2010年6月26日土曜日

丹羽氏、その他

不勉強が続いておる故、独り言だけを以下に備忘録として記す。

歓喜と、それが隣り合わせの絶望はそれが実現した際の量と質において正確に比例する。
彼らが日本にもたらした歓喜を目にするとき、彼らが背負って戦ったものの大きさに改めて驚く。
それを見事に克服し、最高の舞台で最高の戦いを見せた日の丸の選手達に、心から敬意を表したいと思う。
それにしても、あれだけの轟々たる批判を受けて一言の弁解も言い訳もしなかった岡田監督は、豪い男だ。
日本代表はよく走る。サッカーはよくわからないが、日本のフィールドプレーヤーの10人が明らかに敵より長い距離を、適切に走っていると思う。
ひとつ思ったのは、中田英寿がこのチームにいてくれたら、さらに魅力的なチームになんだろうなぁということ。いや、単にもう一度中田英寿のプレーを見たいだけかもしれぬが。
俺は、本当の戦いの場面で本当に戦えなかったから、それ以来強烈な自己不信を抱いて生きていた。
だがそれさえも、奮発し次の戦いへと進む駆動力となるならば、人間とは逞しき存在である。

歯医者にいった。40分ほどちらほら診てもらうと、2600円だった。「言い値だなぁ。。。ウランもこうやって売れたらなぁ。。。」と思った。不思議だ。スーツを買う時は、まさか買うと決めてから値段がわかるなんてことはない。相当裕福でなければ、スーツを買うときにデザインの次にまず値段をみるだろう。なのに、医者にかかるときには値段は二の次だ。だから彼らは大儲けだ。
と、思ったのだが、やっぱり上のようにお医者さんを批判するのはよくない。だって、どこかの私立の大学病院が、「今なら胃癌摘出手術が腫瘍の大きさにかかわらず定価の15%オフ!」なんて広告を出すのはやはりどこかおかしいと思う。医療は、八百屋ほどには経済や市場の論理に従うべきではない。教育もだ。
歯が痛い、腹が痛いときに、公式に認証され、経験を積んだお医者さんに、ただでもないにしても適切な金額で診てもらえる、治してもらえるというのは、この国が誇るべき美点である。先進国だからといってすべてこうではない。偏見だが、僕はイタリアのスポーツカーには乗りたいが、イタリアで盲腸の手術を受けるのはいやだ。(イタリアの医療事情にはまったくの頓珍漢である)

すべての好奇心の源泉は目的への意思であり、問題の認識である。
それを伴わぬ好奇心は、軽薄の誹りを免れぬ。単なる食い意地だ。男の人生は単純明快であらねばならん。
2050年の日本の独立と繁栄という大目標に、俺のすべての好奇心は発する。
これに資すことがない議論も情報も、さしあたってーーー趣味は別としてーーー無駄である。
だが、上の目標のためには、なんだって視野に入ってくると思う。

前伊藤忠商事相談役、中国特命全権大使である丹羽氏の話を昨日聞くことができた。
「日本には、小さな土地と人間(人材)以外になにもない。輸出以外に日本が稼ぐみち、生きるみちはない。日中間のFTAを早急に結び、三カ国が同時に豊かに発展できる。経済の論理が、哲学・思想の違いを蔽いつくすだろう」
というようなお話だった。
俺が納得できぬのは、「経済の論理が哲学・思想を。。。」という点だ。
本当にそうか。第一次世界大戦の前でさえ、何人もの著名な経済学者や歴史家が、「世界はすでに相互に密接につながっているから、もはや戦争などできなくなった」と言っていたのだ。それからの50年間で、世界は数千万の人間をたがいに殺し合った。
中国は、経済の理論では動いていないだろう。中国は、あくまで世界を制覇するという大目標(地理的にではない)に指向された、大戦略に基づいてすべての行動を決定している。中国の言動は、美しいほどの一貫性がある(日本には面白いほどに一貫性がない)。そういう国、権力にとって、今はただ強者(米国)の論理=自由主義経済にしたがって行動することが自国の力を増大させる最適な解なのだ。黒猫白猫だ。それ以上でも以下でもない。
Economyとは、ギリシャ語のOikosに由来する言葉だか、語源の意味は「家計・家政」である。つまり、個人の家における金のやりくりのことをOikosと言ったのだ。であるから、経済=家政の論理が、軍事・政治など、すべてを蔽いつくすことはあり得ない。そう見えることはあっても、だ。さらに言えば、経済の論理が戦争を導くことだってあることも銘記しておく必要がある(戦争による破壊は、需要が飽和した後期産業資本主義には最高の”公共事業”なのだ。だから、資本主義が最も高度に発達したアメリカは、最も戦争を必要とする国である)。
中国の対外行動の源泉を正しく理解するために、経済的利得のみに注目してはいけない。また、視野狭窄の近視眼に陥ってもいけない。
丹羽大使、あなたの企業人としてのご活躍は、まことの尊敬に値する。本もときどき面白い。願わくは、よもや日本の「家計(企業活動を当然含む)」のみの利益のために行動されぬことを。あなたのような人が、伊藤忠商事の利益のために行動するなどということはあり得ないのは知っている。策謀渦巻く北京で、「誰よりも誠実に国家のために嘘をつく」人として、頑張ってほしいと思う。
「謀略とは、誠である」。

消費税率のアップに俺は賛成する。まず、所得税の増加よりも勤労世代の不平感がないだろう。今の日本の民間貯蓄の大きな部分を占めているのは高齢者層なのだから。
話は違うが。よく言われることだが、高齢者層が現金資産を膨大に抱えたまま死んでいく(相続税が高いから)というのは、なんとか避けたい。翁には、フェラーリのハイブリッドに乗っていただこう。
ただ、思うのは、この国は幼稚なのだ。年を重ねた紳士淑女が「遊べる」場所というのは、都心にしかない。田舎だとせいぜいがゴルフくらいだ。そりゃ音楽ホールなどはどこにでもあるが。。。僕は、日本の自然(川!)が持つ天然の遊び場で(それは日本全国にある)で、高齢者さんがお孫さんと静かに、にぎやかに遊べるような、そんな場所がもっともっと必要だと思う。同時に、そういう遊びを忘れつつある日本人を危惧する。
日本の田舎は美しい。日本の美は都会にはない。すべて、山深い森の中にある。磐梯山の麓の見るものを圧倒する一面の田園。透明度15mをほこる本栖湖。川に入って魚をとり、火をおこして喰らう。少しのビールでも大いに酔っ払い、談論風発、なんでも語れる。かかる金はいくらだ?排出されるCO2はどれだけだ?
僕は、クソガキだから、小学生や中学生のときの遊びがいまだに好きだ。精神も肉体も都会で遊ぶようにはプログラムされていない。だから愛馬=愛機=愛車が必要となる。CO2を排出してごめんなさい。
川で遊ぶこと、山で焚き火をすることほど楽しいことはないと思う。こういう遊びが、死ぬまでできる国、そういう環境がある国は豊かな国だ。
そうやって自然に遊んでもらった経験なくば、真に自然への畏敬の念は生まれない。
真夏の高梁川で丸一日釣りをして、船穂の山に太陽が沈もうとしている日が暮れる直前、俺のルアーに凪ぎの水面を割って飛び出してきた一匹の黒鱒(ブラックバス)の魚体は神々しく、まことに神の使いとしか思えなかった。「あの少年は朝から晩まであきもせずよう頑張るのう。どれ、一回ぐらい遊んじゃろうか」と、神は思ったのだろう、俺は本気でそう思った。それは一つの決定的な感動だった。
今、故郷を自慢できる日本人は少ない。自慢できる故郷、それなくして、俺はPatriot達に戦えと命令を下せない。

米政府の、ドル安容認の発言に注意すべきだ。ワシントンは、ドル安に誘導する強烈な誘惑にかられている。


山桜