2010年7月17日土曜日

7年前の落書

実家で昔読んだ本をパラパラとめくっているとこんな落書がある。
"特殊部隊員のやうであり、スパイのやうであり、哲学者のやうであり、農民のやうであり、アスリートのやうであり、ビジネスマンのやうな、圧倒的な男に俺はなるのだ。期限は35歳。"
道はあまりに長く、時間はあまりに短い。精一杯頑張るつもりだ。

独り言:
便所飯という言葉がある。大学生のなかには、友達がいない人と思われるのがいやで、便所の個室で昼飯を食べるものがいるそうな。で、いくつかの大学は、「トイレで食事をしてはいけません」と張り紙をしとるらしい。
論点がいくらでもあるのだが、一言言いたい。そんなにいやなら昼飯一食ぐらい抜けばよいではないか。
昼ご飯は必ず食べないといかんもんではないだろう。あるいはカロリーメイトを世界一かっこよく食べることに挑戦してもいいではないか。
いやまぁ、俺の理解を完全に超えている。トイレでご飯はやめましょう。

山桜

2010年7月14日水曜日

環境危機の民主主義的源泉を問う

人間が、生存への確固たる意思を捨てない限り再生可能エネルギーへの大転換は起こり得ません。これは残念ながら絶対的な真実であるように感じています。
なぜなら、現在は民主主義の時代だからです。
産業資本主義がイギリスに成立してから数百年、我々は、我々が現在直面している環境危機を、せいぜいが巨大な生産設備とそれが支える豪奢な人々の生活(昔は馬を一頭=1馬力持つことさえ困難だったのに、現在では先進国の庶民は数百匹の馬を自宅に飼っている)のせいだけにしがちですが、そうではないと思います。僕が政治学の学徒の端くれだからかもしれませんが、環境破壊の原因の一つに人間個人の欲望を是とするアトミックな、つまり原子論的な民主主義論を計上しないことは、間違いだと思います。しかも、民主主義というのは、所詮が「今生きている人間の意見」を問うものでしかない。チェスタトンが「死者には墓標で投票してもらおう」と言ったように、近視眼を回避するための防御装置はなにもないのです。

極論の極論ですが、「多数派の意見が正しい」という悪しき民主主義が継続される限り、「国民は間違った判断をするかもしれぬから政治が独断的にでも望ましい政策を実行せねばならん」とはとても言えません。それは現在にあっては、無理、つまり理(ことわり)が無いのです。民主主義は、絶対王権と同様に市民の無謬を大前提として措定せぬことには成立しえぬものだとすれば、我々が直面している環境危機は、革新的な技術の開発などで克服されるようなものではないのかもしれません。
例えば、馬鹿が10人集まったときに、一人冷静に物事を論じれば変人と言われます。必ず言われます。馬鹿はいつも集まっては踊ります。馬鹿というのは、馬や鹿のように(馬、鹿との会話の経験はないので当て推量もいいところですが)群れのなかで意見を対立させて行う”対話”を決してしないものです。
ですが、大多数派を「大馬鹿者」と無遠慮に切り倒してしまう傍若無人のドンキホーテこそが、この危機の時代には必要なのかもしれません。

個人に自殺の権利がもし認められるならば、人類にも自殺の権利が認められるべきなのでしょうか。それが、多数派の意見ならば、少数派はいかに振舞うべきでしょうか。

「大きな物語」が失われた現在、多くの世界の破滅を描いた映画が発表され、人気を博しています。
僕には、これが、「大きな物語」を求める小さな個人が、地球という「唯一我々が共有する資産」を、人類が一丸となって守らなければならんという明確には自覚さえされぬ深い潜在意識の世俗的発露であるように思えてなりません。インデペンデンス・デイやアルマゲドン(映画)のように、世界が一つになるのは(アメリカが完全に主導し気持ちいいぐらいの「アメリカ万歳」映画なのですが)地球の外部からやってくる危機が故なのかもしれません。そういう意味では、産業資本主義以前の地球には存在しなかったこの環境危機は、“外部的”であるというほかないのです。

地球をぼろぼろにしないと「大きな物語」を再び獲得することができぬというのは、末期癌にならないと生きていることの喜びが理解されないということに類似的です。
知性とは、とるに足らぬことに感動し、歓び、泣くことです。ハイデガーをドイツ語で読んでそれをフランス語で語ることが知性ではない。もちろんそんなものではない!!!
ワンピース(漫画)に感動して泣く男、夕焼けに魂を揺さぶられ、明日の戦いへと筋肉を緊張させている男。そういう男が、かっこういいと思います。
人生は、それ自体で、圧倒的に愉快です。環境と無関係に生きられるとは言いませんが、それでも上司が狼男だろうが蛙女だろうが、そんなこととは無関係に我々の生はあってしかるべきです。それが、我々がつかみとった“自由”というものでしょう。自分の幸福がーーー幸福を求めているのではないですがーーー、もし他人に依って決定されるものだとしたら、僕は自分の人生を嗤うでしょう。
かわいい彼女がいようがいまいが、140kmのストレートを投げて甲子園に行けようがいけまいが、禿頭になろうが髪がふさふさだろうが、それ自体で完全なものだと思います。「何か楽しいことないかな」という人間がやっている「何か楽しいこと」は、おそらく全然楽しくないのだと思うのです。

飲み会から帰宅する田園都市線の最終電車にて酔っ払いが隣の酔っ払いの臭い息にうんざりしながら記す

独り言:

加齢臭を防ぐためのシャツやらなんやらを開発する人は、やっぱり毎日加齢臭の臭いを嗅ぐんじゃろうな。敵なんですから。プロじゃ。ということは、ゴキブリホイホイを開発する人はもしや。。。

小学生100人に、「将来なにになりたい?」と尋ねたら、おそらく5人くらいしか「サラリーマン!」とは言わないだろう。俺はサラリーマンになりたかったのだろうか。自分の人生を正統化するために、俺はなけなしの知性を濫用していないだろうか。別に青い鳥症候群ではない。

誰か見てくれこの矛盾だらけの悪文を。
そりゃ上司から何考えてるかわからんとほめられるはずじゃ。

山桜

2010年7月13日火曜日

2010年7月11日日曜日



姪の藍子。
順調にその容積を拡大しておる様子じゃ。いろはちゃんになるはずが生まれて出てきてみると、母ちゃんが「いろはっていう顔じゃないなぁ」とかなんとか言うて、藍子になった。まぁ、人の名前なんぞ
それぐらい出鱈目に決まるのでしょう(批判しとらんぞ)。
そう言えば、俺が幼いとき、NHKの7時のニュースを眺めつつ日経新聞を読む親父に「お父さん、なんで僕は
基っていう名前なん?」と尋ねると、親父は新聞から目線を逸らしもせず、「基本が大事じゃあろうが」と言い放った。なかなかの名言である。

人は、その与えられた名前で貴賎を決められるほど不自由な存在ではない。
自分に与えられた名前にどれだけの重みと意味を与えられるかは、俺が今如何に在るか、如何に生きている
かにより決まるだろう。要するに気概だ。
王侯貴族の家の出ではないが、御先祖の歴史と、「基本が大事じゃ」という少し変てこな両親の思いが込め
られたこの我が名を、断じて汚すことなく、正々堂々と生きていきたいと思う。

我、我が姪に聞かせる軍歌の子守唄ゔぁーじょんの練習を開始せんとすっ!
真に人生の愉快也。

山桜

2010年7月10日土曜日

in a ぱのぷてぃこん

ベンサムの考案したという「パノプティコン」をいまふと思い出した。

俺がこんなところにあーでもないこーでもないと駄文を書き散らしているのは、考えようによっては、誰もが読めるWeb上ではなくて、自分のデスクトップに保存したワードに書き記したっていいわけだ。
実際、こんな屁理屈だらけの文章を一体だれが読んでくれるのだろう。。。と思いながら毎日書いている。
しかし、パノプティコンに収容された囚人がいつも「見えないだれかに監視されているかも。。。」と不安に思うのと同じように(?)、俺は「誰かが(誰か知らんが)もしかしたら読んでくれるかもしれない!」と淡い期待を持ってレッツノートのキーを叩いている。
けっこう大きな違いなのだ。デスクトップにおいていたら、誰も絶対に読む可能性がない。
でもここでなら、可能的には数千万人だって読んでくれる。
「誰かに監視されている」と思わなければきちんと振る舞えぬ囚人の弱さと、「誰かが読んでくれるかもしれない」と期待しないとこういうことを書き記せない俺の弱さは通ずるものがあるようで、少し厭なのだが、しかし、がんばるぞ。

注:パノプティコン
=一望監視施設。囚人からは監視塔に人がいるかどうかわからないが、監視塔からは囚人を常に監視できる。そのため、囚人は監視の者がおらずとも、「監視されていてもいいように」行動する。フーコーの「監獄の誕生」ご参照です。

山桜

岩井克人「資本主義から市民主義へ」備忘録①

この人は、最近「必読著者」に加えた。必読著者とは、その人の著書が発売されたら本を開くことなく買うということである。
で、おととい、この本を買った。
まだ100ページしか読んでいないが、ついつい平日に3時まで夜更かししてしまうほど面白い。抜群である。最近どんな本でも「抜群である」と評価している気がするが、そんな不安は措くとしても、この本は抜群である。
何が、面白いのか?
備忘録としてとりあえず列挙しておく。眠いので。

①マルクス主義が所詮は歴史的な地平を超えられていないことを見事に論証している。マルクスは、巨大な資本さえあれば、あとは安い労働力によって自動的に利潤をあげられる産業資本主義を、歴史的に普遍性を持つものと理解した。これは、間違いである。19世紀の西欧の資本主義においては、「総資本」と「総労働力」が対立しえた。つまり、資本家は、資本家同士で争うことはなかった。安い労働力は豊富にあり(ルンペンプロレタリアート)、生産設備を備えればとりあえず利潤を生むことができた。つまり、「カネがすべて」の時代だ。資本家無敵の時代だ。
それが、時代を経て、労働コストが高くなると、資本を持つだけでは利潤を生むことができなくなる。その時代には、他社とは異なる特別の製品を開発・生産することができる者のみが生存できる。つまり、資本家は、他の資本家と戦う。このために、「総資本」VS「労働力(プロレタリアート)」という極度に単純化された下部構造は成立しえなくなる。
要するに。マルクス主義は、産業資本主義の時代においてのみ有効なのだ。
(産業資本主義=機械を備える大工場で安い労働力を雇えば自動的に利益が上げられた時代)
ふむふむ。今は、カネがすべてを支配する時代ではない。なぜなら、カネでCreatorのIdeaを買うことは、純粋な意味では、できないから。マルクスも、時代の制約をやはりうけたのだ(そりゃそうだろう)。

②産業資本主義の時代における、”組織特殊的人的資産”の蓄積に適した日本的人事・雇用システムの有効性

③法人の、モノ・ヒトの二面性を奴隷になぞられること(どちらも、所有する主体でありながら、かつ所有される対象である。会社法人は、株主に所有されるが、他方で設備機械を主体として所有する。奴隷は、自身の仕事道具を所有するかもしれない。同時に、モノとして売り買い・所有の対象になる)

④貨幣は、循環論法でしかその意義を論証できぬ。Aさんが鳥肉を買うのに、紙幣をBさんに渡す。Bさんが紙切れでしかない紙幣を受け取るのは、CさんがDさんがこの紙切れを受け取って、その対価物をBさんに渡してくれると“信じている”から。以後、この循環が永遠に続く。つまり、「貨幣は、貨幣であるから、貨幣である」以外になんともいえない。「貨幣は、主権国家が定めるから貨幣である」というのは無効だ。もしこれが正しいなら、アフリカの多くの国で米国ドルがなぜ流通するのか説明できぬ。信頼のない通貨は、誰も持たない。通貨は、通貨がなければ物々交換のために必要な、「需要の二重一致」の要件を排除することができる。それによって、商品交換の可能性は飛躍的に高まった。
ちなみに、基軸通貨は、「通貨の通貨」である。この意味、単純なような説明は容易ではない。

⑤国民国家の成立は、遠隔地貿易ではなく、物理的に有限の圏域における通商により利潤を生みだすシステムが成立したということだ。つまり、ある空間のなかにの「差異性」を見出し、それを商機に転ずるシステムが確立された。商社の典型的な機能は、A地点とB地点での同じ商品の価格の差異を利益化することだが、これに象徴されるように、そもそも資本主義というものは、差異性を喰らいながら成長するものだ。
具体的には、「農村の過剰人口と都市化された大都会」というものだ。1950-1960年代に東北から上野駅に集団就職でやってきた中卒の男女はこれによって説明される。つまり、「中心と周辺における価値体系の差異」故に、資本家は簡単に利潤をうむことができた(資本家が生んでいるのではなく、差異性が生んでいる)。それが、1970年代にもなると、日本全国が豊かになった。つまり、日本国内における「差異性」が減少し始めた。そして、大学に入学するものが人口の50%に達したとき、日本という物理的空間からは、「差異性」が失われ、成長は終わった(1990年代以降)。しかしそれでは資本主義は崩壊するので、新たに「差異性」を作り出す必要があった。1950-60年代は、若者が電車で東京にやってきたが、今度は資本がでかけていった。東南アジア・中国をはじめとする低労働コスト国へ、である。
これが意味するところはかなり多くあるが、ここ20年の中国の年率10%での経済成長もこう考えれば合点がいくだろう。あの国は、沿岸部と内陸部において、恐ろしいほどの「差異性」がいまだ残存している(いた?)。だからこそ、あのような急激な成長が可能であった。

⑥「差異性」を喰らい成長するのが、資本主義であるから、資本主義は当然世界を「Flat」にするほかない。それは資本主義の内在的な運動法則なのだ。だが、ジレンマがある。「差異性」を見つけてそれを食いつぶすたびに、資本主義の危機は深まるのだ。なぜなら、世界を平準化(Flat化)すればするほど、つまり資本主義が成長・拡大すればするほど、資本主義が成長するための栄養=「差異性」は減少するから。そうなれば、資本主義は、無理矢理でも「差異性」を作り出す、捏造するだろう。商社があやしいのは、ここなのだ。
資本主義が、地域・国ごとの独自性(差異性)を破壊するのは、当たり前のことなのだ。
(かといって、では共産主義はそうではないか?と問うのは至極まっとうなことだ)

山桜

2010年7月9日金曜日

自動車のこと

最近日産マーチやVWのポロなどの通常のガソリンエンジン車の燃費がHybrid並みになっている。VWが得意とする小型エンジンをターボで過給して十分なトルクを得るーという方式は、広がっていくだろう。ターボ=スポーツカー=燃費悪というイメージはまもなく消えるかもしれない。
ひたすら大きく・重くなるばかり(そのほうが産業資本主義の成長には適していた。環境を無視できた時代には。裾野が広がりますから)だった自動車は、これから小さく軽くなる。一部の高級スポーツカーだけに使用されてきた超軽量の炭素繊維素材などもこれからどんどん使用されるようになるだろう。だから、諸君、自動車を自分の部屋のように使うのはやめよう。恐竜じゃないんだから。それがどうも地方に行くと、4Lのセダンやトヨタのランド・クルーザーに乗っていると女性にもてるからか、僕の故郷の巨大ショッピングモールの駐車場にもそういう類の車がいつもわんさと停まっている。若い男たちの車である。
車をでかくするよりも、自分の筋肉をでかくするほうがいい。
想像してほしい。真黒の小さなデミオから、180cm・80kgの筋骨隆々のスキンヘッドが、サングラスにタンクトップの黒尽くめのいで立ちで「資本論」を片手に降りてきたら、これはもう革命的なかっこよさである(デミオでは7時間で700kmを走るのは大変なので僕の車はデミオではない)。これは、「”かっこいい自動車”に乗ってかっこよくなる”俺”」ではなく、真逆の発想だ。「”かっこいい俺”が乗るから格好よくなる”車”」である。あくまで「俺」が主人公なのだ。これも、「天上天下唯我独尊」の精神の発露である。
ホンダのCR-Zが売れまくっているのは、必ずしもHybridのスポーツタイプだからではないように思う。それにしてもホンダは宣伝がうまい。主力はミニバンなのにいまだに「ホンダ=スポーティ」のイメージがある。F1もやめたのに。
「手ごろなサイズで燃費がよく、一人でもドライブに出かけたくなる車」というものが長くなかった。1990年代のパジェロなどのRV全盛の時代。その後の、RVの快適性をさらに高めたミニバンの時代。はっきりいって、俺からすると自動車不毛の時代とさえいいたくなる。
都心では若い男は33歳まで結婚しない。さすがに一人でミニバンはいらないし、アテンザ・アコードくらすのセダンでも大きすぎる。だから誰も車を買わない。都心部及び周辺でもひたすら渋滞でありますし。
はっきり言えば、「自動車が生まれたときから側にあった若者世代は、車にもはや憧れはない」というのは、魅力的な製品を作れない自動車メーカーの開発者の言い訳ではないのかと思う。
小さくて軽く、走って楽しい車。そういう車はまだまだ売れる。
そもそも、高燃費のために巨大なモーターを積んで車重を重たくしたり、製造過程での消費エネルギーが増大したのでは、そりゃもはやエコカーではない。三菱零式艦上戦闘機ではないが、軽いことは美徳である。人間だって、重たいより軽いほうがいいのだ。高く飛べるから。
我が意思のままに移動することは、動物としての人類の根源的な欲求だと思う。
自動車を自分で操って、遠くを目指すということは、それほど愉快だ。電車にはない歓びがある。
新幹線は大好きだが、電車のレールがどうしても好きになれない。だってあの上しか走れないのだから。電車は。しかも、電車には時刻表というものがあって、俺の好きな時間に走ってくれない。なんと不便な。
向かう方向が決まっている安心感、それが故の計画性。乗っていれば目的地まで運んでくれる快適性。そういうものを、「今の若者」は好むのだろう。だから、好きでもないことを真面目に受験勉強のために勉強するなんて芸当ができるのだ。
新潟の長岡まで走って行って、「さて、松本城を見に行こうか、それとも金沢まで足を伸ばそうか。それとも初めての山形に行ってきりたんぽ?」と考える時、俺の脳は麻薬を与えられたジャンキーのようになる。どういう状態なのか、科学的な言い方は知らんが、愉快なのだ。腹の底から。目的を持たぬドライブこそが、最も精神を自由にしてくれる気がする。

移動するためだけではなくて、乗る人に「喜び」「幸福」を与えられる車。今だってそういう車はあってしかるべきだ。と言うよりも、あれかし!といいたい。

金曜日の渋谷でのひどい戯言でした。
しかし金曜日の夜の東京の浮かれ方は凄い(=恐ろしい)。
みんな平日はいろいろ大変なんだろう。

山桜

2010年7月8日木曜日

独り言

W杯の最中の日本のメディアの「BBCはこう言った!」「スペインのこの雑誌のある記者はこう言った!」という類の他国の評判を異常なまでに気にし、ほめられれば舞い上がらんほどに喜色満面になるあの様相はなんなのだろう。違和感を感じた人も多いのではないだろうか。
なるほど日本はサッカー後進国だ。二連覇を達成したWBC(World Baseball Clasic)ではないから、“先進国”の日本評を気にかけるのは当然なのかもしれぬ。
だが、それにしてもあれは少し俺には異常に映った。それはおそらく、日本人全般の内心に潜在的に存在する確信の不在だろう。抽象的な言い方だが。何かを評価するには物差しが必要だが、この国には物差しがないのだ。だれかに借りるしかない。
そして、自分の独自の物差しを持たぬことが、サッカーのような日本がいまだ遅れていると自覚される競技についてはあからさまに出てしまうのだろう。

就職活動という変なものがあるのだが、そのなかでもさらに変なものがある。OB訪問というやつだ。この変なもののなかのさらに変なものを実行する学生は少なからずいて、そのうちの変な学生は、決まって変な質問をする。
「山桜さんの御社への志望動機はなんですか???」というのがそれだ。
最初の三人は真面目に答えた。しかしそれが限界だった。四人目の学生さんが同じ質問をしたとき、俺は「僕の志望動機があなたの就職活動、人生についてどういう意味があるんでしょうか?教えてください。」と言った。彼はだまってしまって、少し考えてから、「いや、やっぱり御社に入社する人はどういう考えて入社するのかなぁと思いまして」
全くもって理解不能な言葉である。日本語の文法としては正しいのだが、この発言の裏にある論理を僕は全く想像できないから、この問いへの的確な回答を準備することができない。
それと、会社を選ぶ際に、あるいは面接で「決め手は人でした」という人。そりゃないだろう。
入社して、「人」がやくざかごろつきみたいな人しかいなかったらどうするのだろう。「決め手は人でした」は、実は「御社は人以外にさしたる長所はないですね」と言っているように俺には聞こえる。
俺は、マキャベリズムに徹し、目指すべき目標のためには隣でゴジラが火を吹いていようがそれをやる!という覚悟で仕事をすることが、人間の幸福だと思う。

選挙カーに犬の着ぐるみを乗せて拡声器で騒音をまき散らすこの国の選挙に、永遠の幼稚園国家の真髄を見た。

廣末渉「『近代の超克』論」を読了した。
廣末の本をこれまでに数冊読んだが、最も興味深い本である。
「近代の超克」という言葉が人口に膾炙したのは、昭和17年10月号の「文学会」に掲載された「文化総合会議シンポジウム」をきっかけとする。
廣末は、「戦時下における近代の超克論は、決して京都学派の末流が偶々時流に阿って思いつき的に漏らした迷論といったものではない」という。それは、竹内好に従えば、「いわば、日本近代史のアポリアの凝縮であった。復古と維新、尊王と攘夷、鎖国と開国、国粋と文明開化、東洋と西洋という伝統の基本軸における対抗関係が、総力戦の段階で、永久洗脳の理念の解釈をせまられる思想課題を前にして、一挙に問題として爆発したのが『近代の超克』論であった」のだ。
いや、ここでは深入りはすまい。ただ、三木清をはじめとする「昭和研究会」(近衛のブレーン集団)に参加した転向左翼の”右翼っぷり”と、大川周明など右の右と見られているものの”左翼っぷり”を目にするとき、昭和のこの時代にあっては、左右どちらの翼のインテリ層にとっても、資本主義の問題(世界恐慌、世界経済のブロック化、通貨切り下げ競争。。。)、東亜の統一という課題(西欧列強に蹂躙されていた東亜諸国)は、支那事変から大東亜戦争への続くこの一連の大騒動と日本の最終的な勝利によってしか克服されえぬものであり、それこそがこの戦争の世界史的意義であると認識されたのであろう。
三木清は、「1927年に上京して後、教壇に立ちながらマルクス主義の論文著作を矢継ぎ早やに発表し、、、昭和5年には共産党に資金をカンパした廉で投獄されるにおよんだ」ほど熱心なマルクス主義者だった。
彼は転向後、こう述べている。
「支那が近代化されると同時に、近代資本主義の弊害を脱却した新しい文化に進むことが必要である。東亜の統一は、欧米の帝国主義の羈絆(きはん)から支那が解放されることによって可能になるのであって、日本は今次の事変を通じてかかる支那の解放のために尽くさねばならぬ(つまりは「戦争支持」である)」
これを読めば、左翼だとか右翼だとかの色分けがもはや無駄であることは一目瞭然と思う。「巨大財閥と軍閥が推し進めた帝国日本の侵略戦争」というのは、戦後に力を得た左の翼の人士が言い触らした嘘である。これに我々は洗脳されてきた。アメリカの洗脳プログラムであった。
それにしても圧倒されるのは、京都学派の一人高坂正あきの次の発言だ。
「今できつつある新しい世界に対して、日本はどういう意味を持たせられているか、どういう意味を実現しなければならないか、すなわち世界歴史の上における日本の使命はなにかという点になると、西洋のどようやうな思想家からも無論教えられるわけにはいかない。そのためには日本人が日本人の頭で考えなければならない。それが現在日本で、世界史の哲学が特に要求されている所以だと思う」
過去の日本人(の一部といってもよいが!)は、かくの偉大であった。世界史に対して日本人は、我々はいかに貢献できるのかを問う。そんな暇人はそうそうおらんだろう。「自分の頭で考える」こと。これほど困難な挑戦はない。誰にも「教えられるわけにはいかない」!!!

山桜

好きなもの

コート:マッキントッシュの塹壕外套(トレンチコート)
2008年に初めて買った。感動的な美しさである。これを買って以来、寒くなるのが待ち遠しい。
高価な買い物だったが、完全に一目ぼれで、見つけてから5分後にはレジでカードを出していた。あと10年は大活躍してくれるだろう。常夏の国には行きたくないものである。ロンドンの霧雨のなかをこれの襟をたてて歩くのだ。渋い話だ。これが似合う男でいたい。そういう、自己を規律せんとする動機を与えてくれるものは、大切だ。

ノート:モレスキンA5判
会社に行くにも温泉に行くにも食事に行くにも(トレーニングに出かける時以外は)常に携帯している相棒ともいうべき落書帳。頑丈で、書きやすく、なにより100円ノートにはない重厚感がたまらない。落書帳を携帯するようになってから、常にネタを探して歩くようになったと思う。内容は、馬鹿げたものから思想までいろいろである。なくしたら悲しい。

ペン:クロス
倉敷の友人がくれた。書き味が優しい。しっとりとした重みがよい。僕の勤める会社はある一定の年齢を過ぎるとみなモンブランだ。なんだあれは。少し前の女子高生のヴィトンの財布じゃあるまいし。本当に一般的な日本人って、白洲次郎風にいえば”ぷりんしぷる”がないと思う。
その他大勢の一般的傾向のなかに、自己の選好を埋没させることほど自己の精神的自立を妨げるものはないと思う。

車:BMW(3シリーズ)
俺の小さな自由を可能ならしめる愛機。ドイツ製造業が生んだ傑作中の傑作。大げさを言えば、ドイツ民族はこの自動車を生んだという事実だけで歴史に対して偉大なる業績を残したとさえ思う。
これ一台で、二日で800kmのドライブも、キャンプも、デートも(軟派ですね)、夜中のかわいい暴走もなんでもごじゃれだ。
真価は高速道路の法定速度を何キロか超えたところで発揮される。金曜日の夜中12時に、首都高を抜けて東北道に入る。道沿いにビルがなくなって防音壁がなくなれば、アクセル全開の合図だ。一気に巡航速度をあげる。窓を全開にして長渕剛のアルバム・フレンズをかける。「このスピードなら2時間で330kmか」と一人にやつく。新橋や渋谷でサラリーマンが脂ぎった顔をてからせて、肝臓を大量のアルコールでジャブジャブにしてたるんだ顔で最終電車に乗るころ、俺は一人北を目指す。目的地は、たまに温泉。たまになにもなし。眠たくなったら(だいたい2時~3時)リアシートを倒してそこに寝袋を敷いて眠りにつく。朝は太陽が日の出きっかりに起こしてくれる。サービスエリアのトイレで顔を洗いコーヒーを飲んでまた走りだす。この時、実にまだ土曜日の朝六時。わくわくするではないか!!!
この車を買った時、納車を待つ愛機の顔つき、たたずまいが、俺にあまりによく似ていたものだから、店員さんに「この車は僕にそっくりですね!」と言ったら、「この坊主はなにを言うとんじゃ??????」という顔をされた。人間同士、わかりあうのはなかなか困難なものだ。

シャツ:フィナモレ(イタリア)
年収が1億円あれば20まいほどまとめて買いたい。少しづつ、じっくり買い足していこう。
大切に製縫されたシャツである。

コーヒー:スターバックスのエチオピア・シダモ(先日これを注文したら「エチオピアが政情不安で輸出されてないんです。。。」と言われた。May peace prevail in Ethiopia)

本屋:丸善(丸の内)
何より専門書、洋書の充実ぶりが素晴らしい。店員さんもプロ意識にも感動する。Webでどんな本でも買える時代だが、本屋で膨大な本の群れを眺めているだけで、実は「読書」していることになる。そういう本屋は、まことにありがたい。そういう本屋には未来永劫繁盛してくれないと困るので、僕はしっかり買います。ブックオフも重宝してますが。それにしても、京都河原町のジュンク堂は、さすがに学生の街だけあって、僕が読みたいような本は充実していたなと思う。
でも、神保町の古本屋のおやじの面白いほどの商売っ気のなさがなんとも好きだ。
ああいう特殊な空気を維持した場所があることは、希有なことだ。神保町ほどエキサイティング(あえての英語)な場所はない、かもしれない。

散歩:賀茂川、高梁川
岡山の高梁川は、夏の夕暮れがよい。船穂に太陽が沈むとき、西の空がオレンジに染まり低い山々の稜線をくっきりと浮かび上がらせる。俺の、数少ない原風景である。
京都の賀茂川は、出町柳で高野川と合流して鴨川となる。下賀茂、北大路の西を流れる。
ここは、日本有数の風光明媚な場所だと思う。僕はその川まで、徒歩3分のところに2年間暮らした。
こんな贅沢なことはなかった。コーヒーを飲むのも、読書をするのも、走るのも、友人と議論をするのも、この川の河原が一番だった。京都と日本が誇るべき川である。

酒:ザ・プレミアム・モルツ
「世界最高のビールをつくる!」というサントリーの執念の結晶。デフレの時代に6年連続で最高販売数量を達成した驚異のビール。「ビールは冷やしてノドで飲む」というスーパードライ的な貧相な世界観への確信犯的挑戦。典型的な「プロダクト・アウト」の商品。
これ以外のビールは最早僕の舌は受け付けません。すぐ赤くなりますが。