2011年12月31日土曜日

29歳の顔

べべすけ、君の両親の平成23年12月30日の顔です。
父の髭面の理由は、この数週間「坂の上の雲」のドラマをテレビで観ていたからです。だから、最近の口癖は、

"ゼット!!!掲げぇぇっっっ!!!"

母の色白の理由は、パス牛乳をよく飲んでいるからです。

伊豆、大室山に登るロープウェイにて。

2011年12月28日水曜日

年の瀬に

いつの時代も、自意識過剰な我々は、自分たちが生きている時代は特別だと思いたがるものです。
自分という個人が社会のなかで特別な存在でありたいと思う感情と脈通じるところがあるものでしょう。
自分が生きている時代で世界が終わるとか、自分は世界の大転換の時代に生きているとか。
自分の死が世界の終末や現在の世界のあり方の終わりであると信じたい人は、確かに一定数存在します。

東北での大震災後、こういう言説は強化されました。
そりゃそうです。
映画「ディープ・インパクト」のような世紀末的映画でしか観られそうもない巨大津波が文字通り町そのものを飲み込んでいくところを目撃した我々は、原子力発電所の破滅的な危機も相俟って、世界はもはやこれまでと同じではありえないとか、世界は変わらなければならないとかいう多くの声を聞かされています。
もちろん、それは、多くの利益団体や既得権益者にとって、自分に望ましい方向に社会を変えるための最大の機会であるという大きな理由もありますが、最初に書いた理由からも、恐らくそれだけでは説明できぬものでしょう。

同じ年に、近代国民国家を真っ先に作り上げた欧州はといえば、終わりそうもない金融危機にのたうち回り始めました。
そして、民主主義が必然的に招導する財政における社会民主主義が、論理的帰結として財政危機に至るという現実を我々は目の当たりにしています。
そして、それが破裂したとき世界がどうなるのか、誰しもが固唾を飲んで見守っている、なんてことはありませんね。

大袈裟に言えば、産業革命以降の世界を形作ってきた技術主義と、資本主義と国家主義のアマルガムとしての大いなるシステムが終わろうとしているという時代認識がかつてないほど強烈に意識された年が終わり、新しい年がやってくるわけです。
だけど、新幹線は去年と同じように今年も年末年始の帰省客をいそいそと大量かつ正確に運ぶし、阿呆な芸能人はハワイに出かけ、大衆はその映像を居間のコタツで観させられるのです。

東北が、日本が、どれだけの損害をこうむったとしても、それは日本人1.28億人全員の生活を変えたわけではないし、まして世界をひっくり返したわけではないのです。

我々はひたすらに終わりなき毎日を生きて行かねば、生き抜いていかねばならぬということです。
年の瀬で区切りがつくものなんて、実際のところ何かひとつでもあるでしょうか。
恋愛、夫婦関係、仕事、戦争、外交交渉。
北朝鮮のミサイル、拉致問題。中国の海洋進出。欧米と日本の債務危機。
すべて、今日のこの日にも大いなる問題であるし、来年の元旦にもそうであるし、恐らく来年の年末にはさらに悪化しているのでしょう。

だから、年の瀬だ年賀だといって、ひたすらに流れていく自分の人生や歴史に、なにか決定的なものが生まれるわけではないし、新しいものが始まるわけでもないのです。

むしろ、これだけの危機の年の後であっても、こんなにも普通に正月がやってくることの異常さに注意したい。
そして、そう思うとき、我々の人生はどこまでも、ひたすらに平凡なものだと思い知らされます。
これだけ破滅的と思われ、実際そう言いふらされる地震や危機の只中にあっても、我々が生きているのは平凡なる日常でしかないのです。

人生に意味などない。そうかもしれません。
確かにあるとは言えない。少なくとも、「俺の人生には意味がある」ということを証明することは絶対にできないのです。
肉親を失った多くの同胞に、そう強く言いたいとも思わないし、それが正しいことだとも思えません。

だけど、そうやって平凡な毎日のなかに一度沈み込んでから、泥にまみれて這い上がってくるところに、我々の命が輝く場所が漸く存在するのだと思います。

人生を、「どうせ終わるものだから」と思って享楽的に生きて快楽主義に堕していくことも、あるいは阿呆な宗教者のように人生に大前提的に意味があると考えて熱狂することも、はたまた自分が他の時代とは異なる特殊な時代を生きていると妄想することも、畢竟、格好悪いのです。

格好良く生きよう。
断固たる決意を持って。

俺のために生きてくれたすべての人のために。俺の後に続くすべての人のために。

すべてを受け入れながら、しかしすべてに反抗しながら。

三谷原基拝

2011年12月23日金曜日

CDGにて

面白い本を読んだ。
小倉恵美子「オオカミの護符」新潮社、2011年。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%AD%B7%E7%AC%A6-%E5%B0%8F%E5%80%89-%E7%BE%8E%E6%83%A0%E5%AD%90/dp/4103316918
「社会にとって大切で必要であるけれど、まだ仕事になっていない多くのことがある」という言葉に強い印象を受けた。
その通りなのだ。
どれだけ優秀であっても、誰かが作った仕事をしている限り、どれだけの成果をあげても単なる秀才の域を出ない。
親になる身としては、我が子には「将来どんな仕事をするか?」などと訊くのは絶対しないことにしよう。ばかげている。
ただ、こう伝えるのだ。
「お前は日本を背負うために生まれてきたのだ。しっかりやれ」
こう言っておけば、まさか「職業の名前」で仕事を選ぶような阿呆にはならんだろう。そんな輩ばかり見えるのだが。
ところで、このオオカミ系の新しい本だが、抜群である。
俺が暮らす横浜市青葉区から程近い川崎氏宮前区土橋に昔からある”百姓”(なんで”百”なんでしょうね)の家に生まれた著者は、東急電鉄の大掛かりな開発によって田畑しかなかったこの土地がどんどん見目麗しい先進的な郊外都市になっていくのに戸惑っているとき、ふとオオカミの護符が彼女に目に入ってきたという。
そして、物語は青梅の御岳山のオイヌ様信仰を謎解きに至る。
青梅のオイヌ様といえば、その昔神武天皇東征の折に、このあたりに到着したとき、この地の神が怒って巨大な鹿を神武天皇の前に遣わし道をふさいだときに、二頭のオオカミが現われて神武天皇を導いたという伝説がある。
俺が、去年「狼=大神」というタイトルでこのブログにひとつ記事を書いたのはこの伝説に因る。
こういうふうに歴史を学ぶべきなのでしょうな。
織田信長が毛利ヤノスケに桶狭間で一番の褒賞を与えたとか、真珠湾攻撃のときに山口多聞は第二次攻撃をやる気満々だったとかいうも歴史なのだが、そうではなくて、自分の先祖が何を信じて何を思って生きてきたかということを知ることが、一番大切ではないのか。
そして、そういうことを物語ることが大人の仕事ではないのか。
あぁ、日本昔話を観たい。

TPP。
TPP反対というと、過去数ヶ月の間に何人かの人に「農協守って日本滅ぼすの?」と言われた。
前原さんの洗脳にどっぷりか?
このTPPは、明らかに覇権国家を諦めて帝国主義国家へと舵を切ったアメリカの東アジア・西太平洋政策の根幹を成している。
アメリカは、増大し続ける戦費をまかなえずにイラクとアフガンから撤退し、リビアにはトマホークを控えめに打ち込んだだけで大規模な作戦には参加せず、ムバラクに至ってはだんまりを決め込んでなるにまかせて失脚させた。
金融緩和と量的緩和を史上かつてないほどのレベルで行うことでドルを減価させ、輸出を増やそうと躍起である。
国内で豊富に産出されるシェールガスのために、アメリカはガスを中東から輸入する必要がなくなり、逆にガス輸出国になることすら考えられる。つまり、中東に巨大な軍隊を貼り付けておく必要はもはやない。もっとも、サウード家のアラビアが崩壊して油価が暴騰するところまでは許さないだろうが。
アメリカは、これから、世界全体のことになんでも空母を覇権する超大国・覇権国家であることをやめて、それよりも安上がりで効果的な19世紀的な帝国主義国家になることを戦略として選んだのだ。
この視点でTPPを考えるべきだ。
日本は戦後60年間、ひたすらアメリカに貢ぎ続けた。TPPはその最終装置である。もちろん国内にこのアメリカ勢力と利益を一にしている者(大手製造業、大手商社など)は存在する。その声を代表する新聞(日経)もある。
問題はイランだ。
もしイランが俺と同じように考えているとイスラエルが考えたら、イスラエルはますますイスラエルへの先制攻撃の誘惑に強く駆られるだろう。最近テヘランはホルムズ海峡封鎖作戦を実施するとかしないとか言っていたが、これなどはこういうブラフを言い、行いながら、ワシントンの反応を注意深く探っているのだろう。
アメリカが世界帝国をやめるとき、もっとも危険なのは中東である。東アジアは、将軍様が死んだといってもいまだにアメリカの強大な戦力がグアム・日本に維持されており、すぐに危機にいたるとは考えにくい。
地政学的に言えば、巨大な帝国主義国家は海洋覇権を巡って対立する運命にある。その意味で、大日本帝国とアメリカが戦ったのもマクロの視点から言えば、石原莞爾が言ったように歴史の必然であったし、これから中国とアメリカが対決をしていくのも当然のことだ。サンフランシスコの近海に中国の空母が遊弋することをワシントンが絶対に受け入れられないように、北京も台湾海峡に米空母がスィーと入ってくるのを許すことができない。
で、わが国はどうするのか。

橋下大阪市長と堺屋太一氏の共著(文芸春秋新書だったはず)を読んだ。
すべての組織は、自己の存在意義を肯定することを前提とする、激しく同感である。
だから、行政の側によって既存の行政組織(それがすでに機能していない場合)を改革してどうするこうするなど、できるはずがない。それは、大阪市役所だけの話ではなくて、つまりは日本国家のことでもある。
平松前大阪市長は、橋下氏の「大阪都構想」について、「大阪都?できるわけありまへん!」と見得を切っていた。
喧嘩慣れしていないまじめクンの発想である。
過去たった500年を振り返っても、世界でどれだけの帝国が崩壊し、王様が国を追われてきたことか。俺がいまこれを書いているフランスなどは、王様の首をギロチンでチョッキンと切ってしまった国だ。それが、自由・平等・博愛の国というのだからねぇ。
そういう歴史感覚で大阪や今の日本を眺めれば、「大阪都?できるわけありまへん!」なんて言葉は絶対に出てこないのだ。
「なぜ大阪都構想はだめなのか?」について平松氏は一生懸命語ればよかったのだ。
「これは戦です」と言う橋下氏は、政治の本質を誰よりもよく理解していると思う。
すでに利益を握っているものから奪い取りに行こうというゲリラまがいの戦い方は、すべての革命家が行ってきたことだ。多勢に無勢での戦いを始めたからこそ、革命家は革命家なのだ。
これから橋下人気に中央の怠け者政治家がすり寄って行くだろう。数年後に、橋下総理大臣ということもあながち無茶な想像ではなくなってきた。
時代を維持するのは常識人で、時代を作るのは変人奇人である。
今の日本に必要なのは、破壊である。

チェ・ゲバラの名言。殺されるその瞬間に射手に対して、
「落ち着け、よく狙え。お前をこれから一人の男を殺すのだ」
すごい。
なにがすごいのか。
彼は、別のところでこうも言っている。
「世界の別の場所での不正を自分のことのように思える人になりなさい。それこそが革命家としてのもっとも美しい資質なのだから」
彼は、自分の命を絶とうして狙いを定める射手に対して、自分のことを考えずに、射手のことを考えている。
命が奪われるその瞬間にさえ、「あ、こいつ俺を殺すのに緊張してやがる」と思える男というのは常軌を逸しているのだが、ゲバラはそのレベルの人間だったのだろうと思う。

少し前にスターバックスを設立したハワード・シュルツ氏の本を読んだ。「スターバックス成功物語」。
株主対策という面もあるから、8割りがけで読む必要はあるが、スターバックスがどういう会社になりたいのは気持ちいいいほど伝わった。
世の中、正しいことなどない。いや、あるんだけど。誰もが好き勝手を言ってえらそうにしていやがる。

子供の名前は、女の子なら「三谷原優子」、男の子なら「三谷原国義」とすることに決めた。
ぜんぜん優しくないサッチャーのような女や国の義なんてどうでもいいと叫ぶ新時代の共産主義者になるかもしれぬが、まぁそれはそれでよかろう。
なんせ俺の名前は、「基本が大事じゃろうが」ですから。
ちびすけを抱っこしてショルダープレスをしたりスクワットをしたりするのが今から待ち遠しい。

2011年12月17日土曜日

呆け頭の独り言

こんにちは。

よい天気です。
冬だというのに、南を向いた窓の傍の僕の書斎は、右舷45度からの真冬の温かい陽光が黒のアンダーアーマーをぽかぽかに温めてくれて、ついつい読書をしていると睡魔ーなぜこれは睡”魔”なのでしょうねーに襲われてしまいます。
まったく、こういう休日の昼下がりに、妻が淹れてくれたスマトラの珈琲を飲んでいると、ドイツが南欧のひとたちの生活を破綻させてでもハイパーインフレの悪夢を絶対に避けようとしていることや、アメリカが世界帝国たる目標を捨てて)、代わりに確固たる帝国主義国家としての勢力圏をTPPによって東アジア・西太平洋に作り上げようとしていることや、大王製紙の元会長のかつての香港での豪遊や、東電福島第一原子力発電所の怪しい「冷温停止」や、東北の被災地に訪れた厳しい冬のことなどを、完全に違う世界のことのように思いがちなのは、一体全体僕の想像力の欠如の故なのか、それとも一見したところ明らかな幸福の悪しき結論なのか、よく分かりません。
実のところ、最近の仕事における忙しさによって、頭が多少呆けているようです。暖房のせいでしょうかね。

僕の妻のお腹に僕らの子供が生まれたことが判ってからようやく1か月半が経ちました。
もうすぐ妻の妊娠も五か月目になります。
自分が父になる準備が完全にできたと思って父になる男がいないということは、死が眼前に訪れたその瞬間に、なんの後悔もなく健やかに死ねる確言できる男がいないということと同じように思います。
だけど、それでもみなたまに苦悩呻吟しつつ、たまに悦びに泣きながら、父となり、親父となり、爺ちゃんになり、死んでいくのでしょう。
死に向かう道程に数多ある一里塚の一つが、我が子を生み育てることであるとすれば、確かに僕はこの小さな世界のなかを走る自分の一本道の宿場のうちで、疑いもなく最大のものの一つにようやく到達しようとしているようです。だからといって、そのことが意味するものは僕の個人としての偉大さへの接近でも後退でもないことは明らかですから、僕は自分の子供だけを生きがいとして生きるようではいけないわけです。これは、絶対に正しいことです。
というよりも、生きがいがなければ生きられないという弱い男では生きる価値はないし、さっさと死ねばいい。生きがいなんぞあろうがなかろうが、ライオンはシマウマを襲うし、人間は戦争に向かうのです。

なんと言えばいいのでしょうかね。
僕は、足りぬ頭で自分の子供が生まれるということの意味を、論理的に記したいという欲求を抑えることができないのだろうと思います。
だけど、歌い踊ることが常に論理を超え出て行くように、この世界には確かに論理と科学では捉えきれないものがあって、自分の子が妻の子宮に宿っているという事実そのものが、記述の対象ではないように思います。
別に、それを感動的なことだ!と決めてかかっているわけではないのです。
なぜといって、どれだけ個人にとっては感動的で衝撃的な自分の子供の誕生も、統計的に見れば一つの数字でしかないし、産婦人科の看護婦さんからしたら、僕の子供の誕生は、僕がオフィスからお客さんに電話をして話をすることとさして変わらぬことでしょう。

子供が出来ると、死がそれまでよりも身近に感じられるという体験をした人が必ずいるはずです。
新たな命の誕生の予感はーしかも自分の命を引き継ぐ自分の子供ーは、その反対側にあるもの、つまり自分の死を、とても優しい女性的な方法で僕に突き付けざるを得ません。
新しい世代が生まれ、成長していくことは、必然的に、自分が老い朽ちて骨となっていくことと完全に生物学的に連動しているわけですから。

結局のところ、孤独と死こそが我々にとって最も大切な友人なのです。彼らは、常に僕の側にいて、僕を詰り、中傷し、励ましてくれるのです。
妻と子を、人生における救済者としてしまうところに我々男の最大の過ちがあるのです。そうすることによって、男は男であることをやめてしまうのです。いや、それが幸福であるという選択もあるのでしょうが、それは僕が認める「男」としての生きざまではないのです。
むしろ、彼らは、われわれに生きがいを与えてくれる人たちではなくて、家族という最も近い存在でありながらも依然として渾然一体とはなれぬという現実を我々に明証することによって、我々を叱咤激励してくれる、そういう存在なのだと思います。男は、無意味な人生という当たり前の現実から逃げることなく、その荒漠たる砂漠にビルを建てるように自らの意味を打ち建てる場合にのみ、男たりえるのです。
もし、自分の家族が存在しなくなったときに、打ちひしがれてすべての活力を失い末人のような風貌を曝す弱い男を、どうして妻も子も尊敬して憧れてくれるでしょうか。僕は、弱さの故につながりあう二人の関係を唾棄したい。強さと強さーそれは、互いの死を別個のものとして断固として受け入れて、個人としてこの世界に立ち上がった男女の精神の姿勢ですーで結びついた男と女でなければ、世界に「否!」と喧嘩を売ることができる個人は育てられません。

そう理解するからこそ、われわれは、「他人」である家族を愛してやまないのです。

妻が後でぼそっと言うのですが、「誠実であることは孤独だ」そうです。
ふーむ。

ではまた。
最近ノートに書きためていることを書き連ねようと思います。



2011年11月7日月曜日

合理性の陥穽

自分の将来について考えるときに、ロードマップを描いて段階的に課題をクリアしていくことはよいことだが、ここには一つの問題があるように思う。

現在から将来を見通す自分は、当然ながら現在の自分だ。20年後のあるべき自分というのは、10年後の自分がさらに10年を生きた後の自分なのだが、この10年後の自分がどうあるかついて判断するための基準は、いまこの瞬間の自分だ。

だから、この目標設定は、それまでの人生での自分の生き方や実績を考慮した上で作られる、合理的な目標になりがちだ。だからこそ、現在の自分からみて実現可能(と思われる、合理的な)小さな課題を順に積み上げて行く。

中卒の人が一部上場の会社をつくるというような"夢"は、この思考からはどうしでも辿り着けない。

将来の俺は今の自分からは想像もできないほど大きな人間になっているだろうし(というよりも、今の俺の人間が小さ過ぎる)、またそうでなければ俺は俺自身に退屈してしまうだろう。誰よりも永く付き合うのは俺自身なのだから、俺は自分をわくわくさせるような自分自身であらねばならん。そこへ至る道をいまの俺は想像できないが、もしできるならば俺はすでにそんな人間になっているはずだ。だから、諦める必要は全然ない。

つまり、可能性は上にも下にも無限だ。 俺自身が勝手に縛り付けない限りにおいて。

中庸の暮らしが保証されていない代わりに、俺は何物にでもなれる。

もうすぐ人生の半分の30歳だがこの確信は揺るがない。

中卒だった本田宗一郎は、ホンダがただの部品工場だったころから、朝礼でみかん箱に立って「世界のホンダになる!」と叫び続けたそうな。そして、この非合理的な目標を達成するために合理を超越した努力をひたすら続けた。その結果が、いまのホンダなのだ。

必死即生也。


2011年9月26日月曜日

「関東=関の東」


土光敏夫さんの書棚にあったという本を10冊ほど買ったのだが、そのうちの一冊がこれ。
高橋富雄「東北の歴史と開発」。

読書メモです。一章だけだけど。

我々はいつも何も気にすることなく「東北」とか「関東」とか「関西」と言うのだが、例えば「東北」というのは、どこか特定の場所から見た場合にのみ、「東北」と呼ぶことができるだろう。つまり、「東北」という地域が存在するためには、その反対(つまり東北からみた南西方向)に、「特定の場所」が存在しているということだ。世界システム論風に言えば、「中心‐周辺」が存在しているということになる。

東北という地方は、3月の東日本大震災が起こる遥か遥か昔から、日本という国において特殊な場所である(北海道、沖縄の特殊性と質的には同じだ)。日本という国は、神話時代から奈良時代の頃まで、今の日本国家の領土的範囲を持つものではなかった。

例えば岡山県が含まれる「中国地方」は、かつて「なかつくに」と呼ばれていたのだが、これは明らかに三備(備前・備中・備後)を中心とする地方は、かつて近畿の大和朝廷と九州に所在した地方豪族との間に所在する有力地方政権の本拠地であったことを示している。今の日本地図を眺めて、岡山・鳥取・広島・島根・山口の5県を「中国地方」と考えるものはいないはずだ。俺なら「西国地方」と呼ぶだろう。そして、群馬・長野・岐阜の辺りを「中国地方」と命名するはずだ。


つまり、著者が言うように、古代日本とは、つまりは「環瀬戸内海国家」に過ぎなかったのだ。
その真ん中にあったから、中国地方は「なかつくに」だったのだ。そして、「外・環瀬戸内海地域」は「外」であったのだろう。その証拠として著者が挙げるのが、奈良時代までに設置された「三関」である。

「三関」とは、「都の安全を外敵の侵入から守るための防護施設として最も重視された関所」である。
すなわち、伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関、そして越前の愛発(あらち)関だ。
鈴鹿関は東海道(現在の東名と考えればよい)、不破関は東山道(中央道)、そして越前国は北陸道(北陸道)の始まりとなっている。
ところが、このような関所は近畿の東側にしか存在しなかった。例えば播磨や丹後にあってもよさそうなものだが、なかったのである。どういうことか。

古代日本は、外敵は東から来るという想定のもとに都を防備を固めたのだ。「環瀬戸内海国家」は、東の端を三関において封鎖し、そこからの外敵=東国の侵入を防ぐべく備えたのである。
「関東」は、この「関の東」だから、「関東」なのだ。
なにもなしに「関東地方」なのではない。福島の白河関から見れば、「関東」は「関西」なのだから。
「関西」というものは、「関東」の出現(それは、著者によれば頼朝による鎌倉幕府樹立によって実現された)によって、それまで常に中央であったこの地域が、相対化されたために新たに「関西」という呼称を得たに過ぎない。

さて、現在の関東が中央たる都に対する辺境であるのだから、そのさらに東、さらに北の地方は、「道(=国)の奥」として「みちのおく」=「みちのく」と呼ばれ、この「みちのく」の端は「陸の奥」として、「陸奥」とされた訳である。そして、「東」は、中央=「西」からみれば、征服し植民地化し管理運営する対象だったのだ。そして、その陸奥には今は使用済み核燃用が置かれているのだ。賊藩として一藩流刑というとんでもない罰を与えられた会津藩は陸奥の斗南藩に無理矢理おしこめられたのである。

我々は、戊辰戦争を、「西」による「東」の征服というイメージ抜きに見ることができないが、この戦争も近代における明らかな「西」対「東」の大抗争というべきであろう。
明治の前の江戸時代を決定づけた西軍と東軍による関ヶ原の戦いが、古代より「西」と「東」を隔ててきた「関ヶ原(不破関は岐阜県不破郡関ヶ原町)」で戦われたということも、歴史の偶然というにはあまりに出来過ぎだ。そして、この戦い(と大阪冬・夏の陣)で「西」を粉砕した家康は、ようやく「東」の「西」に対する圧倒的優位ーそれは現在まで続くものだがーを確立した。
さらに面白いことに、江戸幕府の将軍=征夷大将軍とは、「東北を征服し号令する東国の王者」の意である。

我々は、東北を特別視する必要などないし、東北は明らかに日本国家の枢要な一部を構成する。
だが、それは、例えば岡山がそうであるのと同じような在り方ではないのだと思う。勘違いしないでほしいのだが、これは「岡山のほうが東北地方より重要だ」などと言うのではない。
ただ、神話時代以降の歴史において、東北という地方が歩んできた歴史は、あまりに違う。
明治以来日本人は、環瀬戸内海国家でしかなかった古代日本国家を2000年前から現在の日本国家に存在し続けた国であるかのように前提してしまってはいないか。
「西と東の対抗の吹きだまり」としての東北という辺境性とその歴史を眺めるときの主体の位置性には、どれだけ注意を払っても払い過ぎることはない。

「東北」という言葉が意味するところは、3.11以後の「東北」「福島」が持つ意味以上のものを既に持っていたというべきだ。そして、それに対する無関心は、日本国家を内側から弱体化せしめていくだろう。

俺は著者が最初に言う、次の言葉に共鳴するところ大である。

「わたくしは、日本がほんとうにひっくりかえるような革命的なできごとがあるといたしますと、当面の論点からする限り、それは、日本のなかで『西』と『東』の比重が入れ替わり、支配・被支配の関係が逆転することでなければならぬーそんなふうに思うのです。」

東北の復興は、「西」からの独立であるべきだ。
それは、何を伴うものであるべきか?
よう分からんから、考えよう。時間はない。


2011年9月25日日曜日

宮台真司「宮台教授の就活原論」太田出版




「就活原論」と書かれ、就活関連の書棚に置かれてはいるものの、これは就活中の学生だけに読ませるにはもったいない、しっかりとした社会論だと思う。そこらへんの新書などよりはるかに読み応えがある。
以下は読書メモです。
関心がある労働者(not 就活生)は、2~4章だけを読めば大体枢要な箇所は押さえられる。


著者は、何度も我々が会社だけに依存することなく、会社以外の場所に「帰還場所=出撃基地」を作るべきだという。平時を前提とした市場・国家への過剰な依存は、市場のグローバル化(賃金への下落圧力、雇用の不安定化、国内産業の空洞化)と国家(日本)の抱える巨額の財政赤字によって、ますますリスキーなものになりつつある。
そこにおいて我々今求めるべきは、市場・国家とは別の位相において個人の感情的安全を担保するところの「相互扶助的な共同体自治」であるべきと主張される。


余談だが、戦後日本においては、企業戦士は家庭をほとんど無視するかのように企業に忠誠を誓ってすべてを捧げ、代わりに企業は従業員に終身雇用と定期昇給を約束した。そして、より大きな産業全体は、通産省(経産省)や大蔵省(財務省)という国家の機関により統合的かつ傾斜的に配分された資源を用いて異常な速度で成長・拡大していったのだった。
つまり、戦前の国家への忠誠は、戦後は企業に移し替えられたのみなのだ。天皇陛下万歳と叫んで突撃する兵士と、働き過ぎて過労死するサラリーマンは、本質において全然違わない。


興味深いのは、というより今の俺にとって極めて興味深かったのは、「仕事での自己実現(「仕事は命です」というような労働倫理)」が、現在非常に難しくなっているという著者の指摘だ。
なるほど労働において自己実現を達成できることは素晴らしいことだ。
だが、人間の公的・私的両面の生活において、「自己実現」が必ずしも決定的に重要だとは言えないし、「今日のような日が明日もまたやってくる」という、著者がかつて唱えた「終わりなき日常」を生きるという個人があってもよい。


市場や国家に個人が依存し過ぎることの危険とは何か。
それは、リスクが顕在化した際に個人がとれる選択肢が少なくなるということだろう。結局、英国の4倍にもなる日本の自殺率はこれによって説明される部分大である。


著者が言うように、今でも田舎には現存する地域共同体のような場所での「絆コスト」(寄合への参加、川さらい、固定的で流動性のない近所付き合いなどなど)を我々は高く見積もり、それを避けるために田舎を飛び出し街へ出た。その街=東京では、企業戦士は同じ企業に勤めているという事実と深夜までの飲み会により連帯できるが、それ以外の共同体はー地域であろうが学校であろうが宗教であろうがーほとんどすべてが破壊されてしまっている。
だから、共同体としての企業(あるいはそれに準ずる者)に所属しない者にとっては、現在の都市は途方もなく厳しい場所だろう。フリーターは、一体全体どういう「帰還場所=出撃基地」を持っているのだろうか?
「いいとこどりはできない」と著者はいう。感情的紐帯を担保する地域共同体を欲するならば、その分の「絆コスト」は不可避であるということだ。それは実にその通り。自由も安全も一緒に欲しいというのは無理筋の話だ。


著者が言うように、われわれにはあまり選択肢は多くない。どのような方法によるかは兎も角、グローバル化し不安定化する市場と、それが個人に与える負の影響を福祉国家化による財政赤字のために完全には補填できぬ国家から、一定程度独立した、市場の論理と国家の論理とは異なる論理で動く自律的な共同体が必要なのだ。
そして、その根本は、家族だ。
それとともに、地方だ。大都市文化圏に包摂されず、直接に大都市文化圏・世界と繋がる地方。日本を踏み越えて世界という視座で、世界の歴史のなかにおいてその地方を歩みを見つめていくという作業が必要になる。


明日も俺は20時に帰宅しようと思う。
”高度経済成長期風豪傑先輩”が何を言おうと、俺が戦いに向けて出撃していく基地は、妻が待つこの家なのだから。

秋の信州へ②

鹿教湯温泉に一泊し、深夜と早朝の温泉を満喫した後、24日朝10時に長野市善光寺を目指して出発。
道すがら見つけた道の駅にふらりと立ち寄ると、ミョウガ・リンゴ・ゴーヤ・トマト・ネギなどなど野菜がべらぼうにお値打ち価格でおいしそう。というわけで、ごそっと買ってしまった。
薩摩芋のツルが人参の隣にあるのだが、俺も都会育ちだとは全く思わんのじゃが、これ食べられるんね。知りませんでした。
田舎に出掛けたら現地調達するのが一番賢い。少額だけど地方にお金も落ちていくしね。


それにしてもご老人たちが楽しそうに仕事をしていた。
あと田舎の軽トラ比率ってすごいね。軽トラというぐらいなんだから、虎模様の縦縞の軽トラがあってもいいと思うが、みーんな白。あれはなぜなんでしょうか。もう少し遊んでもよいと思うのだが。
蜂蜜はウェールズのもののほうが残念ながらおいしかった。

国道143号線を東へ進むと、千曲川が流れる上田市へ出る。そこで、北へ針路を取り、国道18号線を一路長野へ向かった。こういう美しい山村のなかをドライブするのに高速道路を使うのはもったいない。上田市から千曲市に向かう18号線の左手には千曲川が滔々と流れていて、こんな古めかしく美しい橋もある。その名も昭和橋。九つのアーチが連なる橋で、土木学会選奨土木遺産にもなっているそうな。
ちなみに、ここまで北上してくると分水嶺をとうに超えているので川は北に向かって流れる。高梁川、武庫川、鴨川のそばに暮らしてきた俺にはしっくり来ないがそんな俺の違和感とは無関係に水は北へ向かって流れていた。


さてさて、善光寺に尽きました。いやー大きなお寺ですな。

一か月ほど前に、あるお客さんとこういう会話のありけり。

「長野出身なんです。えぇ、善光寺の長野です。」
(長野はそりゃ分かるんじゃが...ゼンコウジの長野ってなんじゃい???)
「すみません、ゼンコウジというのはお寺ですよね?どちらにあるんですか?」
「あれ、三谷原さんご存知ないですか?あれれ。長野は有名な門前町ですよ。そりゃもう立派なお寺ですよ。」

というわけで、年内に行かずばなるまいと考えていたものだから、温泉で距離を調べるとたった60kmしか離れていないので、ほんなら行ってみようじゃないかいと、こう相成り申した訳で御座候。

善光寺は長野市元善町にある無宗派の単一寺院。山内にある天台宗の「大勧進」と浄土宗の「大本願」と14坊(?)によって護持・運営されている。大本願は、尼寺。女人禁制が主であった旧来の日本仏教のなかでは、例外的に「女性の救済」が謳われる。
欽明天皇の御世の552年に、百済の聖明王から献呈されたとされる「善光寺式阿弥陀三尊」を本尊として祭るが、これは鎌倉時代以来絶対秘仏とされ、ここ数百年の間見たものはいないとされている。






賢明な読者は「あれ?」と思っただろう。
なにって、上の写真の菊の御紋である。神社にあっては、祭神が過去の天皇陛下であるとか(例えば明治天皇・皇后を祭る明治神宮)、いずれかの皇子であるとかいう場合には、十六八十表菊、所謂”菊の御紋”を掲げる事が許される。これとは別に、官弊社などでも菊の御紋を使用することがある。明治時代に建立され、別格官弊社としての待遇を受けた靖國神社はこれに該当する。

ところが、善光寺は寺なのに菊の御紋を力強く本堂に掲げている。もちろん大門にも掲げている。
それについて物知り顔のおばさんに尋ねると、だいたいこういう背景である。

善光寺の住職は、「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務めるのだが、「大本願上人」は、「善光寺上人」とも呼ばれる。この「善光寺上人」という称号は、かつて宮中から上人号と紫衣着用の勅許を賜ったものであるそうな。住職就任のときには、跡目御礼として宮中へ参内する慣例にもなっているという。
元はと言えば、大本願は尊光上人(聖徳太子妃、皇極天皇の命により曽我馬子の娘が出家し尊光上人と称した)を開山上人とし、代々尼光上人により継承され爾来1400年の長きに亘り善光寺如来に奉仕してこられた(善光寺大本願HPhttp://www.daihongan.or.jp/より)。
突っ込まれたら説明に窮してしまうのだが、つまりは大昔から皇室と大本願上人は密接な関係にあって、現在でも大本願上人はかつての公家から迎えられている、とまぁこれは間違いなかろう。


この坊主さんは「大勧進貫主」。「ありがたやありがたや」と言ってみんな頭を撫でてもらっているのだが、俺は自分が犬みたいに思えてしまうからこういうのはいやです。

近代日本国家と仏教の関係なんぞ全く勉強したことがない。
明治期の廃仏毀釈運動のなかで、大日本帝国は仏教とは袂を分かち(神武天皇が天照大御神の直系の子孫であるという日本書紀の神話にもかかわらず、例えば聖武天皇・桓武天皇のように、歴史において神道よりも仏教を厚く保護した時代も多かった)、実質的に天皇陛下を、神道と深く繋がる国生みの神話時代からの歴史と連結することで、国家としての正統性と担保しようとしたぐらいにしか理解していなかった。
だが、それでは一面的かつ浅薄に過ぎる。仏教は、巨大な宗教であり、我が国の成り立ち(Nationhood)を理解するうえでどうしてもこれを避けられない。明治の時代までの千年以上に亘り、日本国家と仏教は密接な関係を維持し続けたのだから。
これを理解していくために、善光寺と皇室の明治期以降の関係について勉強することは非常に有益だろう。誰かいい本を知っていたら教えて下さい。
こんな本(「近代皇室と仏教」、http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4562041773/naagita-22/)があるのだが、15000円はちぃと高いね。

善光寺をじっくり見学した後、敷地の東隣になる東山魁夷館へ。
横浜に生まれ、神戸に育ち、ドイツに学んでドイツに憧れたこの画伯は、ドイツの人たちが都市の景観と自然の景観を一体のものとしてとらえ、大切に維持していることに強く感銘を受けたようだ。ドイツ国内での「窓」をモチーフにした作品を多く残しているのは彼が窓から眺めたドイツの街並みが信じられないほどに美しく、戦後の荒廃していく祖国の都市や田舎の景観との対比をなしていたからなのだろう。

公園で”喫茶 山桜”開店。
夕方にもなるとセーター一枚では肌寒い。


長野市を望む。京都も山に東西北の三方を囲まれているが、聳える山の高さと雄大さは長野の圧勝だな。



長野よ、さらば!
また勉強してやって来るぞ。


そういえば、「牛に引かれて~」を書いとらんですな。


2011年9月24日土曜日

秋の信州へ①



「いっちゃん、おはよ。これから長野に行くで」
「おはよ~。わぉ長野、行きましょ行きましょムニャムニャ。バモ~ス!(スペイン語で”Let's Go")」

という会話が23日朝5時。

それから光の速さでおむすびとサンドイッチと果物と重武装のピクニックセットを”びぃと”(愛機BMW)に載せて、家族を乗せた父ちゃんたちの車で大渋滞の中央道に乗ったのは朝7時過ぎ。
渋滞も相模湖を超えた辺りで峠を越し、以後は林間を縫って走る中央道の追い越し車線を、覆面鳩見張を厳にしつつ一路北西へ向けて巡航。長野県は諏訪湖の北の岡谷で高速を降り、ひたすら山坂道を登って辿り着いたのは標高2000m超の美ヶ原(http://www.mcci.or.jp/Utukushi/)。

植物の植生が針葉樹林から灌木になり、やがて英国の草原のような場所になる。
開けた場所に建てられた掘立小屋のような展望台からは、360度、雲を眼下に見下ろし天を見上げる雄大な光景が迫る。
CanonのEOS Kiss X5のダブルズームキットが前夜に届いたばかりで、嬉しいもんだからなんでもかんでも写真を撮りまくる。



展望台で妻と写真をとってキャッキャッと子供の様に騒いだ後、美ヶ原の天辺に。
気温は8.5度。吐く息は白くなる。霧のような雲が体を包む。バイカーはなぜかでぶっちょが多い(In Good Shapeのバイク乗りの皆さん、ごめんなさい)。


「いやぁ、いい景色やねぇ」と話をしながら高原の草原のなかの道をバイカーに挟まれながら走っていると、「美ヶ原牧場」の文字がナビに。
ここに食らいつく牛さん大好きな妻。
綺麗なトレイルコースが牧場の中を走っているので、二人してブーツとバレエ・シューズをトレッキング・シューズに履き替えていざ出発進行~~~


牛は、「モ~」と、全く鳴いていなかった。
酪農の屋外講座を拝聴しつつ、馬と牛が今となく今を暮らす牧場のなかを散歩。それにしても一眼レフって皆持ってるんですね。
全く俺の不勉強なんだが、お乳を出すのは当然ながら妊娠・出産した雌牛だけ(なんぼなんでもこれは知ってましたよ)。でも、これまた当然ながら、生き物だから雄も産まれる。50%の確率で。
雄たちは、肥育されて肉牛になる。お店で「国産牛」として売られているもののほとんどは、この少しだけ可哀想な雄牛たちだそうな。人間の雄でよかった、かな。
もう一つ。
この日本では、放牧されている”幸せ”な乳牛は、ほとんどいないらしい。その割合、実に13%(全飼養頭数に占める放牧成牛の割合)。北海道だけは22%だが、北海道を除くと2%!
「だからなに?」と言う人もいるだろうな。だって、俺らは鶏舎に詰め込まれて昼夜人工の光を浴びて眠ることなく食べ続け太っていくブロイラーの肉をそこら中で食べているのだから。






久しぶりの田舎、大好きな牧場に来て、楽しくなってしまった人。


こんな場所で、葦毛の馬と狼3匹と一緒に晴耕雨読の暮らしをするというのは、一つの捨てることができない夢だなぁと二人で話した。人の声も車の音もしない草原に寝っころがって、地上より2000m高いところから空を睨む。いろんなことを考えたね。
夜は温泉宿へ。深夜に高橋富雄「東北の歴史と開発」を読む。
きわめて重厚、きわめて興味深い著作だ。これについては明日以降にじっくりと書こう。

明日は長野の善光寺!「牛にひかれて善光寺~」の善光寺。
「轢かれて」?「引かれて」?それとも「惹かれて」???

最後に今日のベストショットをどうぞ!