コーヒーを片手に高梁川へ。誰もいないはずが、俺が座った岩場の5m向こうに体長1mぐらいの猪が骸骨になっていやがる。
猪曰く、「いやー、船穂の山に長いこと暮らしとったんじゃがねぇ、死ぬるんは独りがええじゃろうと思うてわけえ時分から好きじゃったこの河原に少し前に降りてきたんじゃ。」
山桜、応えて曰く、「やー、そうでしたか。あまり見かけない人だから驚いたな。まぁしかし、僕も遠からず骸骨になるはずですからねぇ。お互いまた生まれるのも倉敷がええですね〜」
なかなか得難い出会いだ。
頭蓋骨を持って帰りたかったが家に置けないだろうからやめた。
春の高梁川の川面を優しく撫でてサラサラと心地よい音を奏でる微風は、猪の骸も俺という人間も区別してはいないだろう。
昂ぶることも気負うこともなく悠然と風に吹かれていればよい。猪の骸の骨の間を風が通り抜けるのと全く同じように、風は俺にも平等だ。