった。
それが良いことか悪いことかは知らぬが、ただ歴史を知らぬということが将来において我々に馬鹿げた判断をせしめないことを祈るばかりだ。
いま世界と自国の歴史を誰よりも勉強しているのは、間違いなく中国だ。それは趣味としてではなく、生き残るため、勝ち残るためなのだ。

2016年1月2日土曜日

「子供」はいつ「大人」になるのだろう

と、いう問いを自分に問うてみても、正確なことはわかりはしない。

だが、人類の約40万年の生存史のなかで、年少の子供たちが純粋に「子供」として、つまり生産人口として見なされなくなったのはつい最近のことであるに違いない。

 

別にそれが悪いとは言わない。なんせ僕にしてからが、この20世紀末の物質文明の恩恵に被ってきた。生産活動から完全に隔離されて、父と母がそれを担当して飯を食わせ学費とグローブを買う金を与えてくれたからこそ、朝から晩まで16歳の大金持ちでもない家の息子が野球という「遊戯」に時間を費やせたのだ。これは瞠目すべき近代資本主義に起因する史上例を見ない生産性の発展、20世紀後半の膨大なる富の蓄積、そして国民国家による普遍的な教育制度の確立なしにはあり得なかったと思う。人生の初期に十分な基礎学力や問題を発見する力、他者と議論して論理的に意見を述べる力などを習得することは、社会で何事かをなそうとする人にとっては数千年の昔から洋の東西を問わず必要欠くべからざるものだ。人類と地球を裨益するところ大なる基礎科学の驚異的な発展も、人類がみな10歳で鍬や鋤をかついで昼に夜に働かねばならぬ社会では、到底あり得なかった。もちろんこういうからといって僕を近代をただ礼賛するものだとは勘違いして欲しくはないのだが。

 

が、この年末にふと疑問に思うことがあった。義兄の家で小学用の餅をつきながら、たくさんのチビたちが足下に遊ぶのをみて、「この子らはいつ"大人"になるんだろう?」と漠然と考えた。

 

たとえば、かつて武家の男子であれば、元服という単純明快な基準があり、ここを過ぎれば戦にも行くし、いっぱしの男として扱われた。そうであったならば、少年たちは自然と父や兄から彼らの元服の時の話や初陣の話を聞いて、10歳の頃から切歯扼腕来るべき闘争の時代に向けて心身を引き締めていたであろう(江戸時代には初陣などないが、それでも武士の論理が2世紀半生きつづけたことは幕末の武士達の言行録からも明らかだ)。

その意味では、彼ら武家の年少の少年にとっては、幼児期でさえやがて来るべき当主・領主・武将としての大責任を肌身に予見しながらの予行演習的な時間とも言える。つまり、純粋な意味での「子供」ではなかったと言える。

 

この点、21世紀初頭の日本に生きる幼児・小児らは、純粋に「子供」であるような気がする。あるいは、より穏健に言えば、そういう子供たちが相当多数を占めているように感じる。

もっともこのことは、上に述べた通り僕の成長過程においてもそうだったわけで、視野を過去50年に限定するならば特段新しいことでもなんでもないし、子供が子供らしく生きられる社会が素晴らしいものだということには僕も完全に賛成する。

ところで、ここで僕が「純粋に子供」であるという時、それが意味するのは、大人とは異なる行動規範、人間関係などのルールが彼らに適用される子供のことをいっている。

つまり、年少であるという事実のみによって、大人たちの人間関係とは異なるルールが適用されうるとき、僕はその子供を「純粋な子供」と呼ぶ。

 

僕の問題意識はここにある。

大人たちの人間相互の関係を規定するルール(もっとも原理的なものとして、挨拶、礼儀などに関するルール)が未だ自身には適用されず、それに従うことが期待されない子供たちは、いつからこのルールに服するのだろうか。

何時、誰が、彼らにそのルールの存在を伝えるのだろうか。

自分の母のことを「クソババァ」と罵っても「もうそんなこと言わないの」としか言われない小学生の恐るべき幼稚性は、いつ誰がこれをあらゆる意味において誤りであると伝えるのだろうか。


僕自身のことを顧みると、父は僕のことを子供扱いしようとはしなかったように思う(祖母と母は別)。それは、彼が、僕が毎週楽しみにしていたドラゴンボールZを観ることを断然拒否して「7時にはNHKのニュースを観るのが常識じゃろうが」と言い、テレビのチャンネルをなんの戸惑いもなく換えたあの態度に象徴されている。もちろんこれを「単なる我儘な親父だ」とは言いうるし、そう考える人がいまは多数派かもしれない。しかし、僕は、我が家にこんな、今となっては偏屈親父ともいうべき父が家に在ったことが有難いことであったと今更思うのである(祖母がいたことはもっと有難かった)。あそこですんなりとドラゴンボールZを観ることを許す優しい親父であったならば、僕は今の僕の在り方とは、精神的にも肉体的にも恐ろしく異なる人間となっていたものと確信していて、それは僕の喜ぶところでは全然ない。

さらに、中島少年野球の秋葉監督と城東高校野球部の山崎監督も、僕たちを子供扱いしなかった。何故といって、「勝つこと」が最重要の目的だったからだ。

この二人の監督たる人間の「情熱」こそが、教育者たるべきものが持つ最重要の要素を体現し尽くしている。彼らは「子供」たる僕たちに対して優しくはなかったし、そんな必要を露ほども認めていないようだった。だから、そういう人たちに自分を認めさせるのだと躍起になって僕たちは努力しようとした。思えば、「人間はただ在るだけで意味なんぞないだろうが」と、天賦人権論を大学で学んだ時に精神的蕁麻疹が出たのは、これらの経験と無縁ではない。

 

こういう疑問など不要と一笑に断じる人も多い事と思う。人間は段階的に成長し、やがてみな凸凹の道を通ってそれなりに大人になっていくものだからである。

しかしながら、自身も人の親となった僕は、我々の子らがどうやって大人になっていくのか、どのような大人になっていくのかについて重大な関心を持たずにいられない。それは、ただ我が子可愛さの故のみならず、教育こそが国家100年の計であるためだ。その意味では、「子供」がいつ「大人」になっていくのかという問いは、まったく無駄なものでもなかろうと思う。なぜといって、彼らはたまたま2016年のま幼少期を生きているだけであって、彼ら彼女らの人生の大部分は「大人」として過ごすのであり、また青壮年時代こそが社会と国家に個人が貢献する最大の可能性を持つ時機だからである。

 

論点から脱線するが、教育者について僕はこう思う。

人間を教育できる人間がいるとしたら(いるのだが)、それは自身の人間を徹底的に高めるために絶えざる努力を積み重ねる者だ。そして、教育のプロでもなんでもない一個の親たる僕は、自分の「生き様」を娘に見せることによってでしか、彼女らに何かを伝えることはできはしない。いや、伝えられるというのは妄想であるやもしれない。それでもいいのだ。

我が家の子らは、社会に奉仕することを以って自らの喜びとする人間に育って欲しい。そのためには、親たる僕がそのような人間たるべく日々努力を積み重ねることしかできることはない。

「子供の事を論じても最後はやっぱり自分語りに終着するのか」という批判は甘受しようと思う。もっとも、人間の世の中、完全にコントロールできるのは僕という一人の人間のことだけである(それさえ俺はできていない)。3歳の我が子でさえもはや完全に人格を備えた他人である。だから、子や教育を論ぜんとせば、自然、自分の在り方に撞着するのは自然な成り行きではなかろうか。

 

この正月の小論の最後に菅子のこの言葉を引くのは無駄ではなかろうと思う。

 

「一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し。

 一樹一穫なる者は穀なり、一樹十穫なるものは木なり、一樹百穫なるものは人なり。」

 

2015年8月6日木曜日

人間と核兵器

70年前の今日、広島の街に原爆が落ちてきて炸裂したという事実よりも、一人の人間が明白な大量殺戮の意図を持ってあの作戦を実行するよう命令したという事実のほうがはるかに怖い。核兵器は怖くないが、人間は心底怖いと思う。
「核兵器は恐ろしい」という言説は、実のところ、「人間は悪しきものだ」「人間は恐ろしく残酷なものだ」という事実から目を背け、モノに大量虐殺の責任をなすりつけようとするものでしかない。


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幸せな結婚

幸せな結婚とはいいものだ。しかし幸せな結婚だけで満足するような男は、幸せな結婚などけっして手に入れられない。




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2015年7月28日火曜日

死者との邂逅

たまに、横浜の閑静な住宅地の兎小屋に暮らす二人の娘を不憫に思うことがある。それは、俺の所得の故の兎小屋住まいについてではなくて、その閑静な住宅地の非歴史性と死者の不在のことである。

俺がガキの頃ーはや30年も前のことになるわけだがー、姉貴や近所のにいちゃんねえちゃんたちと、小さな祠に控えめな鳥居を備えただけの狛犬様と呼ばれる、それはそれは小さな社でよく遊んだ記憶がある。全国どこでも同じだったろうが、小さいとは言っても自分たちの背よりはうんと高い鳥居の上に小石を乗せることを競って遊んでいた。石が乗せられたら良いことがあると信じていたかどうかははっきりと覚えていないが。
近所の墓も集落の所々に点在していて、そのそばを少年野球の練習の帰りや釣りの帰りにいつも通っていた。民家の隣に墓が並んでいることは当たり前のことだった。祖母は何よりも自分の家の墓参りを大切にしていて、野球の練習の合間に雑草の駆除に、少し離れた墓まで俺がついて行くと、「おじいさん、基君がお墓をきれいにしてくれましたよ」といつも優しく語りかけた。俺としては草むしりをしただけなのに、一度も会ったことがないじいちゃんやいつも怖い顔をしていた曽祖母の顔がありありと思い出され、クソガキなりに姿勢を正したものだ。
家の離れの北側にも、高さと幅と奥行きを合計してと1.5メートルはないと思われる小さな祠があって、祖母はいつもこれの水を替えていたと記憶している。この祠は今もある。
家のなかには曽祖母の額入りの写真やじいちゃんの額入りの写真もあって、もちろんそれらが掲げられている御座敷には恐ろしく古ぼけてはいるが重厚な仏壇と、今にも千切れて破れてしまいそうな「天照大御神」の掛け軸があった。犬養木堂翁や三島中洲先生(山田方谷先生の一番弟子で大正天皇の侍講、河井継乃助先生の兄弟子)の書などがもぽつねんと掛けられていた。
とはいえ、これらは岡山県倉敷市の少し古い家なら当たり前のことで、似たような家の誂えを近所のどこでも見た記憶がある。言わば、田舎ものにとっての1980年代の通常の生活風景と言えよう。

時は流れて四年前の春、俺が妻を両親に会わせるため連れて帰った時、頭のなかでは別に親への挨拶なんてどうでもいいことで、それより「ご先祖さんにはよ報告とありがとうを言いにいかんと」という思いばかりだった。初めての実家への挨拶の時にお墓参り?なんて言われたら、これは世界観と家族観と歴史観についての大いなる齟齬としかいいようないから、その時は結婚はなしだろうな〜残念だな〜とも思っていた。もっとも、自分が選んだ女がそんなしょうもない女であるはずがない、とも思っていた節も確かにある。

で、5月の連休のある日の夕方。何故か北を向いた低い山の斜面にある我が家の墓を二人でざっと掃除し、俺は缶コーヒーのBOSSのブラックを2缶、先祖墓に置いた後、墓に向かって正対、最敬礼をした。「さて、帰ろうかね、ありがとうね」、と妻に言うと、彼女はこう言ったのだ。
「うん、おじいちゃんたち、喜んでくれたかな」と。
それはぶりっ子することが世界トップクラスに苦手な我が妻の、深い真心からふっと漏れ出た感情が言葉になったものであるということぐらいは若い俺にも容易に察せられた。「この人間は、俺よりもさらに強いご先祖さんとの紐帯のなかに生きている、この時代錯誤女...!」、そう確信した瞬間だった。

多少惚気ているようだが、それが目的ではない。実際、妻の両親の実家の鹿児島は大隈半島南部においては、墓はほぼ必ず家屋の側にあって、日参が基本である。毎朝顔を洗うように墓に参る。南国だからか、数日おきに替えられる豪華な赤や黄色やオレンジ色の花がすべての墓を飾っていて、集落のなかで最も華やかなのは実はお墓であるという面白い風景が現在も残る。

翻って俺が現在暮らす横浜市のある私鉄沿線の住宅街には、墓も神社も地蔵さんも何もない。どれだけの家に仏壇があるだろうかとも思う。街には、駅の周辺に幼稚園や保育園、スーパーやクリーニング屋やフィットネスクラブ、本屋や居酒屋があり、まぁ生活するには便利なことこの上ない。そんな街で子供達が遊ぶのは、横浜市がその潤沢な財源で維持している、ありがたいほどに手入れが行き届いた緑の多い公園である。

普通に考えれば、なにも不満の言いようがない子育ての環境に思える。安全で、歩道は広く、暴走族のような輩もおらず、夜は森に彷徨い入ったのかというぐらい静かである。近辺には私立の進学校やインターナショナルスクールとやらも複数あって、先立つ物さえあれば教育についても心配はない。

だが、何かが欠けているーーー俺はそう胸中でずっと感じていたのだ。
それは、自分を生んだ父や母の両親やその親たちが、確かにこの地に生まれ育ち、子をなし、そして死んでいったのだという明白な実感と、クソガキの俺が祖母とともに体験したご先祖さんとの邂逅の場所である。
ここには、死者の居場所はない。いま生きている人間にしか存在しないものとされている社会において、死者たちは居場所を与えられず、遠い空で星にでもなってキラキラ悲しく輝いているんだろう。

自分は何者なのかと20年間問うてきた。未だに答えはありはしない。だが、少なくとも、俺はご先祖さんが必死に命をつないできてくれたことの結果として、この平成の御代に暮ら1人の男であるとはっきり言える。そのご先祖さんか、どこで生まれ、どんな暮らしをしてきたか、わずかばかりだが聞かされてきた。
結局のところ、俺はそれ以上の存在ではありはしないのかもしれない、とも思う。だが、それ以上ではないかもしれないが、それ以下ではけっしてないのだという自負と自信も確かにある。たくさんの人たちが命を繋いできた結果として、たまたま自分という存在があり、その事実にいくばくかの感動を覚えるのあれば、自分とは異なる他者として、死者を分け隔てることはもはやできはしない。

歴史とは、所詮我々が恣意的に解釈した過去の出来事の総体であるかもしれない。だが、教科書の歴史とは別に、手で触れられる自分自身の歴史が存在するのだ。多くの人がそれをまじまじと見ようとしないだけで、死者たちはすぐそばにいるのだ。

上に述べたような祖母との墓参りでの経験を、人によってはなんじゃそれはと笑うことたろう。
だが、大学院時代の京都の夏の夜半、賀茂川の芝生に寝転がって、満月に照らされた北山連峰の稜線を見はるかし、涼しげな虫の声と嫋やかな川のせせらぎに耳を休ませるとき、確かに俺は自分がこの世にやってくる前にも同じように流れ続けてきた膨大な時間を強く自覚したのだ。それは、俺の親父がクソガキだった時間であり、俺の祖父がオシメを曽祖母に替えてもらっていた時間である。
あれは、宇宙的でありながら、これ以上ないほど刹那的な瞬間でもあった。あの賀茂川での体験は、祖母とのあの墓参りと俺という人間の地中深くで時空を超えて深く強く繋がっているのだ。







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2015年1月12日月曜日

雑記

◯我々にとって最も容易いことは、人を批判し、自身の境遇に不平を言い、さして重要でもない事柄に怒りを表わすことだ。この3つは本当に誰にでもできることだ。この3つを三ヶ月だけでもやめることができるならば、貴様は一端の紳士になっているに違いない。

◯我々は国務大臣や大企業のトップに立って初めて祖国を背負い歴史に対面するのではない。どれだけ小さくとも1人の責任ある大人として生きる限り、家族を含めた自身の見える範囲の者に対する責任は、総理大臣が国民の幸福と安寧と歴史に対して負うあの責任と性質において変わるところがない。人間はそうやって自分を鍛え上げていくことで、やがてくる大きな舞台に向けて少しづつ準備を重ねていく。無駄な準備になったとしても全然かまわない。「人間」がでかくなっとるんだから。それは進化を責務とする我々にとって、一つの勝利であるのだから。

◯チャーチルがダンケルクが陥落する直前に、「たとえフランスが降伏しようとも、我々はただひとりでもヒトラーと戦い続ける、さもなくば合衆国の援助などなく、世界は我々の威信を疑うだろう」と言ったという事実は、東アジアに巨大な軍事大国の勃興を見、かつての大英帝国とおなじく合衆国の軍事力に恃むところ大なる今の我が国にとって示唆的である。

◯本田「我れ拗ね者として生涯を閉ず」読了。さすがに俺が出会った人間のなかでもっとも予定調和的で日本的な会話が成立しない内田の推薦本だけあって、面白い。「生き様」という言葉も日常使われなくなったが、まさに生き様である。新聞記者が日本を変える、その純粋な覚悟と実行に戦慄しつつ、深い敬意を表したい。だが、奥さんは大事にしないといけない。



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2015年1月4日日曜日

初詣

久しぶりの靖國へ。
実は初詣の時期に来るのは初めて。
屋台が沢山参道に並んでいる。

靖國に並ぶ屋台は平和の香
硝煙なき世を尊しと思ふ

もいっちょ。

靖國の父よ兄貴よ先輩よ
我も祖国の基なるらん

神保町で、以下を購入。

-「出家とその弟子」
-「ザ・フェデラリスト」
-「アラビアのロレンス」
-「三十三年の夢」(宮崎滔天の自伝。平成人にはよい漢文の勉強ならんや...)
-「塵壺」(河井継之助の日記で、方谷先生の高弟にあたる三島中洲先生が明治23年に長岡の悠久山に作られた河井継之助の碑へ寄せた撰文も収められている) 

2015年1月3日土曜日

犬か阿呆かの選択

貴様がその昼飯を大戸屋で食らうのはなんのためだ?
腹が減ったから食うのか?犬か貴様は?
日本の未来のために食うのか?阿呆か貴様は?
犬か阿呆、人生色々なんて言うが、実はこの犬になるか阿呆になるかのどちらかしかありゃしない。


平成二十七年年頭雑感

◯トマス・ピケティを「こだま」のグリーン車でじっくり読む。民主主義にとって資本主義的産業社会における経済成長が極めて重要なのは、それが経済的平等と関連するからだ。ある人が親から相続した資産は、高い経済成長率を維持する国にあっては、経済が停滞した国におけるよりも価値が低く、結果として個人は自らの力で富を築くほかない。他方、低成長の経済では、相続する資産が少ない人は、自らの労働によって生まれた時からの経済的な格差を克服することが困難だ。もちろん成長は新たな富の不平等や分配を生むだろう。しかし、それに対して個人個人が如何に納得できるかということは、我々が想像する通り重要と思う。
バブル崩壊後の日本のデフレが日本国家にとって恐ろしいのは、経済の縮小がそれによって富める者とそうでない者を社会的に固定し、一つの国家のなかに話す言葉以外は共有するものを持たぬ階層=クラスを生み出す可能性があるからだ。
アベノミクスが目指すインフレ率2%がやがて実現するとして、この時実質成長率1%を目指すとしたら、名目成長率は3%が必要になる。人口が減少していくため、一人当たりGDPの成長率は3%を超えないといけない。従って、2015年に500万円の所得を得ている人は、2020年に580万円の所得を得て初めて1%の経済成長の恩恵に預かったということができる。名目で3.5%となれば、ほぼ600万円が必要になる。

◯仮にアメリカの19世紀後半のフロンティアを求めての西進が、21世紀のこの時代に行われていたら、恐らくそれは今の「イスラム国」の怒涛の勢力拡大と同じように報道されるかもしれない。イスラム国は、単に「イスラム過激派武装勢力」という範疇を超えているように思う。イラクから権力が消えシリアが数年来の内戦でボロボロになるなかで、第一次世界大戦のあとにサイクス・ピコ協定などによって人工的に形成されたイラン、イラク、ヨルダン、シリア辺りの政治秩序を、新たに塗り替えんとする運動なのではあるまいか。首切りを擁護するのかという批判が来そうだが、ただこの運動を歴史的な文脈のなかに置いて理解したいのである。

◯なぜにマンションの広告チラシに「データでみる青葉区の行政ランキング   私立中学校進学率No.1!」なんてものが書かれているんだろうか。素朴に読むと、「公立中学校が暴走族やヤンキーだらけだからみんなコストをかけてでも私立に行かせるんかな?」と田舎もんは思ってしまうんだが、それとも横浜市は青葉区の住民が私立中学校に通いやすいように補助をしているんだろうか?(橋下大阪市長は、府知事の時に大阪府に私立高校授業料支援補助金制度を作った)。

◯今朝の日経朝刊一面の左側に「なくせ偽装バリバリ」。つまりは仕事してないのに仕事をしているふりをして残業したりするのをやめようということ。
総論で賛成なんだが、「無駄な残業」を数年来やってきたサラリーマンとしては全面的には首肯できない。
確かに、夜日が沈んでからオフィスや工場に残ってダラダラやっていても生産性は低いだろう。だが、仕事の振り分け、英語でいうジョブ ディスクリプションがあるようでない日本企業においては、実は若年者が知識の部分で年配の連中に追いつくには残業の時間というのは非常に重要である。例えば用もないのに21時から2時間くらい大昔の契約書をコーヒー片手に眺めていたら今の商売に使えるアイデアが得られるとか、夜遅くになると近くに座っている普段ろくに話もしない先輩がやたら商売の歴史を語り出すとか、そういう泥臭い、不恰好な、「生産性」を求めるという合理的思考では掴みきれない価値が、俺もやってきた「残業」というもののなかにはあるのではないかと思う。
ビジネスの現場において無駄を省くことは当たり前のことであって、俺が勤務する商社の「朝バナナ、残業禁止」は沢山のメディアが特集するほど有名にもなった。
だが、我々保守主義者は、ハイエクに倣って、アプリオリに「何が無駄で何が無駄ではなく必要か」を完全に知悉できるほど賢くはないということもまたしっかりと銘記しておかねばならない。たまには、阿呆なほどの大無駄も、未来の躍進や革新には必要なのである。つまり、高校時代の理不尽や今風に言う「体罰」にだって幾許かの意味があるように、この世の中、豚や牛の糞さえも人によっては大切なものなのだ。
ま、これからは自宅のトイレからでも渋谷の40階のバーからで自在に仕事ができる時代だ。

◯米軍が本格的に無人機を攻撃用途に使用し始めたのが2000年代前半のアフガン戦争、イラク戦争だった。それから10年、Amazonが無人機で本を宅配しようとしている。10年先を普通の人が見通したければ、世界で最も最先端の技術を金に糸目を付けずに開発している米軍を観察するとよいかもしれない。十分ではないとしても無駄にはならないだろう。
HPからしてガンダム的で未来的な米軍国防高等研究企画局(DARPA)のサイトはこちら。

◯安倍政権の最大の課題が経済であり財政であることは言うまでもない。
しかし、与党が衆院の3分の2を支配するというこの状況。この時機を逃せばいつあの醜悪な他国の人が勝手に書いた憲法と呼ばれるものをいつ改正できるのか。
国民主権を謳いながら、起草したのは米国人というのは異常である。不磨の大典などこの世には存在しない。
戦後70年の今年は、2085年までこれまでの70年間と同じ時間が同じように続く70年の最初の年なのか?それとも、戦後という一つの歴史から果敢に訣別し、謂わば「戦後・後」の時代を我々の力で構想していかねばならぬ転換の時なのか。
もはや答えは自ずから明らかであるように思う。祖国の独立と繁栄と未来に責任を持とうとする者は、前例踏襲主義に遊ぶことは許されず、不確実な未来へ挑戦する勇気が常に必要なのだ。







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2014年9月3日水曜日

走りながら考えたこと

自分が生まれてきたことを呪うことは残念なことだが、それよりもさらに悲惨なことは自分が生まれてきた意味が分からないと嘆くことだ。
歴史上どんな人間も誰一人として自分自身の意思で生まれてきたわけではないから自分が生まれてきてしまったという事実を呪うこともままあるだろうが、生まれ落ちてから自分で生きる意味を掴み取れないことは多くの場合自分のせいでしかないから自分自身以外に批判の向けようがない。
間違っても自分の子どもがやがて「お父さん、お母さん、私を生んでくれてありがとう」などと言ってくれるだろうなどと期待してはいけない。若い時分には自分の存在の意味不明さに懊悩して自殺を考えるような知的な人間であることを俺は我が子には望む。馬鹿という存在の特権は、あらゆる苦悩から自由でいられることであって、その快適さのためには人はけっこうなものを平気で自覚もなくポイポイ投げ捨てる。
日本語を解するよいになったら子どもにはこう言おう。

「お前の人生はクソにも花にもなる。お前次第じゃ。わしは手伝いはするが、やるかやらんかはお前が決めい。」

まー、わかっとるんだがね。
何がクソか何が花かについて、こいつらとは分かり合えないということは。
それが、とどのつまりは人間は一人であるということでしょう。