ある男が、交差点で信号が変わるのを待っているある男に尋ねた。
−貴様、今どういうつもりでそこに立っているのか。
男、答えて曰く、
−目の前で、10kt(キロトン)の原爆が炸裂しても吹き飛ばされぬという覚悟で立っている。
男が生きる全ての瞬間は、須らく彼の意思によって充満されてしかるべきである。
彼の意思こそが、彼の人生を彩る華である。
彼を支配するものは、彼自身の意思と覚悟のみであって、それ以外による支配を受け入れることは彼の敗北である。なるほど信号で待つという行為(殆どの人にはこれは行為としては認識されないだろう)にさえ、このように覚醒した意識で以って臨む者が生きる時間は、もはや単線的で退屈な「時間」ではなく、細切れではあるが意味によって連結された「瞬間の連続」となる。それは、骨盤後傾・片足重心、呆けた面で信号が変わるのを待つ者の時間より、遥かに豊かであるだろう。
山桜