2011年2月13日日曜日

やがて逝く君へ

君は、文字が読めないのだけど。
君は、人ではないのだけど。
君は、やがて逝ってしまうのだけど。

それでも俺はこれを書いておこうと思う。
平成の御代に三谷原家に君という犬が暮らしていたことを記憶し、君の魂が安らかに眠ってくれることを願い、城東に行ってからは毎日散歩に連れて行ってやれなかったことのお詫びを込めて、君にこの手紙を書く。

15年間、思えば長く我が家の片隅で、元気で居てくれた。
クソガキの中学生が山陽新聞の広告で見つけて我が家にやってきた雑種の君は、三月生まれで四月に三谷原家にやってきたから「桜」と名付けられた。
フロアリングに足を滑らし、慣れない人達に囲まれた君はリビングの端で小さく怯えていた。
最初の日の夜は、ピーピーと泣いて止まないから、俺のベッドの掛け布団の上で小さくなって眠っていた。翌朝は俺よりも早くおきて、寝ぼけ眼の俺を世界で最も純粋な二つの獣の目で見通した。
君は、誰からも愛された。俺の自転車の籠に乗せられて、生後一か月のうちからどこへでも連れて行かれた。健太郎の家には何回行っただろう。高梁川の河原には、よちよち歩きのときから数えきれないくらい走りに行った。俺が散歩に連れ出したこともあれば、君が俺を散歩に連れ出してくれたこともあった。俺がトレーニングを終えて、芝生で寝っ転がっていると、君はいつも何故か左の脇のところにやって来てはチョコンと座って遠くの船穂の山を見つめていた。そして俺が立ち上がると、身を構え、俺が駆け出すと全身をバネのようにして疾駆した。自分の尻尾を追いかけては一人でいつも狂ったように暴走していた。鍛え上げられた胸部と首の筋肉は隆々とし、日本犬の特権である雄々しい尾は美しかった。君は、いつもお婆ちゃんと一緒だった。君は、お婆ちゃんのことが大好きだったろう。だが、忘れるなよ。お婆ちゃんのほうが、君のことが大好きだった。今は家が建てられたあの畑でお婆ちゃんが働いているとき、君はいつも凛として正しく座っていた。それを見て多くの人が綺麗なワンちゃんだねと褒めてくれた。お婆ちゃん孝行をせぬ俺の代わりに、お婆ちゃんの孤独を君はどれだけ埋めてくれただろう。どれだけ俺の代わりを果たしてくれただろう。感謝のしようもない。有難う。

苦しそうに息をする君に、最期のお別れを5時間前にしたはずだった。
自分の心があまりにも泰然自若としていることに、不思議な感覚を覚えた。君がまもなく呼吸を停止することは明らかであるのに、そして君が俺にとって単なるペット以上の存在であるのは明らかであるのに。
1時間前に、新横浜に着いた。
突然、君の姿をもう見ることはないのだという鮮やかな思いに襲われて涙が溢れた。
君は、死ぬのだな。

もっといろんなところに連れて行ってやりたかったと思う。
一緒にキャンプに行ってとびきり旨い山形牛を食わせてやりたかった。
俺の愛車で一緒に旅もしたかった。
いや、そんな贅沢は言うまい。
もう一度だけ、君と高梁川大橋の北側の芝生で一緒に夕焼けの中を駆けたかった。
呼び、走り、笑うことが、かくも生ける者の特権であったことに、今更気が付く俺とはなんと浅はかな男であることよ。

俺が一個の天才なら、君との思い出をマーク・ローランヅのように素晴らしい思想の本にまとめることもできるのだろう。だが君の主人はこの小さなブログで君の思い出をこんな不細工な形で綴ることでしか、精神の平衡を保てないようだ。
涙が止まらんぞ、桜。

君の墓の上に、小さな山桜の木を植えよう。
そして君のような烈しい純粋さで俺の残りの予定13,000余日の人生を生きたいと思う。
俺は君を「飼った」のかもしれない。だが、俺が君に教えたことは、君が俺に教えたことに比べてなんと数少ないことだろう。人間は他の動物よりも優れているという偏屈な幻想から自由になるとき、君が生きた時間の神々しさはさらにその光を鮮やかにする。君は、この世の誰しもが、否、生けとし生けるものの全てが、それ自体として、まさにこの瞬間において、価値ある存在であることを、狼に全然劣らない純粋さで教えてくれた。
俺は、小賢しい猿として成功するヒトであるよりも、愚直なまでにど真ん中を生き抜く狼でありたい。

桜よ、眠れ。
じっくりと眠れ。
そして、再び目を醒まし、あの時のように飛ぶ様に駆けよ。