2011年9月7日水曜日

なぜ我々は人について話をするのがかくも好きなのか

ある時、田園都市線の急行電車に乗っていると、にぎやかなタブロイド雑誌の釣り広告がぶら下がっていた。それを見た妻がつぶやいた。
「人のことばっかりやな」と。
たしかに。
誰が不倫した、誰が逮捕された、誰と誰が熱愛(なぜこの「熱愛」という言葉は芸能人の色恋沙汰についてのみ使用されるのか?)した、云々。よくもまぁそこまで人についての情報を漁ってきて、これまた人についてのみに週刊誌なり月刊誌を作れるものだと、二人で感心した。

人、他人への関心...というものは、恐らく俺に最も欠落しているものだと思う。
関心がないというよりも、どうでもいいというのが一番だ。
誤解を避けるために言っておきたいのは、「一般的な他人」への関心を俺が持っていないということだ。俺は俺が関心を持った対象に対しては、人であろうが物であろうがかなり執拗である。獲物を60kmでも群れで追いかける灰色狼のような具合だ。

そういう俺が、3年前に会社に入ってすぐに先輩に言われたのは、「お前は人に関心がない」ということだった。
「『人』って誰ですか???(西郷隆盛も人ですが)
と尋ねると、「会社の同僚や、お客さんや、自分以外の人ってこと」という回答が返って来た。
無理(理が無い)を言う人だと思った。
匿名の、一般的存在である「自分以外の誰か」全体に対して関心を持つなど、できる訳がない。「人が好きです」というのはまぁいいとして(世の中の誰でも好きです、という奴は信じないが)、世界のどんな他者に対しても「関心を持っています」などと言う人間を信じることはできない。

なんとなく、なんとなくだが、分かる気はしている。
組織のなかで生きていて、その組織のなかできちんと立ち回ることが生存の可否に直接的に関係しているような場合、人はその組織内の人間に関心を持たざるを得ない。上司はどういう人間であるのか、組織全体としてどういう風土であるのか。組織内の政治権力はどのように分布しており、どのように行使されているのか、云々。
だから、組織のなかに生きる社会的存在にとって、周囲の人間について知ることは、多くの場合生存という最重要の目的に対して非常に重要な要件である。
だからこそ、サラリーマンの居酒屋での会話は①同僚の悪口を含めた批評か、②社内人事の噂、のいずれかに終始することがあまりにも多いのだ。そういう飲み会に行きたくないというと、「お前は人に関心がない」と批判される。
これは、会社に入らなければ絶対に体験できなかった面白い人間たちの生き様であり、とても興味深い。
もっとも、こうは言っても俺は次のことをよく理解している。すなわち、年を重ねれば25歳の頃のように酒を飲みながら理念を語る友が少なくなり、せわしなく忙しい毎日を嘆きあうことが低き者の慰め合いにはなるということを。そして、人生において、少なからずそういう時間を必要とする人がいるということも。

世界全人類を「愛する」ことができないように、我々は「人」に関心を持つことはできない。
愛といい、関心といい、それらは一般的ではない特殊的な対象にこそ向けられるものであるからだ。
俺は、人になんの関心を持たず、そのことを不安に思っているような人にそんなことは全然問題ではないと言いたい。
俺は、そういう群れのなかに入ってタブロイドのネタに盛り上がることを拒否「せざるを得ない」人にこそ、強い関心を持つ。

いい加減に、「友達百人できるかな」というあの人間観から抜け出そう(他の人はどうか知らんが、俺は友達が100人もいたらやりたいことができなくて困る)。友達がいることが善で、友達がいないことが悪なのではないし、またその逆でもないだろう。
我々は、他者との関係性、或いはその密度によって自己の全てが規定されてしまうほど小さな存在たるために生まれてきたのではないのだ。
大人の世界では、人脈がものをいうこともよく分かる。そりゃ人間が作る社会なんだからそうだろう。
だが、それでも俺は、断固として独立国でありたいと思う。戦争をしてでも俺の独立を守りたいと強く願う。

F・ルーズベルト米国第32代大統領の夫人であり、文筆家としても名高かったエレノア・ルーズベルトの有名な言葉を銘記しよう。

”Great minds discuss ideas.
Average minds discuss events.
Small minds discuss people."
(偉大なる知性は理念を論じ、平凡な知性は出来事を論じ、下等な知性は他人についてお喋りしている。)


2011年9月5日月曜日

倉敷味工房、塩ぽんず & 独り言

妻が京都は一乗寺の「HELP(http://www.wakkakka.com/)」(東大路を百万編を越えてずっと北に上り、高野の交差点からもう少し北)という自然食品ばかりをたくさんおいているスーパーで見つけた塩ぽんず。
さっき夕食を食べながら、「これ倉敷の物じゃし宣伝せんとおえんな」と話したら、「じゃ、一緒にHELPの宣伝もしてちょーだい」というからこれを書いていた。今さっき書斎にやってきて、「ちゃんと書いてくれてる?」だって。
書いてますよ。倉敷パトリオットなんだから。



独り言:

・Arnorl J. Toynbee, "A study of History”を入手した。腰を据えて、じっくりと読んでいく。
高山「世界史の哲学」も同時に再読しつつページをめくるべきだ。俺は、俺自身の歴史哲学の確固たる視座を作り上げたいと思う。

・アダム・ファーガソン「ハイパー・インフレの悪夢」を半ばまで読了。われわれは株を持っていたら、「値下がりしたらどうしよう」と不安に思うのだが、財布のなかの1万円が「値下がりしたらどうしよう」とはふつう考えない。それが間違いでありえることを、痛々しいほどの事実の列挙により教えてくれるのがこの本だ。
たぶん、子供のころ、誰もがこう考えたことがあるだろう。「お金がないならお金を作れば(つまり刷れば)いいのになぁ」と。すべての権力者にとって、"Easy Credit!"はもっとも政治的葛藤の少ない安易な道なのだ。だが、それはやがて最も恐ろしい、経済社会の崩壊さえも惹起しうる。
東日本大震災からの復興のための資金を増税によって賄うのか。それとも赤字国債増発を行うのか。
一つだけ確からしいことは、日銀による赤字国債の買い取りだけはしてはいけないということだ。「国民の皆様」に媚びて将来に借金も使用済み核燃料もなにもかも譲り渡してはいけない。

・仕事における個人の熱中とそれが故の幸福感は、社会に対するその仕事の意義や貢献の度合いとは直接的な関係がない。もちろん、すべての個人は社会的存在であるという意味では、その個人が日々やりがいを感じて生きていくことには少ならぬ社会的意味が認められる。
だが、だからといって、「熱中したもん勝ち」ではないのだ。

・他者がどう在るかということは、自己がどう在るべきかという俺にとって最重要の問題に対して全然意味を持たぬ。俺は、自らの生の意味を問い続けるという絶望的な戦いへ挑む小さな英雄たちに敬礼する。

・ルター「キリスト者の自由」を読みたい。
ルターは、Lutherといったが、20世紀のルターは、Martin Luther King Jr.である。
父親が、Martin Lutherから取った名前である。まさに、Lutherの名に恥じぬ革命家であり、演説家だった。
どうぞ!


俺に意識はあるか

読書が我が生活において極めて重要な-それなしの生活は俺自身の生活ではないと断言できるほどに重要な-ものになったのは9年前のことだが、読書という体験が自分に与えたことについて一般的に考えてみたい。
といいながら、話は酔払いがドライブする雨天のF1のようにフラフラの蛇行を免れないことを先に断っておこう。

端的に言えば、読書や日記の効用のうちで-害悪も当然あるのだが-、最大のものは自己の意識の幅と深さを拡大していくことに尽きると思う。
読書によって、我々は2000年前の著者の思索や行いを間近に体感し、それを思い遣り、自らの言動と比較する。そして多くの場合、自己の矮小なることを痛感しては恥じ、精一杯背筋を伸ばす(そりゃそうだ。2000年間読まれ続ける本を書いた人というのは、どう控えめに評価してもほとんどの読者よりはるかに偉大だろう)。
また、読書のうちで最大の快楽は、自己の脳裏にぼんやりと去来し、ゆっくりと醸成されつつある思索が、著者の言葉により見事に言語化されることだ。
千年王城の北を流れる賀茂川で「そう、それだ!俺はそれを言いたかったんじゃっ!!!」と、西部邁氏や佐伯啓思氏の著作を読みつつ思ったことは数限りない。自己の精神が共鳴し、震える。これは、苦しみも伴う読書という体験のうちで、最大の快楽であり、褒美だと思う。これは、麻薬的である。俺がこのブログで綴っている言葉たちも、所詮はそういう他者の言葉を俺なりに腹のなかに溶かしこんで練り上げてなんとか俺の言葉にしようという努力の数少ない結果なのだろうと思う。

意識というものを我々は持っている。
あるいは、これを理性と言ってもよいだろう。外部に生起する物事に対して、理性的主観を備えた自己が、物事に対して客観的に対峙するという前提がここにはある。だが、我々の日々あわただしく流れていく暮らしの中で、理性といい意識といい、一体どういうふうに作用しているのだろうか。いや、そもそも、作用しているのか。
情報洪水時代を生きる我々は、情報に神経を麻痺させ、その外部に流れる情報への意識もそれを分析する理性も磨耗していく他ないように思えてならない。情報の増加は、個人の精神における意識の量を増加させはしなかったし、理性をより安定的で精緻なものにすることもなかった。佐々木中がいうように(『切りとれあの祈る手を』)、何故我々はかくも何かを「知っていること」を強迫観念的に追いかけているのだろうか。何かを知っていること、それについてそれらしく語ることは、なぜそれほど重要なのだろうか。なぜいちいちニュース番組にコメンテーターなり専門家なりが登場して、もったいぶってその専門的知識とやらを開陳しないといけないのだろうか。それほど、「知らない」ということは危険なのだろうか?それほど格好悪いことなのだろうか?

人間の脳味噌の容量は無限ではないから、知識(この「知識」には島田シンスケがドウシタコウシタという馬鹿げた事実も含む)を無際限に詰め込めば、次第に自身の意識はなくなっていく。意識が減少すれば、思考は減速し、やがて停止する。つまり、入力をそのまま出力するだけの無個性のロボット人形が出来上がるだろう。情報が「購入される」産業主義時代に各地で全体主義が生まれたことは、アーネスト・ゲルナーを引用するまでもなく、全く偶然などではなかっただろう。つまり、批判的精神の欠如という現代大衆社会に広く見られる精神的病理は、情報の無際限の流入と情報の源流における独占に強く規定されているのだ。

これに対する処方箋の一つは、独りになることだ。情報の交換のみに終始する話ばかりをしていては駄目だ。
携帯を捨て、友や家族から離れ、独りになり、孤独へ沈潜していくことだ。
独りになって、河原に静かに座ると、風が身体の周りを走っていくのを感じることができるだろう。
少しじっとしていると、その風の一筋一筋に、流れがあり、暑さや冷たさがあることまでも分かるようになる。
近辺に鳴く鳥や虫の声、自動車のエンジンやタイヤと路面の摩擦音など、耳に入ってくる情報だけでも膨大である。
そうしながら、脳裏に去来することをフラフラと考え、それをメモしてみると面白いことに気が付くだろう。
つまり、自分が自分自身では何も考えられていないこと、また自分が考えていることのほぼ全てが「誰かが考えて喋っていたこと」をそのまま記憶しているだけであることに。あるいは、月曜日の朝の到来を憂鬱気に待ち、何か楽しいことはないかなぁなどと他人任せの人生を生きる自分を再発見する。

俺が欲しいものは、世界の全てについての知識ではない。
俺は、深み茂みの奥で獲物を待ち伏せる虎の集中力が欲しい。
意識の絶対量を圧倒的な次元にまで高め、それを一点に集中させて、とてつもないものを生み出すという力がなくては人生において何事も成し遂げることはできないだろう。


2011年9月3日土曜日

猿真似の出来ぬ時代へ

幕末から明治へ。
大東亜戦争の敗北から復興、高度経済成長へ。
いずれも厳しく、困難な時であった。
だが、二つの国難が生易しく思えてしまうほどに、現在の日本が直面する問題は重大だ。

かつて、我々には真似るべきものがあった。
明治の元勲たちは、陸軍と憲法はドイツ、海軍はイギリスに倣い、民法はフランスという具合にうまく西欧列強のいいところを摘み出してはそれを真似た。それによって、明治維新から40年足らずで、丁髷に二本差の侍の国は、西欧の大国ロシアと対等に戦うのみならず、アメリカの利益を見越してこれを上手く巻き込んですばやく講和を結ぶという非常に卓越した外交手腕さえ習得していた。
いわゆる戦後においては、我々には真似るべき、豊かな社会があった。
アメリカだ。
進駐軍として我が国に入ってきた米軍兵士が我々の父や祖父たちに与えたチョコレートの甘さに象徴される物質的豊かさを目指して、外交・安保をアメリカに任せながら、戦後日本は島全体で汗をかくかのように猛烈に働いた。その結果、あっという間に西欧諸国を抜いてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国という看板を得た。

バブルの饗宴から20余年、その間の低成長の時代を過ぎ、今、我々は財政赤字と少子高齢化という重すぎる荷物を背負い、大地震と大津波に打ちのめされ、準国産エネルギーとも言うべき原子力が生み出す安い電気を失い、国内の基幹産業の競争力は円高と後進国の成長によりますます追い詰められている。
そんな時に、かつて日本の近代化の教師であった欧州はEU内部に深刻な対立を抱え、共通通貨EUROの未来さえ危ぶまれる。
アメリカに至っては、債務デフォルトに至るかどうかという瀬戸際まで行くほどに、財政状況は危険な状況にある。
かと言って1000年前の先生であった中国も隣で問題を抱えていて、到底ロールモデルになるはずもない。

我々は、どの国をモデルとしそれを目指して走っていけばいいのか。
我々は、21世紀にどのような経済社会を作り上げるのか。
皆目見当がつかぬ。

だが、危機の中にチャンスはある。むしろ、危機の中にこそ偉大な何かは生まれるものだと信じたい。戦後の焦土のなかから、HONDAが、TOYOTAが、SONYが、PANASONICが生まれやがて世界を席巻したように。

フランシス・ベーコンの力強い言葉を引用しよう。

「順境に、恐れと不安がなくはない。逆境に、希望と喜びがなくはない」

いつの時代も、そうだったのだ。数千年も、数万年も変わりはしない。
我々は、少しだけ、自分の生まれた時代を特別だと、非常な時代だと錯覚しながら、だが、だからこそ人生を意気に感じて短い人生を死に物狂いで生きてきたのだ。
そして、それでいいのだと思う。

得意の脱線だ。
物まねに意味はない。皆と同じであることはもはや無効だ。そんな19世紀的な産業革命の残り香が漂う時代の郷愁に浸っている暇はない。
街も、村も、貴様も、そして我が国も、誰も何も真似できないこの世界で、それでも意思によって武装して、自らの命を華々しく、雄雄しく輝かせるのだ。
熱く生きよ。強く生きよ。そして冷たく死ぬがいい。

2011年8月26日金曜日

伊藤之雄「昭和天皇伝」

ツァラトゥストラよろしく山に籠っていましたといいたいところだが、陽のよくあたる新居での新しい生活がようやくひと段落したところ。
我が愛車”びぃと”が部屋の目の前に停まっているのが嬉しくて、将来建てる「白光庵」では半地下の書斎の隣にAston Martinの格納庫を置いて、それと書斎との壁は全面ガラスにしようと思っている。

まったく同じことをずっと続けるということが俺ほどできないとどうしようもないだろう。
この数ヶ月のぐうたらについては、本当に弁解の余地もなく、どれだけ自己批判をしても仕方がないのだが、さはさりながら、一つのことに専心すると他のことが全く見えなくなるという俺の性質は、人生の所々ではいい方向に作用することもあると思われる。
思えば、器用さと容量のよさが求められる時代であって、俺が息をする場所なんてどこぞにありや?

さて。

京都時代に講義をとらせてもらった伊藤之雄・京都大学公共政策大学院教授の「昭和天皇伝」を読んでいる。痛感させられたことは、新興の大国(明治後期~昭和初期の日本は、政治的・軍事的に疑いもなく大国であった)にとって、軍に対する適切な統制をいかに実現するかということは、非常に困難な課題であったということだ。
明治天皇の時代には、伊藤博文・山県有朋という、軍・官僚双方に対してコントロールを及ぼせる輔弼者が天皇陛下の側に仕えていた。昭和天皇の時代にも、初期には西園寺公望が最後の元老として尽力したが、やがて老衰には勝てず、日米開戦の足音が次第に近づく1940年の末に亡くなった。伊藤教授曰く、昭和天皇は、元老を失い孤独のなかで重大な国家の危機に立ち向かわねばならなかったのだ。
「天皇は大元帥として陸海軍を統制する立場にあったから、天皇には(満州事変も日中戦争も対英米戦争も全ての)戦争責任があった!」というのは、昭和天皇が直面された国内外のあまりに困難な状況を全く無視しているのではないだろうか。ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説問題、インフレ、満州事変、軍部大臣現役武官制、日中戦争、その他、あまりにも、沢山。
大日本帝国憲法下の大日本帝国を、現在の作られた「大日本帝国」というイメージから類推して、「神聖して冒すべからざる」天皇陛下の意向のままに全ての国家権力が執行される、いわばナチス・ドイツのような独裁国家だと想定している人が、天皇陛下の戦争責任を問いたがる。
国家は、言うまでもなく、暴力を独占する存在である。国家は、実力組織を保有する。そして、それに対する統制権をいずれかの者が持つことになる(現在の日本では内閣総理大臣)。リビアやエジプトで最近明らかになったように、この実力組織が統制者の意思に唯々諾々と従うというのは、あまりにナイーブ過ぎる幻想だと思う。だって考えて見てほしい。我々が善として疑うこともないこの近代国家それ自体が、元はといえばフランスにおける民衆の蜂起、革命に由来するものなのだから。
とはいえ、戦争を行なったことそれ自体についてではなく、我が国があの戦争に負けたことについて政府は明らかに日本国民に対して責任を負うべきであったし、それがうやむやにされたことは間違いない。だがそれは、決して国際法に基づく「戦争を計画した罪」とか「戦争を開始した罪」とかいうものではない(今でも、国家は「合法的に」戦争を行なえる。悲しいか?泣くか?平和主義国家ですと宣言するか??誰かさんに助けて下さいとすがりつくか???それとも懸垂して腕立てしてダッシュするか???)

結論:昭和の歴史を振り返り、日本が辿った60余年の歴史を概観するのに最高の本である。
著者のこの徹底的な一次資料の引用・参照の仕方はどうだ。まさしくプロだと思う。



2011年6月25日土曜日

友人論

結婚して家庭を持つとなると、友人とともに過ごすことができる時間は極端に減る。
子供ができて、社会に枢要な地位を占めるようになれば、尚更旧来からの友人と会う時間は少ない。
いずれ書かないといかんと考えていた、俺の友人論を簡略ながらここに記す。

友を持ちたければ、「友なぞいなくてもよい」と思わねばならない。
これがまず最初の命題である。

「人生でもっとも大切なものは友である」

しかり、そうかもしれぬ。
これによって「友のいない人生はつまらない」などと考えてしまうことが、危険だ。
ニーチェに友が100人いたとしたら、俺はいま「ツァラトゥストラ」を読むことはできなかっただろう。友がいること、友といつでも酒を飲めることは、常に男の人生においてプラスであるとは到底言えぬ。

男の友人同士の関係は、独立した戦国武将の対等な同盟でなければならぬ。
将軍と外様大名の主従関係であってはならぬ。あるいは土曜日の昼下がりに愚痴を言い合い共通の友人のタブロイドネタで盛り上がる中年女同士の関係であってはならぬ。
そのためには、男は独立せねばならぬ。全てから独立せねばならぬ。
それは、当然に最も近しい友も含むことは論を俟たない。

大人の男同士の関係は、互いの意思がぶつかりあうところに生じる小さな爆発のようなものであるべきだ。爆発することができずマグマをためている一人の男が、同じように意思というマグマをぐつぐつと精神に漲らせている別の男と会い、それがぶつかりあって爆発する。
それが、一番楽しい。これは、男と女の関係では見出すことができぬ愉快である。
久しぶりに会う友に、心身ともにますます頑強になっている姿を見せて互いに競争しつつ成長していくのだ。

貴様は、「あいつだけには負けられぬ」という敵=友を持っているか?

独り言:

電車の車内広告である大学がこんなことを言っている。
「社会に役立つ人材を育成します」
あぁ、商業主義大学の広告宣伝だね。教育にで金儲けをしてたいそうなことだ。
大学という最高学府は、知識を求める人間が行く場所だ。それがこの大衆社会が来るところまできた現在にあっては、単なる学歴と技術と知識を得るために多くの者が通うテーマパークになった。
そもそも大学生はこう問うべきではないのか?
「『社会に役立つ』だと?そもそもその社会とはなんだ?社会なんぞあるのか?それは革命によって修正されるべきものではないのか???それ自体は正しいものなのか???」云々と。
全てを疑って、そのあとに自分の信じるものを苦しみながら見出していくということ。
それこそが、学生であることの特権であり、それさえできれば他は何もしなくてもいいのだ。
その過程で、我々は人間の幅を広げ、知識を得、歴史を知り、傲慢になり、他人を思うようになるのだ。
学生の教育に熱心な大学にだけは、俺の子供をやりたくないと思う。そうでなければ、俺の子供は勝手に自分の世界を作っていくだろう。
考えてみたほしい。スティーブ・ジョブスは、「社会の役に立ちたい」というよりも、「社会を(情報)革命で変えてやろう」と思い行動したればこそ、あれだけの事業を成しているのではないか?
ちなみに彼はスタンフォード大学の卒業式での演説で、「大学を入学から3カ月で辞めたことは、私の人生におけるもっとも素晴らしい決断でした」と言っている。大学を卒業する者たちを前にこうあっけらかんと言えるのは、なかなか気持ちが良いね。


虱レース by 石原莞爾

石原莞爾は、陸軍幼年学校在学中の折、機械式ペンシルの先に虱を10匹飼っていて、机の上にこいつらを出しては「虱レース」を楽しんでいたらしい。またあるときは、図画の授業のために提出する写生の題材に困った彼は、彼の股間の一物を写生して、これを「便所にて我が宝を写す」と題して提出したそうな。
最近会社の研修で講師が、「会社を(よい方向に)変えるのは奇人変人の類です」と言っていたために、今朝石原のことを想起して「秘録 石原莞爾」という本を本棚から引っ張り出したのだが、まぁここまでの変人はあまりおらん。
ところで、石原の部下の兵に対する愛には考えさせられるところ甚大なり。石原=最終戦争論だけではないよ。
石原は兵の教育についてこう述べている。
「猛訓練によって養われてきたものは、兵に対する敬愛の念であり、心を悩ましたものは、その一身を真に君国に捧げている神の如き兵に如何にして精神の原動力となるべき国体に関する信念、感激を叩きこむかであった」。
ある基地で連隊長を勤めていたときなどは、石原は日曜日などに兵営を訪ね、浴場を視察して、敬礼をする兵に対して、「敬礼はせんでもよい。湯加減はどうだ?」と尋ねもしていたそうな。そして、温かい風呂に兵が使って喜んでいるのを見て、彼自身もたいそう嬉しそうにしていたという。
今の会社に勤めて3年が過ぎ、俺より若いものと共に働くようになった。歳を重ねていけば、俺が弩阿呆でない限り、年下のものを部下として「動かす」ということが多くなる。そのときに、彼らの「精神の原動力」を俺はいかにして与えられるだろうか???
精神の原動力を増進せしめるために、その人への即物的な価値供与の多寡を決定する権限を自身が保持していることを以て脅迫するが如きは、人間における最低次元の者だ。俺はそこまでの鬼畜にはなりたくない。
チャーチルの多くの演説は、明らかに英国人の「精神の原動力」となり、あの苦しい戦いを勝ち抜く力となった。この日本の戦後最大の苦難の時に、日本の政治家の言葉は誰にも響きはしない。彼らは、何も信じてはいないのだ。
人の上に立つ者は、頭脳抜群の優秀な人間でなければならない。集団を率いる者が阿呆だと悲惨が起きる。だが、頭脳だけでは十分ではないのは明らかだ。人間としての大きさは、石原が兵の風呂を休日に視察して湯加減を確かめていたように、自分以外のどれだけ多くの人間の幸福安寧を、我がものとして思い遣ることができるかによって決まる。
ついでだが、石原は大正6年に「長岡藩士河井継乃助」という本を書いている。「どうも継乃助と石原は似ているところがあるなぁ」と感じていただけに、これは必読の書だ。

独り言:

「俺は...もう日本が駄目かと思った...だけど!そこに日本があった...!!」(東日本大震災後の空軍松島基地にて、長渕剛)
まさに、詩人だ。
破滅のなかでこそ起ちあがってくるものがある。
マーク・ローランズは繰り返し言う。
「最も大切なあなたは、あなたの大切なもの全てを失った時に残るあなただ」

弱きに対しては優しくあれ。
強きに対しては卑屈になるな。
善きに対してはこれを援け、
悪しきに対しては鬼であれ。

私心を捨て、正義を第一とし、大局的な視野の下に、時代の先の先までを洞察して判断を下し、ただ国家国民のために最善を尽くす。
ここにおいて、俺は誰にも負けたくない。それ以外は取敢えずどうでもいいや。

熱く生きたいと思った。社会の理不尽や嫉妬に懊悩することがあったとしても、現実が俺からみてどれだけ理想から逸脱しているとしても、俺は理想を捨ててはいけないと思った。
俺という個人が、俺の目標に対して資格十分の男であるかどうかを決定するのは、俺が死んでから誰かがしてくれるだろう。俺はそんなことには全然興味がない。俺は俺自身が信じる道を行くだけだ。
そして、仲間とともに血を沸騰させて涙を流して感動できる一瞬を諦めてはいけない。それは、現実から逃げるということではけっしてない。

最近、この歳になってー恥ずかしいことだがーようやく挨拶がきちんとできるようになったと感じる。
高校の時、二年下のある君の挨拶に驚愕したことがあって(15-16歳の少年の挨拶にしては出来過ぎていた)、爾来それを目標にしてきた。
海外でよく目にするのは、日本人の変な挨拶だ。「Good morning」とホテルのスタッフに言えない(目を見て言わない)、食事を持ってきてくれたウェイターに対して「Thank you」と言えない、その他沢山。
コンビニで「袋はいりません」と言うときに、なぜああも多くの人が目線も合わせずに言うのか俺にはよく分からん。丁寧に袋に入れてくれたら「ありがとう」の一言ぐらい言ってもバチはあたらんだろう。
相手の目をみて目礼をする、「こんにちは」という、それは人間関係の始まりの最も大切なことだと思う。
先日会社である幹部が、「まぁ(経営方針などについて)いろいろ言いましたけどね、皆さん、挨拶をしましょうよ。廊下ですれ違う時に、声に出さなくてもいいけどね、小さく会釈をするとかね、できるじゃないですか」と言っていた。あれはいい発言だった。それ以外はどうでもいいことと当たり前のことの陳列でみんなして睡眠していてもいいくらいだったけれど。


2011年6月8日水曜日

Sevilla, Spain!

初めてのスペイン。仕事でこんな国を訪ねることがあろうとは。
MadridのAtocha駅。 気温は30度を越えていて、かなり暑い。






スペインの新幹線”AVE”。
グリーン車(?)に乗ると弁当とワインが出てくるのだが、お腹いっぱいだったので食べず。

車窓から眺める風景は単調で、人影も少ない。まぁ、広い国土のうちの新幹線が走っているところを眺めただけだが。

川も少なく、土壌は乾燥し、この土地が大規模な人口を養うことはできぬ土地であることは明らかだ。だが、同時に降り注ぐ強い陽光は、太陽熱発電・太陽光発電の基地として魅力的だし、人口が過密状態ではないために多くの場所で風力発電を行うことができるだろう。






”AVE”でマドリッドから南西に向かって田園風景のなかを2時間半揺られると、Sevilla。

これは、グアダルキビール川。この川の名はアラビア語で、「大いなる川」を意味する。
この川が、この街と大西洋を繋いでいる。
どの都市へ行っても、川に行くのが好きだ。ロンドンはテムズ、パリならセーヌ。俺の故郷は高梁川。古いところでは古代の四大文明はいずれも大河川を擁した。

水上交通、肥沃な土地、海洋への連絡。全てが都市を形成するのに必要不可欠なものだ。

はるかな昔から、この土地の人々はこの川とともに生きてきたんだなぁと思いながら流れを見つめてぼけっとしているのが大好きだ。



この街は、スペイン南部の中心都市で、アンダルシアの州都でもある。セビリア都市圏の人口は130 万人ほどでそれなりの規模だ。ちなみにローマ五賢帝の一人、ハドリアヌスはこの街の生まれなんだって。
細い路地を抜けていったところに見つけた居酒屋のようなレストランの屋外の席から教会を写す。



8世紀からイスラムの支配を受けたこの地域は、西欧ではあるが、イスラムの強い影響が残っている。というよりも、人々の顔つきがかなりアラブ人に近い。15世紀後半にレコンキスタが完了すると、いよいよ新大陸に進出し、セビリアはアメリカとの貿易と独占して以後2世紀に渡って繁栄した。


昨日の夜のAreva主催のFarewell夕食会にて。牛がいました。マタドールもいました。




なんで赤い布に突進するのだろうか。




がんばれ牛さん!

ちなみに、牛さんはちゃんと最後は自分のお家に帰っていったのでご安心を!
で、食事の最後にはお待ちかねのフラメンコ!





これには、感動した。
アンダルシア地方の女性はいまでもほとんど全員がフラメンコを踊れるそうな。
女性二人と男性一人の踊り手の、恍惚感にあふれた表情がとても印象的で、会場にいた200人くらいの観客は総立ちになって拍手を送った。

失業率が20%だの財政赤字がどうだのとユーロがどうだのと日本と同じくらいに問題を抱えるスペインだが、フラメンコがある限り問題なさそうだ。
踊り歌うことは、常に論理を超越している。
国が光り輝くのは、その国の歴史の豊穣さにおいてなのだろう。
我々は何者であるのか、何者であったのか。フラメンコほどそれを烈しく語るものはないのかもしれない。

2011年6月5日日曜日

Pont Neuf, Paris!

夜、と言っても22時まで明るい。
母親がスペイン人だという陽気なオールバックのタクシードライバーのおじさんが150kmで飛ばすMercedez C classの後席で、これまたノリノリのスペイン音楽を聴きながらシャルルドゴール空港からParisの街へ。
仏語がぺらぺらになった小カストロこと不藤とMonparrnasseという街の小さなArzentine料理屋で晩御飯。二人で650gの肉の塊とチリワインを少々。しかし西洋人てなんであんなに食べるんだろう。



22時まで明るい初夏のParis。次に二人が向かったのは...???

そう、新橋!すなわち、Pont Neuf!



倉敷の兄貴のレストランの名前の由来となった橋。この橋の下は賀茂川と高野川が合流する、京都の通称”デルタ”のような中州になっていて、3分歩けば巨大なルーブル美術館。
石畳に俺のChurchの足音が響いていた...というのはうそで、おりからの小雨で少し肌寒く感じた。

いやー、始めてポンヌフを渡って満足満足でした。ごっつい橋でした。
岩倉具視辺りがかつてこの辺りをみて、「こいつぁすごい」と唸ったんだろうな。


Pont Neuf駅というのもあるんですな。 知りませんでした。



こういう裏通りに色気があります。京都の木屋町なんかもそうです。

この街は渋い。東京のように、「スポーツクラブやってます!!!」という看板なぞほとんどない。


ほんの数時間のParis散歩だったが、また来たくなった。
それにしても大陸はよいな。BMWさえあればどこまでだって走っていける。
新婚旅行は是非欧州を縦断したいと思う。始発、フリースランド。終着、マドリッド?



台北で大樹と台湾ビールを飲み、Parisで不藤とワインを飲む。
旅慣れぬ俺は、観光でも旅でもない出張の合い間のこういう一時が、たまらなく好きだ。

不藤、ありがとう!


2011年6月4日土曜日

肉ではなく、魂を

成田を出てソウル、インチョン空港に向かう大韓航空の一番右の座席から、機の右手の遥か眼下に立山・日本アルプス連峰と思われる山々を見つめながらこれを書き始めている。
実に、この山桜ブログから遠ざかること久しかった。皆が遠ざかることはもっと久しかったのだろうと思う。


何をしていたかというと、何もしていなかった。
身体も精神も全てある一人の女性に向かって一直線に飛ぶ那須与一の矢のようになり、彼女こと以外を考えることが全くできなかった。
2ヶ月の間、ずっとだ。ずーーーーーーっと。


こんなことをここで告白することは、少し恥ずかしいことかもしれない。いや、絶対にそうだろう。だからこそずっとブログから遠ざかっていたわけで。

だが、生きるだ死ぬだ戦争だ思想だのを一年間に渡って綴ってきたこの場所で、俺が彼女のことを話さなければ、俺はもはやこのブログを閉じるほかないと思った。 そして俺はこのブログを閉じたくはないのだ。
これまでの百数十の記事の全てに共通している唯一つのことは、俺が考えていること感じていることを素直に100%書き記すということだ。
その点において、このブログは他の何かの便利に役立つようなブログなどとは隔絶しているというのが俺の自負であり、自己満足だ。
そうであれば、俺が今彼女について、彼女と俺について書くことなく、復興計画やドアホウ首相の迷走ぶりについて議論することは、キャンプを狼の群れに囲まれた家族が「このステーキおいしいね」と恐れ戦きながら晩御飯を食べているようなもので、どうにも腰が落ち着かぬ。


百人の読者もいないブログだが、この一年で俺は俺の言葉が誰かにとって光明であり得る可能性を知ってしまった。もちろん、誰かにとっては毒であるやもしれぬ。
だから、書き続けたいと思うし、そのために上の理由で彼女のことについて書かざるをえない、そういうやむにやまれぬ必然性があっての下記の駄文であることを先に断っておきたいと思う。

昔、恋愛を馬鹿にしていた。特に学部生のときは、ことさら激しく。
「付き合って下さい」「はい、付き合いましょう」という軽薄な口約束に(軽薄ではなかった人たちへ:ごむぇん)虫唾が走り、ゼミの友人だのが誰と付き合っているだのどうだのという会話を昼食の1時間ずっと続けられる人たちが存在することに絶句した。
はっきり言えば、恋愛なんぞというものは、この個人主義万歳のクレイジーな時代にあって、肉欲と自己愛を道徳的に充足するために方便でしかないと見限っていた。(11月のブログ参照)
だから、そういう「恋愛ごっこ」のごときものをしている人とは、矢張り友達になれなかったし、今でも付き合いが深い友人は、多くの場合大学時代に彼女がいなかった男が多い。
孤独に自分を縛っていた時間をわずかでも持っている男の目は、輝きが違う。


とどのつまり、現代の恋愛とは、「私的なもの」だという観念を俺は捨てられなかったのだと思う。
我々がテレビドラマなどで洗脳されてきた、段階的な恋愛の発展形態の最終的なステージが、セックスという肉欲のぶつかり合いでしかないことは重大な意義を持っていた。
肉欲を開放しそれを充足することが恋愛の最終的な形態であるとすれば、そしてそれが我々「幸福ジャンキー」にとっての至高の価値であるとすれば、生命を保存するという最も根本的な本能に打ち克って戦った俺の英雄達は、ただのかわいそうな「戦争の被害者」になってしまう(実際にそうされている)。
こうして我々は、恋愛を賛美して戦争と英雄達を貶めたのだが、それは実は自己を貶めるということに他ならなかったことに気が付く人は少ない。

公的な事柄において、雄雄しく戦うのが男であり、そういう男を尊敬して愛するのが女性であるという理想を俺は放棄しない。俺が尊敬する男は、皆そうだからだ。
戦後における恋愛というものは、自己の欲求をよりよく満足させることと何が違うのか?と俺は考えていた。戦後日本に蔓延した民主主義・個人主義という包丁で、恋愛という腐臭を放つ魚を捌いてみれば、まな板の上に転がり出てくるのはドロドロした「我欲」以外にはないのだ。
映画「失楽園」の、中年の男女が日常の世界から逃避して、セックスに耽って挙句に服毒自殺(だったよね?)という世界観、それが多くの観衆をひきつけたということは、俺を十分過ぎるほど落胆させた。中年のおばさん達が、現実から映画館のなかでだけ逃避して悦に入って、「あぁ、私もあんな燃えるような恋愛をしてみたい」と思っているのだろうか?と考えただけで、吐き気がした。

セックスを含めた恋愛の無条件の賛美とは、つまり戦後における個人の欲望の無条件の肯定(及びその裏返しとしての公への奉仕の蔑視)と同義であり、それは当然に戦前・戦中を否定して、日本の歴史を断絶するものであると思われた。俺の言動の一貫性を保持しようとすれば、俺は関学で可愛らしい日傘を差して歩くどこぞのお嬢様を捕まえて懇ろになることなど、考えられぬことだったのだ。

だが。

(だが、と言ってしまったからには、ここから俺は恋愛を肯定せにゃならんわけだ。
ここからが、これまでの俺との違い、かな?)

上のように言ったとしても、しかし、我々人間は、恋愛を断固として肯定できる。
恋愛を肯定するというよりも、人間個人の意思の発現の一形態として、これを我々は肯定することができるように思う。
私的な肉欲の充足なんぞに満足せず、さらなる高みへと登っていく恋愛が有り得る。
公的なもの...それはなんだろう。とりあえず、「我欲」を超え出て行くものだと理解するべきだと思う。もっともっとも大らかで、寛大なものだ。
性欲の満足、安全、自尊心、そういう小さなものを超えて、その女性の裡に自分以上の価値を見出すことができるか。
その女性の向こうに自分が暮らす世界を見出すことができるか。

恋愛において「生命尊重以上の価値」(三島由紀夫)を相手のなかに確認することができぬあらゆる”恋愛”は、弱きものの同盟であり、慰み者達の避難所である。
混じりっ気のない恋愛の只中にあって、男が獲得するものは「俺はこの腕のなかに俺より大切なものを抱いている」という栄誉である。この時男が抱くものは、肉ではない。彼女の魂である。
恋愛が永遠の相に進入し始めるのは、まさにここにおいてに他ならない。肉を抱いているだけの”恋愛”では、肉滅びれば即ち愛も滅びる。
論理必然的に、肉が衰退すれば(お互いが年をとれば)、その恋愛は終わる。

そこら中の夫婦にあって、結婚が続いていても恋愛がとうの昔に終わっているのは、こういうことだろう。

そして、自分がそういう大切なものを守らねばならぬ天命を与えられた男だと自覚するとき、男の命はカタパルトにすえられ射出準備の整った空母上の戦闘機となる。近づくと危険だ(うそです)。
エンジン(魂)は暖められ、見渡す限りの海原へ一騎駆け出し天空を目指すための勇気は、この「自分を超える価値」がもたらしてくれるものであって、自分のためだけに勇気を振り絞って戦うことができる男は単なる戦闘狂か仕事中毒者だ。


俺と彼女がこれから生きる時間のなかで、楽しいことが沢山あるだろう。もちろんそれはそうだ。
だが、俺ら二人は、別に輝かしい未来のために、結婚するのではない。
俺ら二人は狼である。サルではない。
将来二人でいたら楽しいから結婚しようと思うのではない。もちろんそんなことではない。彼女との関係は投資ではない。

彼女は、彼女自身でこの瞬間に俺が守りたい全ての価値を体現している、否、その価値そのものなのだ。

これまで、「俺の命は俺を超える価値のために与えられた」と思って生きてきた。というより、こう思えばこそ、これまで生きてこられた。大学で野球と決別してからは、それが何なのかを一人で必死に探索し続けた。このブログにしてからが、そういう俺の取るに足らぬ努力の末端を示している。

俺は、これを見つけた。

自分の目の前にいる人が、自分を大切に想ってくれる人が、自分の全てを投げ出してでも護りたい人である---俺の足りない想像力では、人間という生き物の人生において、これほどの天佑は考えられない。

これは天佑である。
俺にこんな奇跡が起きたことを不思議に思い、天の見えざる力を畏れ、御先祖様に感謝する。

俺と世界にとって、彼女は、人間の真善美を一身に体現して輝く強烈な一個の光である。
彼女は、日本という文明が、弐千年(2000年)をかけて培ってきた、大和魂の結晶である。

以上、インチョン空港14番ゲート前の無線LANスポットより、単なるノロケ話を山桜のリズムでお届けしました~(と最後にボケておくぐらいの平静は保っています!)

みんなよい週末を!