0900、起床
0903、風呂
0938、トレーニング(40mダッシュ x 8、懸垂、腕立て、フライングランジ、その他)
1040、たまプラーザの本屋で雑誌を斜め読み。「就活本」市場の拡大はすさまじい。就職できない学生を公営の就職斡旋会社で雇ったらやっぱり共産主義なのかね。
1123、寮に戻る
1205、カフェで新聞熟読、日記、パンと珈琲
1315、寮で読書(「国家債務危機」、「ローマ帝国衰亡史」)
1540、神保町へ「ド・ゴール回顧録」「真珠湾作戦回顧録」(源田実)「ケレンスキー回顧録」を買いに行く
1625、神保町の大雲堂書店で「ド・ゴール回顧録」を手に取るも、惹かれるものすくなく、購入せず。
御茶ノ水駅近くの丸沼書店で「ケレンスキー回顧録」を取り置き願う。「真珠湾作戦回顧録」「暗黒日記」(清沢)「石原莞爾試論」(平岡)を合計5350円で購入。
1715、九段下のスターバックスで源田実「真珠湾作戦回顧録」を読む。昭和十二年の時点で、海軍内に「空中兵力威力研究会(空威研究会)」なる勉強会が存在したことに驚く。だが戦艦主兵思想(所謂「大艦巨砲主義」の根拠も、日本海海戦がもしなかったしても、なかなかに強力だったようだ。それは、次の数字によっても明らかだ。実効性を無視した場合だが。
「当時の日本海軍の主力十艦-長門型二隻、伊勢型二隻、金剛型四隻の持つ主砲を合計するならば、40サンチ砲16門、36サンチ砲80門、合計96門である。これらの主砲が一斉に火を吹いて、一分間に一発の割合で射撃するならば、わずか30分の間に2,880発の800キロないし1,000キロの主砲弾を送り込める。命中率をわずか5パーセントとみても、この間に敵の同型艦十隻を撃沈できるのである。
もし、これを水平爆撃でやるとなれば、命中率を10パーセントとみて1,600機の攻撃機を要し、約30隻の大型空母を準備しなければならない。」(P.71)
こう数字でまくしたてられれば、なるほど戦艦主兵の漸減邀撃作戦が、最期まで幅を効かせることになったのも、むべなるかなと思う。
例えば、戦艦「大和」が搭載した91式徹甲弾は重量が1,460kg(俺の車より10kg軽い)ある。これを大和が900発搭載した場合、主砲弾だけでも1,314,000kgという膨大な砲弾を抱えられる。これを(実際にはあり得ないが)一分間に一発の速度で前後9門の主砲が全力射撃した場合、100分間の間に99式艦上爆撃機(爆装310kg)のなんと4,238機分の砲弾を敵に指向できる「計算」になる。
小さな飛行機よりも、「浮かべる城」のような艟艨を目にすれば、これこそ護国の主なりという気分になったのだろうなぁ。
ともあれ、陸軍は詳しくないが、海軍には明治の秋山、昭和の米内や井上を始めとして魅力的な将星がまことに多い。でも石原莞爾は海軍にはいない。
1855、寮に戻る。家事。
1945、読書。ブログ。
そうそう、ケレンスキーというのは、ロシアの革命家のアレクサンドル・ケレンスキー。10月革命に敗れてフランス、後にアメリカに亡命してからもKGBから監視されていたそうな。1970年没。
これを読もうと思ったのは、中国の現在の共産党独裁政権というものは、過去数百年の中国の歴史からすれば全然特異なものではなくて、真の始皇帝のそのもっと前から大陸で彼らが行ってきた権力闘争の一つの結果であると思うから。ふ?
ケレンスキーの回顧録を読むための仮説は、「ソビエト革命というものは、社会主義革命ではなくて社会主義革命という看板を担いだレーニン・ボルシェヴィキによる、通常の政治闘争における一つの勝利の結果に過ぎない」ということ。まぁ、そりゃそうなんだろうけど、読んでみないと分からんことって多いからね。
ある平凡な土曜日のこと。なんとも漢字だらけな一日だ。