「誰が攻めてくるの?誰が侵略してくるの?」
将来誰が侵略してくるかを論証する責任が、自主防衛を主張する者の方にあって、国防の必要を疑うものには将来にわたって我が国への侵略や不法な攻撃な発生せぬことを論証する責任はないと戦後日本ではされているために、こういうバカげた問いが可能になる。本当に馬鹿げていると思う。鍵をかけて家族旅行に出かけようとする夫に、妻が、「誰が泥棒に入るの?どこのだれが何時に私たちの家の何を盗るために泥棒しに来るの?」と尋ねるようなものだ。
そうであればこそ、国会で武力攻撃事態対処法についての議論をしているときに、阿呆な野党議員が「もしやどこかの国を仮想敵国としているのですか?」などと戯言を叫ぶのだ。
かつてS.W.S.チャーチルは、「Sir、 大英帝国の仮想敵国はどの国ですか?」と尋ねられて、「英国以外のすべてだ」と答えた。今回の一件で、「中華人民共和国が敵性国家であるかどうか、仮想敵国とすべきかどうか」についての巷の議論は終結する。かの共産党独裁の国は、どう評価しても拡張的傾向を持った時代遅れの覇権主義国である。
日本は、もはや独立国、一等国たるの地位を失った。
2010年9月24日は、我が国の歴史における屈辱の一日である。聖徳太子が隋に小野妹子を遣って、「日出づる処の天使、書を日没する処の天子に致す....」と書いたとき、我が国は初めて華夷秩序から脱し、亜細亜大陸の東のはずれの島国は独立国家としての最も枢要な要件を備えるに至ったのであるが、それから15世紀を経て、日本人は再びシナに朝貢する民になろうとしている。
独立国たるの最重要の要件とは、特定の領域を完全に支配しているということだ。この場合の支配とは、法律学的に言えば、実効的な法律執行(警察、検察による)が完全に行われることをいう。
我々は、「領土問題が存在しない(前原外相)」はずの、我々日本国独自の領海に不法に侵入し、あろうことか海上保安庁の巡視船に体当たりを敢行した中華人民共和国の人民を、日本国の法律で裁くことを得なかった。しかも、政府は、「検察の判断であり政府の介入はない」などと欺瞞を言う。もはや、政府の体をなしていない。
どこからか聞こえてきそうである。
「あんな南のリゾート地でもなんでもない島(ヤギさんしかいません)は中国にあげればいいじゃない(石油がたっぷりあるんですが)」
然り、まぁそれもよいと100,000,000歩譲るとしよう。しかし、中華人民共和国には既に「沖縄は中国の領土だ」という声が出始めて久しい。軍の高官さえそう主張している場合もある。中華人民共和国の西太平洋への進出は、政治的意思というよりも、冬眠前の熊が餌をあさる本能のようなものだと理解したほうがよいと思う。国家は、個人の集まりである以上に、それ自体として動く内在的論理・駆動力を宿している。13億の民だけだった国が、新たに経済力と軍事力を手に入れた時、新たな領土や領海(実効的に支配できる海洋)を求めて拡張することは、当たり前のことなのだ。その意味で、俺はなにも中国が悪い国だなどとは全然思わない。主権国家として、自国の民がより豊かに暮らせるように、他国の国益を無視しながらやるべきことをやっているだけなのだ。当然ながら、これは我が国は過去において行ったことだ。
敢えて俺は今読者諸氏に問いたい。
我が国は、北朝鮮、ロシア、中国、アメリカという四つの核兵器国に囲まれている(=四つの国が東京上空で核爆弾を炸裂させることで数百万の我々を殺し、都市を壊滅させる力を実際に保有している)。我が国周辺では、中国・韓国は言うに及ばず、ベトナム・マレーシア・インドネシア・台湾、総ての国が軍事力の近代化・増強に邁進している。
かかる戦略的状況においては、我々はどのような道を採るべきなのか。
陸軍15万、空軍5万、海軍5万の人員に、GDPの1%に満たぬ4兆5千億円の国防費で、独立国として確固たる地位を国際社会において占めながら、かつ国益を保守していけるのか。
平和主義だの世界平和だのと寝言をほざいておられる時代はようやく終わった。ペリーが江戸幕府や志士たちを目覚めさせたように、今回の中華人民共和国による我が国主権の侵害とその後の傲慢すぎる対応を見て、我々が今目を覚まさないならば、日本はもはや日本海溝に深く沈んでいくしかない。
かつて中華人民共和国の李鵬は、日本に滞在中の1990年に、「20年後には、日本などという国はこの地上から存在しなくなっているだろう」と言ったのだが、今年2010年がその20年後である。主権を失い中国にもアメリカにも従属する我が国であっていいのか。我々はそのような国のなかで、つまり国家として他国に媚び諂いながら繁栄を求めることが我々日本人の理想であるのか。
やがて日本という島だけが残り、巨大企業も英語と中国語を公用語として残るだろう。
だが、そこに暮らす人々は、俺が知る日本人では最早ありえない。そんな時代にまで生きていたいと思うほど俺は生きていることが好きではない。
俺は、脂肪で豊かに肥え太った豚であるよりも、痩せこけた、誇り高き兵士の死体であることを望む。