2012年2月26日日曜日

自己の欲望。社会の終焉。

とどのつまり、社会全体とそれを構成する個人が、自己と自身を統制し、規律していくことができなくなったことに、最近の世界の動揺は原因するのだと思う。
EUROに構造的な問題があるとか、資本主義には本来的にバブルを生む内在的要因があるとか、福祉国家化によって財政赤字は不可逆的に増大するとか、いろいろと説明することはできるのだが、しかしそれらの本質的な原因は何かと言えば、俺はただ一つであるように思う。

住宅バブルに踊り、自身の所得に不相応な家に暮らし巨大なSUVを乗り回してはクレジットカードで巨大カート一杯の買い物をしまくるアメリカ人労働者と彼らにサブプライムローンを販売して数億を稼いだ投資銀行家。
ドイツの信用力にただ乗りし(国家が「粉飾決済」をしてEURO圏に入るための財政規律を維持することさえやめていたのだから正々堂々たる「ただ乗り」だろう)、信じられないほど高額の所得と年金を得ていたギリシアの公務員。
借金は未来に持っていけばよかろうと国債を乱発し続ける政府を許し、自分たちの今の生活水準と既得権益を守ることに汲々とし、結果途方もない大借金をこしらえた日本人。
食欲のままに必要以上に食べて飲み、人間の原型を留めぬほどに肥え太ったアメリカの男女。
親の月収の3分の1もする値段のブランドもののバッグを抱えた日本の高校生。
ウォール街で年収5億円を稼いだ米国東部の大学のMBA(経営学修士)。

世界のどこを見ても、滅茶苦茶なことばかりやっているのだ。
そして、我々は、こやつらを「弩阿呆!」と一喝しないことが正義であると、いつからか思い込んでいる。
あなたも俺も。
こんな滅茶苦茶が、やがて天才的な官僚たちや政治家の敏腕によってどうにかなる、彼らにはその責任があるなどとと我々が期待し、それがゆえに彼らを批判しているのだとしたら、本当に我々は救いようがない弩阿呆だ。
自分で自分のケツを拭くことを忘れた我々は、天才的な革命家が現れて、誰にとっても痛みのない天才的な方法でこの現在の問題を解決してくれるだろうと思いがちだ。おそらくもっと漠然に、問題ははるかかなたにあって、自分にかかわる問題ではないと思っている人が大多数だろう。たぶん、そういう人たちが最も激しい打撃を受けることになるのだが。
これからは当分の間、国家も社会も会社も俺やあなたを助けてくれはしない。誰もほかの誰かを助ける力など持てないようになる。「あの頃は金持ちを批判していたなぁ」と、金持ちが極端に少なくなった社会のなかで慰め合う日が来るのだと思う。

今彼らは、救命ボートに乗っている。
定員は5人なのに、すでに7人乗っていて、今にも底が抜けそうだ。
水と食料はは5人x2日分しかない。
それなのに、乗員はどうやって沈まぬように岸部を目指すべきかという時に「乗り心地が悪い!」と言い、食糧が明日には尽きるという時に「もっと食事の量を増やせ!」と言っている。
ボートには前進するための櫓も、コンパスも地図もある。さらには簡易な釣り道具も備わっている。つまり、全員の知恵と一人の責任を負うべきものの勇敢で最適な決定が実行されれば彼らが助かる可能性はある。
それだのに、彼らは「ここは国際航路だからやがてタンカーか何かが見つけてくれるだろう」と気にもせず、知恵をめぐらすこともしない。一人が意見を発しても上げ足をとるのみで誰も何も決められない。
このボートは「民主主義」という悪習の故に、誰も何も決められはしない。いやむしろ、全員の意見を尊重することが民主主義だという誤解が蔓延した結果、「何も決められないこと」が民主主義であるかのように皆思っているようだ。
そうしているうちに、ボートの底板は着実に痛み、もはや7人の体重を支えられる限界まで擦り減っている―。

これから我々は、社会はどうあるべきか、人間はどうあるべきかという金儲けにはなんの役にも立たないと見做されてきたお題目を、あまりにも長期にわたって無視し続けてきたことの代償を、想像もしなかったような仕方で支払わされることになる。
もし彼らが、その時においてさえ、誰か特定の一人や集団を論って批判して自分自身の責任を痛感せずにいられるとしたら、それはそれで大衆を慰撫して丸め込むという愚集政治の成果の一つではあるだろうが。