2010年11月11日木曜日

てがみ

掴まり立ちをした姪への手紙。
姪はね、なんとGmailアカウントを持っているんです。
アップするかどうか逡巡したが、まぁ人の悪口じゃないし、よかろうと決めた。



あいこへ

こんにちは。

これをきみがよむのは、なんねんさきのことだろうか。
きみはきょう、うまれてはじめてじぶんのちからでたちあがった。2010ねん11がつ8にちのことだ。
おれはみていないがね。
あねきから「そくほうにゅーす」がとどいて、おもわずにやついてしまった。
きみのちちうえさまもははうえさまも、じじさまももばばさまも、きみがげんきにおおきくなってくれることがなによりもうれしいようだ。おっと、もちろんひいばばさまだってそうだ。
おれもそうだが、きみもたいそうしあわせだ。おれはこうたいしだったそうだが、きみはおひめさまだ。おやばかぶりではあなたのはははなかなかだれにもまけないだろうよ。


でもね、あいこや。
しあわせにうまれついたものは、まじめにいっしょうけんめいにいきて、しあわせをほかのひとにもゆずってあげよう。それがきみのしあわせになる。
せかいからあいされたきみならば、せかいをあいせないはずがない。たとえそれがどんなせかいであってもね。だっておれらのせかいじゃないか。おれらのくにじゃないか。おれらのかぞくじゃないか。ほかのだれのものでもない。


これからきみは、ながいながいじかんのなかで、”すうせんまんぽ”でも、”すうおくほ”でも、そのまだぷにぷにのあしであるくだろう。そのながいみちがうつくしいものであるのかどうか、いまはまだおれはすこしだけふあんだ。
でもね、しんぱいはむようだ。きみをいのちがけでまもってくれるひとがせかいにはたくさんいる。きみにほほえみかけてくれるひとがせかいにはほしのかずほどもいてくれる。
きみのおとうさんはりくぐんのぐんじんさんみたいだし、きみのおじさんはかいぐんのぐんじんさんみたいだ。きみのおかあさんはきみがうまれてからかくじつに”わらいじわ”がふえた。
きみがあるいていくながいみちのほとりには、いろとりどりどりのはなたちがたえずかおっているだろう。
ねがわくは、きみが、そのおおくのはなにきづき、みなとよろこびをわかちあえるうつくしいこころのもちぬしであらんことを。
ほれほれ、わかるかこのぷにぷにむすめ。

きみがだんだんにんげんらしくになっていくのがおれはとてもおもしろい。

きみはそのうちおれのことを「はげおじさん」なんてよぶのだろうね。
まくらことばは、「せかいでいちばんかっこいい」はげおじさんでよろしくたのむぜ。いいこにしてたらたまにはAston Martin DBSにのせてやろう。たまにはニーチェについてかたってやろう。
いまはしっかりおちちをのんでしっかりねておくがよい。しっかり"のう"をせいちょうさせておきなさい。

おれのはなしはむずかしいぞ。みみからはなげがとびだすほどだ。


もとい