ベンサムの考案したという「パノプティコン」をいまふと思い出した。
俺がこんなところにあーでもないこーでもないと駄文を書き散らしているのは、考えようによっては、誰もが読めるWeb上ではなくて、自分のデスクトップに保存したワードに書き記したっていいわけだ。
実際、こんな屁理屈だらけの文章を一体だれが読んでくれるのだろう。。。と思いながら毎日書いている。
しかし、パノプティコンに収容された囚人がいつも「見えないだれかに監視されているかも。。。」と不安に思うのと同じように(?)、俺は「誰かが(誰か知らんが)もしかしたら読んでくれるかもしれない!」と淡い期待を持ってレッツノートのキーを叩いている。
けっこう大きな違いなのだ。デスクトップにおいていたら、誰も絶対に読む可能性がない。
でもここでなら、可能的には数千万人だって読んでくれる。
「誰かに監視されている」と思わなければきちんと振る舞えぬ囚人の弱さと、「誰かが読んでくれるかもしれない」と期待しないとこういうことを書き記せない俺の弱さは通ずるものがあるようで、少し厭なのだが、しかし、がんばるぞ。
注:パノプティコン
=一望監視施設。囚人からは監視塔に人がいるかどうかわからないが、監視塔からは囚人を常に監視できる。そのため、囚人は監視の者がおらずとも、「監視されていてもいいように」行動する。フーコーの「監獄の誕生」ご参照です。
山桜