2011年2月12日土曜日

アラブとイスラム

ついさっき、エジプト・ムバラク大統領の辞任が発表された。
エルバラダイ元IAEA事務局長などは、「(エジプトは)解放された」と言っているようだが、はてさて。

俺の理解のためにも、重要と思う点をメモとして残しておこうと思う。

国際情勢を新聞やテレビのニュース番組でしか追いかけない人にとって、ややもすれば混同してしまいがちなのが「アラブ」と「イスラム」の関係だ。
歴史的にこの地域において強大な力を持ち続けてきたイランは、民族はペルシアで、宗教はイスラムだ。イランと長い国境線を接するイラクは、民族はアラブ(ここではアラビア語を母語とする民族とする)で宗教はイスラムである。イランの西のアフガンスタンは、当然ながらアラブ民族ではないが、イスラムである。またシリアやヨルダンなどのアラブ国家であっても、例えばキリスト教マロン派なども相当数居住していることもある。
つまり、イスラム=アラブという構図は成立していない。

20世紀後半の中東の歴史は、社会主義に傾斜した汎アラブ主義と、イスラム教指導者が国家を指導する原理主義体制、それからユダヤ国家イスラエルの三つ巴の対立によって彩られてきたといえる。
汎アラブ主義を代表する者は、言うまでもなくかつてイラクを支配したサッダーム・フセイン大統領だ。彼はーこれは全く日本では報道されてこなかったと思うのだがー徹底的な世俗主義政策を敷いた。例えば、フセイン大統領が支配した当時のイラクでは、女性は布で顔を覆わずとも街を歩くことができたし(現在もサウジの女性はヒジャーブという布で顔を覆わないといけない。車の運転をしたら罰せられる。)、女性の教育の機会も中東では抜群に高かった。1970年代初頭以降、フセイン大統領が行ったのは、石油事業の国有化、そこから生まれる富による農業の近代化や社会福祉政策の拡充であった。これがあったからこそ、世俗主義アラブ国家イラクは、あっとういう間に中東地域の大国として台頭した。
だが、フセイン大統領は、アラブ世俗主義国家主義を推し進めたから、当然ながらイスラム原理主義者は彼の敵であった。我々日本人が数年前に「イラクは民主化された」という米国の宣伝(プロバガンダ)で刷り込まれたのは、このイスラム原理主義者に対するフセイン大統領の弾圧であった。もちろん、それ自体は決して誉められたものではないが。
(塩野七生氏は、「延暦寺や石山本願寺で大虐殺を行った信長に日本人は感謝するべきだ。彼のこの行為によって、以後日本では宗教勢力は政治に介入しなくなり、欧州でみられたような宗教戦争は起こらなかった」ということをどこかで言っていたが、その意味ではフセイン元大統領の行いにも、一縷の弁護の余地はあるとは言えないだろうか)

そうこうしていると、1979年にイラクの隣で大事件が起こった。
イラン革命である。ホメイニ師らによるイスラム革命によって、モハメッド・レザー・パフラヴィーに率いられた親米・世俗主義国家イランは打倒され、代わりにイスラム指導者(ウラマー)が国家を直接指導するというイスラム共和国が誕生した。

これに対して戦争を仕掛けたのが、そう、当たり前だよね、サッダーム・フセインだった。
イスラムを弾圧して世俗国家を作ったと思っていたら、隣になんとイスラム共和国が誕生してしまった。
もちろんそれだけがイラクのイランに対する奇襲攻撃の原因ではないにしても、バグダッドがテヘランに対して抱いた懸念は理解できるし、何よりもこの時期数年後にイラク侵攻の際の米国国防相となるドナルド・ラムズフェルド氏などは、イラクに飛んで行ってワシントンの全面的な支援を約束してもいるのである。
エジプトでの1952年のナセルを中心とした革命以来、中東では殆どの国(シリア、イラク、イエメン、チュニジア、リビア、アルジェリアなど)が「アラブ社会主義」を採ってきた。そうであれば、このイラン革命というものは、恐らく150年以上前にナポレオンに対して欧州全体が同盟を組んだときと同じような脅威として認識されたのだろう。
蛇足だが、このイラン・イラク戦争のとき、「敵の敵は味方」ということで、アラブと対立していたイスラエルはなんとイランに武器を供与して支援している。イラクが弱くなってしまった今からすると、想像さえできないことである。

さて、メモと言いながら長くなってしまったが、何を言いたいのか。

エジプトでの「ジャスミン革命」が、イラン革命にならなければいいのだが、と危惧している。
世俗主義アラブ国家の模範ともいえる大国エジプトを30年間率いたムバラク大統領の失脚の後、穏健で安定した政権が民主主義的な選挙によって確立されると考えることは楽観的過ぎるのではないだろうか。
世界は、パンドラを箱を開けようとしているのかもしれない。イスラム革命を中東に輸出すること目指すテヘランは、今回のカイロでの民衆の蜂起に対して、「これはイスラムの蜂起だ」と言ってカイロを激怒させている。
世界の火薬庫であり石油の一大生産地であるこ中東に被せられた世俗主義独裁という蓋が外されたとき、そこから何が生まれるのか、俺は不安な眼で見つめ続けようと思う。
方程式は、嫌になるほど複雑である。