アメリカやイギリスに、たぶん差別はあるのだと思う。オフィスや街頭の清掃をしているのはいつもヒスパニックだし、ビルの警備員はほとんどの場合黒人だ。
しかし、それでもアメリカは(どれだけたくさんの短所を抱えているとしても)尊敬に値すると最近思う。
米国最大の原発事業者の燃料購買担当の部長級に、韓国からの移民二世がついていたり(関西電力の部長がインドネシアからの移民二世ーということがあり得ると考える人は、あまりに世間離れしている)、黒人の課長が白人女性の上司であることは当たり前だ。オバマさんが大統領になる国なのに何を今更と言われそうだが、これはすごい事だ。
日本などよりはるかに徹底した能力に依存した人事評価の在り方が、より優秀な人間をあるべき立場に押し上げることを可能にし、それが国力の源泉になっている。
ほんの50年前まで黒人は黒人だというだけで法律によって白人と同じバスに乗ることを禁じられていたのだ。
それが、ゆっくりかもしれぬし、高所得のホワイトカラーの仕事は未だに白人が圧倒的多数を占めているとはいえ、着実に変化しているように感じる(数字を出すべきですな)。
そこにあるのは、さらによい社会、国を自らの理想に従って作って行くのだという恥ずかしくなるほどの真っ直ぐな思いだ。
正しいことは何か?ということをこの国の民は問わずいられないのだ。そして、時には正しいと信じることを武力を用いてでも実現しようとしてきた。
これはシニカルな欧州人には、歴史知らずの馬鹿げた楽観主義として片付けられるのだが、それでもアメリカはこの善への止む事なき強い希求をやめない限り、強烈で多様な巨大国家であり続けるだろう。
オバマ大統領の選挙後の勝利演説での山場は、「アメリカの最高の時はこれからなのだ!」というシャウトだった。
数多の問題が山積しているのに、俺でさえ、そうかもねぇと思わされるのは、たぶんオバマさんの饒舌で情熱的な演説のせいだけではないだろう。
アメリカはまだ若い国だ。
初の黒人大統領を得てから4年、この国はいよいよ真の多民族国家になっていこうとしているように感じる。
ルターの名を与えられた革命家であったマーチン・ルーサー(ルター)・キング・ジュニアのような偉人の努力は、こういう形でアメリカの大地に結実しているのだと思う。