2010年7月10日土曜日

岩井克人「資本主義から市民主義へ」備忘録①

この人は、最近「必読著者」に加えた。必読著者とは、その人の著書が発売されたら本を開くことなく買うということである。
で、おととい、この本を買った。
まだ100ページしか読んでいないが、ついつい平日に3時まで夜更かししてしまうほど面白い。抜群である。最近どんな本でも「抜群である」と評価している気がするが、そんな不安は措くとしても、この本は抜群である。
何が、面白いのか?
備忘録としてとりあえず列挙しておく。眠いので。

①マルクス主義が所詮は歴史的な地平を超えられていないことを見事に論証している。マルクスは、巨大な資本さえあれば、あとは安い労働力によって自動的に利潤をあげられる産業資本主義を、歴史的に普遍性を持つものと理解した。これは、間違いである。19世紀の西欧の資本主義においては、「総資本」と「総労働力」が対立しえた。つまり、資本家は、資本家同士で争うことはなかった。安い労働力は豊富にあり(ルンペンプロレタリアート)、生産設備を備えればとりあえず利潤を生むことができた。つまり、「カネがすべて」の時代だ。資本家無敵の時代だ。
それが、時代を経て、労働コストが高くなると、資本を持つだけでは利潤を生むことができなくなる。その時代には、他社とは異なる特別の製品を開発・生産することができる者のみが生存できる。つまり、資本家は、他の資本家と戦う。このために、「総資本」VS「労働力(プロレタリアート)」という極度に単純化された下部構造は成立しえなくなる。
要するに。マルクス主義は、産業資本主義の時代においてのみ有効なのだ。
(産業資本主義=機械を備える大工場で安い労働力を雇えば自動的に利益が上げられた時代)
ふむふむ。今は、カネがすべてを支配する時代ではない。なぜなら、カネでCreatorのIdeaを買うことは、純粋な意味では、できないから。マルクスも、時代の制約をやはりうけたのだ(そりゃそうだろう)。

②産業資本主義の時代における、”組織特殊的人的資産”の蓄積に適した日本的人事・雇用システムの有効性

③法人の、モノ・ヒトの二面性を奴隷になぞられること(どちらも、所有する主体でありながら、かつ所有される対象である。会社法人は、株主に所有されるが、他方で設備機械を主体として所有する。奴隷は、自身の仕事道具を所有するかもしれない。同時に、モノとして売り買い・所有の対象になる)

④貨幣は、循環論法でしかその意義を論証できぬ。Aさんが鳥肉を買うのに、紙幣をBさんに渡す。Bさんが紙切れでしかない紙幣を受け取るのは、CさんがDさんがこの紙切れを受け取って、その対価物をBさんに渡してくれると“信じている”から。以後、この循環が永遠に続く。つまり、「貨幣は、貨幣であるから、貨幣である」以外になんともいえない。「貨幣は、主権国家が定めるから貨幣である」というのは無効だ。もしこれが正しいなら、アフリカの多くの国で米国ドルがなぜ流通するのか説明できぬ。信頼のない通貨は、誰も持たない。通貨は、通貨がなければ物々交換のために必要な、「需要の二重一致」の要件を排除することができる。それによって、商品交換の可能性は飛躍的に高まった。
ちなみに、基軸通貨は、「通貨の通貨」である。この意味、単純なような説明は容易ではない。

⑤国民国家の成立は、遠隔地貿易ではなく、物理的に有限の圏域における通商により利潤を生みだすシステムが成立したということだ。つまり、ある空間のなかにの「差異性」を見出し、それを商機に転ずるシステムが確立された。商社の典型的な機能は、A地点とB地点での同じ商品の価格の差異を利益化することだが、これに象徴されるように、そもそも資本主義というものは、差異性を喰らいながら成長するものだ。
具体的には、「農村の過剰人口と都市化された大都会」というものだ。1950-1960年代に東北から上野駅に集団就職でやってきた中卒の男女はこれによって説明される。つまり、「中心と周辺における価値体系の差異」故に、資本家は簡単に利潤をうむことができた(資本家が生んでいるのではなく、差異性が生んでいる)。それが、1970年代にもなると、日本全国が豊かになった。つまり、日本国内における「差異性」が減少し始めた。そして、大学に入学するものが人口の50%に達したとき、日本という物理的空間からは、「差異性」が失われ、成長は終わった(1990年代以降)。しかしそれでは資本主義は崩壊するので、新たに「差異性」を作り出す必要があった。1950-60年代は、若者が電車で東京にやってきたが、今度は資本がでかけていった。東南アジア・中国をはじめとする低労働コスト国へ、である。
これが意味するところはかなり多くあるが、ここ20年の中国の年率10%での経済成長もこう考えれば合点がいくだろう。あの国は、沿岸部と内陸部において、恐ろしいほどの「差異性」がいまだ残存している(いた?)。だからこそ、あのような急激な成長が可能であった。

⑥「差異性」を喰らい成長するのが、資本主義であるから、資本主義は当然世界を「Flat」にするほかない。それは資本主義の内在的な運動法則なのだ。だが、ジレンマがある。「差異性」を見つけてそれを食いつぶすたびに、資本主義の危機は深まるのだ。なぜなら、世界を平準化(Flat化)すればするほど、つまり資本主義が成長・拡大すればするほど、資本主義が成長するための栄養=「差異性」は減少するから。そうなれば、資本主義は、無理矢理でも「差異性」を作り出す、捏造するだろう。商社があやしいのは、ここなのだ。
資本主義が、地域・国ごとの独自性(差異性)を破壊するのは、当たり前のことなのだ。
(かといって、では共産主義はそうではないか?と問うのは至極まっとうなことだ)

山桜