妻が京都は一乗寺の「HELP(http://www.wakkakka.com/)」(東大路を百万編を越えてずっと北に上り、高野の交差点からもう少し北)という自然食品ばかりをたくさんおいているスーパーで見つけた塩ぽんず。
さっき夕食を食べながら、「これ倉敷の物じゃし宣伝せんとおえんな」と話したら、「じゃ、一緒にHELPの宣伝もしてちょーだい」というからこれを書いていた。今さっき書斎にやってきて、「ちゃんと書いてくれてる?」だって。
書いてますよ。倉敷パトリオットなんだから。
独り言:
・Arnorl J. Toynbee, "A study of History”を入手した。腰を据えて、じっくりと読んでいく。
高山「世界史の哲学」も同時に再読しつつページをめくるべきだ。俺は、俺自身の歴史哲学の確固たる視座を作り上げたいと思う。
・アダム・ファーガソン「ハイパー・インフレの悪夢」を半ばまで読了。われわれは株を持っていたら、「値下がりしたらどうしよう」と不安に思うのだが、財布のなかの1万円が「値下がりしたらどうしよう」とはふつう考えない。それが間違いでありえることを、痛々しいほどの事実の列挙により教えてくれるのがこの本だ。
たぶん、子供のころ、誰もがこう考えたことがあるだろう。「お金がないならお金を作れば(つまり刷れば)いいのになぁ」と。すべての権力者にとって、"Easy Credit!"はもっとも政治的葛藤の少ない安易な道なのだ。だが、それはやがて最も恐ろしい、経済社会の崩壊さえも惹起しうる。
東日本大震災からの復興のための資金を増税によって賄うのか。それとも赤字国債増発を行うのか。
一つだけ確からしいことは、日銀による赤字国債の買い取りだけはしてはいけないということだ。「国民の皆様」に媚びて将来に借金も使用済み核燃料もなにもかも譲り渡してはいけない。
・仕事における個人の熱中とそれが故の幸福感は、社会に対するその仕事の意義や貢献の度合いとは直接的な関係がない。もちろん、すべての個人は社会的存在であるという意味では、その個人が日々やりがいを感じて生きていくことには少ならぬ社会的意味が認められる。
だが、だからといって、「熱中したもん勝ち」ではないのだ。
・他者がどう在るかということは、自己がどう在るべきかという俺にとって最重要の問題に対して全然意味を持たぬ。俺は、自らの生の意味を問い続けるという絶望的な戦いへ挑む小さな英雄たちに敬礼する。
・ルター「キリスト者の自由」を読みたい。
ルターは、Lutherといったが、20世紀のルターは、Martin Luther King Jr.である。
父親が、Martin Lutherから取った名前である。まさに、Lutherの名に恥じぬ革命家であり、演説家だった。
どうぞ!