2010年8月29日日曜日

Business man=ビュジーネス マン

ビジネス=business

businessとはbusyの名詞である。

つまり、ビジネスマンとは、忙しい人ということだ。

「忙」という漢字は、「心」を「亡くす」と書く。

従って、ビジネスマンとは、利益を上げるために心を亡くした人のことである。

納得できる話ではありますな。
皮膚感覚として。

弾着なう



「戦車は観るもんじゃねぇっ!!聞くもんだっ!!!!!」

と誰が言ったか知りませんが。

陸上自衛隊の毎年恒例の富士総合火力演習の見学にいってきた。
なんせここ、戦争がない限り日本人が唯一日本の戦車の砲撃(その他いろいろ)を観ることができる、ひじょーに有難い機会なのであります。

90式戦車の120mm主砲の射撃の破裂音、衝撃波(数百メートル離れてました)、予想したよりも、、、凄かった。(”凄し”の原義は、「怖い」「恐ろしい」)
だが、あれほど色っぽいものはなかなかない。
海軍→空軍→陸軍の順番に好きなんだが、質実剛健の陸軍の重厚感はなんともたまらん魅力ではあります。
それと攻撃ヘリ・コブラの対戦車ミサイルの空を切り裂いて飛翔して目標を粉砕する破壊力とその美しさ。

戦争は凄惨なまでに美しい。
悲惨なまでの破壊はその美の源泉であるか、それとも代償であるか。

僕の後ろは富士山です。
雲がありました。
今日はひとりの自衛隊ファンとして見物しとっただけじゃ。

軍人がかっこいい理由、それはなぜだろう。
それは、彼らの制服が、「俺の命よりも大切なものがこの世にはあって、俺はそれを守るためにここにいる」と宣言しているからだ。
「戦って死ぬなんて絶対いやです!僕の命よりかわいいものなんてこの世にはないんです!」という男を、「平和的で優しい男ね」という女はおらんだろう。そう言う男がかっこう悪い男であることは、水がH2Oであることと同じくらい確かなことだ。
残念ながら、「平和主義国家」日本の歩んだ65年とは、すなわち「日本人には命をかけて守るものなんてないんですよ~ニコニコ」という時代だった。そんな半世紀の果てに現れたのが、「男らしくない」だの「ひ弱だ」などと言われる草食系男子なのだとしたら、彼らは環境に素直に適応して生きているだけで、責められるべきは総体としての戦後日本そのものだ。
三島由紀夫が腹を切ったのも、畢竟、そんな国家に存立の意義なぞないと看取したからであったのでしょうよ。

自分の命より大切なもの、俺はそれを与えられたことを天に感謝する。

しえしえにー

韓国と日本の攻守同盟締結を!

小田原で温泉に入りながらふと思いついたことだ。

日本と韓国は、ともに大国ではない。
韓国については言うに及ばず、ついに「世界第二位の経済大国」の看板を譲り渡した日本も、これから世界への影響力という点では、到底大国とはいえない。
経済規模だけではなく、日本と韓国との間には、違いよりも明らかに共通点のほうが多い。

キムチは2001年以来日本人の最も好きな漬物である。
日本の中年女性の韓流スター崇拝の仕方は気味が悪いほどだ。
焼き肉も含めた韓国料理は、日本人の外食の一つとして定着しているといってよい。
少女時代という女性アイドルグループも明らかにAKB48よりは魅力的だから日本で大人気になるだろう。
翻って韓国でも、日本の漫画や日本食が大人気であるし、なにより日本に対してルサンチマン(怨恨感情)を持たぬ世代がいよいよ増えてきたのではないだろうか。
韓国の若者にとっては、日本はもはや乗り越えるべき対象でもないし、徒に謝罪を要求して賠償を請求すべき「加害者」でもなくなりつつある。サッカーや野球の代表がそうであるように、経済規模や一人当たりGDP額においてはいまだに二カ国には差はあるものの、1900年時点や1960年時点での差に比べれば、両国は21世紀になって、歴史上初めて対等な国家の関係にあると言える。
また、両国は、経済においてはともに国内市場が巨大ではなく(日本はこれから縮小するだけ)、資源・エネルギーをほぼ100%海外からの輸入に依存している。要するに、二カ国は、海外から原料を輸入して海外へ高付加価値の製品を販売することで生計を立てる、海洋通商国家である。したがって、他国以上に外国との通商とそれを保証する国際公共財としての海上交通(シーレーン)の安全に、大きな国益が懸っている。さらに、この二つの国は、核兵器保有国四カ国(露中米北朝鮮)に”包囲”された非核兵器国であり、中国という10数年連続で国防費を年率10%以上のペースで増大させている国の側で生きていく運命を共有している。
日韓は、ともに米国という現状世界最大の軍事大国の枢要な同盟国でもある。
ホルムズ海峡ーインド洋ーマラッカ海峡ースプラトリー諸島ー台湾海峡ー東シナ海という長大な「海の道」は、両国の生命線であり、これを中国が実効的に支配しようという意思を持つことは今や議論の余地がない。

韓国が我が国の竹島を不法に占拠していることや、戦時中に起きたさまざまな問題についての賠償等、二国間には問題がなくはない。
しかし、そうであったとしても、日本と韓国は攻守同盟を締結する必要があると思う。
北朝鮮と「戦争状態」にある(現在は単に休戦しているだけ)韓国と攻守同盟を結ぶということは、韓国が北朝鮮と武力紛争に突入した際は、日本はただちに集団的自衛権(注)を発動して韓国防衛と北朝鮮の武力を殲滅する軍事行動をとることになる(現在の「専守防衛」の自衛隊には、上陸用舟艇も脚の長い対地ミサイルもないのでできないが)のだが、俺はそれは、この西太平洋、ユーラシア大陸の東隣にデンと連なる列島に生きる我々日本人の義務ではないかと思う。
北朝鮮と韓国が近い将来戦争状態に陥った時に、「我々は平和主義国家ですから」と言って、縮こまっているのが我が国であるべきか?それは、「正しい」ことであるか?他国から、臆病者と馬鹿にはされぬか?
日本には、多くの朝鮮半島から移住された方が暮らしている。それは、なにもこの百数十年の間のみに起こったことではない。渡来人と今呼ばれる人たちが、どれだけ日本文明の発展に貢献してきたか、また彼らの血がどれだけ「日本人」だと思っている我々の体に強く脈動していることか。
それを思う時、俺は、よしんば中東でのどこかの大国の「大量破壊兵器があると思うから攻撃しよう!なかったら『民主化したんだ』とかなんとかいっておけばいいでしょう」という大義なき戦争に付き合わずとも、隣国の危機においては即刻駆けつける、強力な「日本国国防軍」を保持したいと思う。

(注)集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」とされる。国連憲章51条は、国家が「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を有すると定める。政府解釈では、国連憲章の上からは、日本も主権国家であることから「当然集団的自衛権を持っている」とし、ただ、日本の自衛権は憲法上の制限に従って行われ、自衛権の行使は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであるため、「集団的自衛権を行使することは…憲法上許されない」とする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9#.E9.9B.86.E5.9B.A3.E7.9A.84.E8.87.AA.E8.A1.9B.E6.A8.A9

韓国の軍隊はすでに世界有数の規模に成長した。最新鋭のKF-15戦闘爆撃機、世宗大王級イージス駆逐艦(日本の「愛宕」型より搭載ミサイルが多い!とかなんとか。。。)、「独島」級揚陸艦(そういう名前を付けるなて)等を擁し、総兵力69万(陸軍56万、陸上自衛隊は15万)。国防費は世界第11のレベルにある。

韓国の安全保障戦略において、日本は筆頭格の仮想敵国だという声は根強い。
実際のところ、竹島を不法占拠しておいて、艦艇に「独島」と名付けるわ、それに対抗して日本が教科書で「竹島は我が国領土だ」と書いたらソウルが怒りだすわである。現在は、九州と目と鼻の先の済州島に、2014年を目途に15万トン級の艦艇が停泊できる海軍港を建設中である。
上に書いたような日韓の攻守同盟なんぞ泡沫の夢であるかもしれない。それは俺も重々承知している。
だが、時代は変わる。変える人間がいれば、変わるのだ。
我々は、東アジアをひとつの大国の支配圏とさせぬために、中小国が連合を組んで勢力の均衡を目指す努力を始めるべきなのだ。

俺は、韓国と日本が真に開けた大人の国家間関係を構築し、同胞のような紐帯によって結ばれ、二カ国が共同して当事者のみではない、より広い東アジアと世界の平和と安寧のために協力できる日がくると信じている。

俺はこの可能性についてじっくり研究してみようと思う。
問題点はなにか。どんな危険があるか。同盟を実効性あるものにするために必要な日本国国防軍の装備、組織、法制、それはどういうものであるか。この二国間同盟に対する中国、米国、ロシア、北朝鮮の反応と対応はどうなるか。
あぁ、不勉強を呪う。

本屋いってこよっと。

2010年8月28日土曜日

レクサスの誤算?

今朝の朝日新聞に、"誤算 レクサス苦戦"という記事がある。

ちゃんちゃら可笑しいとはまさにこのことだろう。

誰かレクサスがMercedezやBMWに伍していけるブランドになると想像した人はいたのだろうか?
朝日新聞によると、レクサスの国内販売が始まってから5年になるが、累計販売台数は目標の半分に達していない。年間で5〜6万台の販売を見込んでいたが、年間最高が2007年の3万5千台。その理由が、独高級車メーカーを好むを富裕層のこだわりが予想以上だったから、だそうな。(もちろん、リーマンショック以後の不況の影響もあろう)

大嘘大嘘。

消費者は知っているのだ。
マークXより200万円も高いレクサスISが、実はマークXと同じプラットフォームを使っていることに象徴される、レクサスの「似非ブランド」ぶりを。立派過ぎる店舗さえ、虚飾にしか見えない。
そもそも、米国で大成功したレクサスブランドを、利益率を当て込んで独逸勢が独占する日本の高級車市場に持ってくるというのがレクサス日本導入の目的だった。
だが、そこには、販売戦略はあれども600万円、1000万円の買い物をさせるのに必要な作り手の「思い」はあったのだろうか?
俺は、トヨタという会社は、あらゆる種類の自動車を上手い販売戦略で大量に売り捌く大衆車メーカーであると定義していたから(商品開発力、模倣品製造力を含め、トヨタはこの点は偉大だ)、レクサスが
成功するはずがないと思っていた(後出しジャンケンですが)。

レクサスが敵にしようとした「独逸高級車」ブランドは、なにも高級車を作ろうとして高級車を作ったのではなくて、BMWであれば長く企業理念であった「駆け抜ける喜び」(俺がそう思っているだけかもしれんが、乗れば分かります)を突き詰めたら、ああいう車がラインアップに並び、値段もああいうものになった、粗っぽく言えばそういうことだと思う。ひたすら世界最高のスポーツセダンを半世紀の間世に問い続けてきたメーカーや、自動車を発明し自動車文明をリードするのだという気概のメーカーに、ミニバンやコンパクトカーが主力のメーカーが敵の得意分野で挑むのはいかがなものか。

俺は、トヨタは戦線を拡大し過ぎたと思う。
今一度、トヨタとはなにか?という大前提に立ち戻り、盤石な経営基盤を活かしてハイブリッドの次の世代のプラグインEVや水素自動車の技 術で世界を圧倒して欲しいと思う。
それがトヨタの使命である。

稀代のBMW好きですが、三国同盟は支持しません!

ツァラトゥストラ名言集

大学院のとき、政治思想史の講義(ゼミ)を担当された小野先生に、「先生が一番好きな思想家は誰ですか?」と尋ねたら、瞬時に「ニーチェですね」と答えられたのをいまだによく覚えている。
ニーチェは、人間が到達しうる一つの究極の存在である。
難解なドイツ観念論にもくみせず、カントやヘーゲルのような壮大な哲学の体系を打ち立てたのでもないが、彼の思索には、人智を超えた何ががあるように思えてならない。

「人間は、獣と超人との間に張り渡された一条の綱である」

「我は愛する、大いなる侮蔑者を。かかる人こそは、大いなる崇拝者であるからだ。かくて、彼方の断崖へと向かう憧憬の矢であるからだ」

「我は愛する、自己の道徳よりして、みずからの傾向と宿命とを創り出す者を。かくするとき、この者は自己の道徳のために生き、死す」

「我は愛する、自由な精神と自由な心情との人を。かかる人にあっては、頭脳はただその心情の内臓である」

「かなしいかな!やがて、人間がいかなる星をも産み出さざる時が来るであろう。かなしいかな!もはや、自らをも軽蔑しえざる、最も軽蔑すべき人間の時が来るであろう。
見よ、われなんじらにかかる末人を示す。
『愛とは何であるか?創造とは何であるか?情景とは何、そもそも星とは何であるか?』
末人はこう質問する、そうして瞬きをする。
この時に、大地は小さくなったのだ。そうして、その上に、一切を小さくする末人が飛び跳ねるのだ」

「牧者なくして畜群がある!すべての者は平等を欲する。すべての者は平等である。しかして、独立を感じうるものは、自ら進んで瘋癲病院に入る」

「肉体は一つの偉大なる理性である。。。。同胞よ、なんじはなんじの卑小なる理性を『精神』と呼ぶが、これは実はなんじの肉体の道具にすぎぬ」

「同胞よ、もしなんじらが一つの道徳を所有するとせば、しかも、この道徳が真になんじの道徳であるとせば、なんじがこれを他人と共有することはありえない。。。みよ!なんじはかくすることによって、なんじの道徳の名を民衆とともに有するに至った。なんじの道徳を抱きながら、愚衆に堕し、家畜の群れと化すると至った!」

「同胞よ、もしなんじが幸いに恵まれしものであるならば、なんじはただ一つの道徳を所有すべく、より多くの道徳をば所有すべからず。かくてこそ、なんじは足取り軽く、橋梁をこえていける」

「人間は克服せらるべき或物である。されば、なんじはなんじの道徳を愛するべきだ」

「一切の書かれたるもののうち、われはただ、血をもって書かれたるもののみを愛する。血をもって書け。しかるとき、なんじはさとるであろう。血、すなわち精神であることを」

「かつて精神は神であった。やがてそれは人間となった。今は、まことに愚衆にまで堕した」

「山脈になっては最短の距離は山頂より山頂に及ぶ。そのためには、なんじの双脚が長くあらねばならぬ。箴言もまた山頂である。語りかけられる者は、高く大きく成長せる者であらねばならぬ」

「荒々しい労働を愛し、かつ速いもの、目新しいもの、珍奇なものを追うなんじらよ。なんじらはすべてよく忍耐する力が足りないのだ。なんじらの勤勉は逃避である。自己を忘却しようとする意思である」

「国家とは、一切の怪物のなかの最も冷ややかなるものの謂である」

「国家における一切は虚偽である」

「過剰なる人間の群れは生じた。かくて、かかる無用の人間共のために、国家は案出された」

「同胞よ、なんじらはかれらのアギトと貪婪の毒気のなかに窒息せんとするのであるか?むしろ、窓を破って、大気の中に踊り出でよ!
悪臭を避けよ!無用なる人間の偶像奉仕より立ち去れよ!
悪臭を避けよ!これらの人身御供より立ち騰る毒気より立ち去れよ!
大いなる魂のためには、大地はいまだふさがれていない。独りなるもの、また二人なる者のためには、いまだに多くの席が空いている」

「国家が終わるところに人間は始まる。かかる人間こそ、過剰なる者の群れに属せざる者である」

「逃れよ!なんじの孤独のうちへ!小人共、またビン然たる者たちに、なんじはあまりに近く住んでいる。かれらの目に見えぬ復讐かより遁れいけよ!」

「わが友よ、なんじは、なんじの隣人にとっては、良心の呵責である。なぜならば、彼らはなんじに値しないからである」

「『少なくとも我が敵であれよ!』、友情を得んとして、これを懇願することを肯んぜざる、真の畏敬はかく言う。真の友を持たんと欲すれば、その友のために戦うことも欲さねばならぬ。しかして、戦いうるためには、人の敵ともなりえねばならぬ。人は友のうちに最上の敵を有さねばならぬ。なんじ友に反抗するとき、彼にもっとも心近き者であれよ!」

「女性のうちに奴隷と暴君の潜むこと、まありにも久しかった。この故に、女性はいまだ友情を結ぶ能力がない。女性の知るはただ愛情のみである」


「人間の存在は怪奇にして、ついにその意義を持ち得ない。人間存在にとって、道化役者ですらがその運命となりえる。われは、人間に生存の意義を教える。之すなわち超人である。人間なる暗雲を裂いて閃く紫電である」

「やがて彼は眠りに落ちたー肉体は疲れながら、霊魂は憩いながら」


これでだいたい「ツァラトストラ」の四分の一ぐらいかな。

2010年8月27日金曜日

吐露吐露と

あぁ、俺はなぁんて狭い世界で生きているんだろうか。
このブログはその一事を皆につたえるためだけにあるような気さえする。

井の中の蛙ならまだいいほうで、俺なんぞ井戸のブロックに蒸した苔でしかない。

今会いたい人。

マルクス・アウレリウス
カール・マルクス
おばあちゃん
ホセ・モウリーニョ

今読みたい本。

ドラゴンボール
ヘーゲル国法論批判(マルクス)

今俺は会社員である。
だが、俺は自分を一級の知識人に育て上げるつもりだ。
この国を束ね、民を導く偉大な思想を紡ぐことができる人間になるのだと、そうならねばならないと強く思っている。
山本常朝は、「葉隠」のなかで、「人生まことに短きことなり、好きなことをして暮らしむべし」と言いながら、「武士道というは死ぬことと見つけたり」とも言う。
人間、好きなことを死に物狂いでやって、実際に死ぬときは笑って死ぬ、それがよい。笑って死にたければ生きながら死んでいるかのごとくに生きるほかない。
明日にも死ぬであろう頭上の蝉たちの喧しい絶叫を聞きながら、ふとこんなことを考えた。


"Death smiles at us all, we just smile back."

Moreskinの使い方

以前「好きなもの」という記事でもMoreskinのことを書いたが、今回はそれの使用方法について。
一つのノートを二年にわたって使ったことはこれが初めてだ。
400ページあるノートが現在4冊目の真ん中ぐらい。振り返って読んでみて必ずしも面白いことばかり書いているわけではないが、それでも過去に考えたこと、記憶しておくべきデータ、素晴らしい言葉などが自分の文字で記録されているのは悪くない。

で、ここからは俺のMoreskinの使用方法です。
Moreskinってなんじゃい?という人はこちらをどうぞ!
http://www.moleskine.co.jp/Moleskine-World/Moleskine-History

1.常に携帯。ケータイを携帯しないときも携帯。温泉キャンプ会食本屋ETC。いつでも書けること、いつでも書くべきことを探すことが大切。
ノートなんて100円の「大学ノート」でよいというのもよく分かる(なんせMoreskinは葉書のサイズで一冊1890円)が、俺は表紙がペラペラのセンスのへったくれもないノートを妙高山のキャンプ場にもっていきたいと全然思えない。自分が一番好きな場所に連れて行こうと思えるノートでないならば、愛着がわかない。いつも携帯するためには、大好きなノートであることって大事大事。で、いつも携帯していることがこれまた大事。人間、「あ」と思いついたその次の瞬間に「あの人かわいい」なぁんてことになってますから。俺はまさかそんなことないけどね~
革張りの重厚感あふれる表紙。あれなら世界のどんなお偉いさんとお茶を飲んでいるときにだってポケットから出しても不釣り合いではないでしょう。

2.毎日天気を記入。当日特別なことがあれば記入。例えば円が対ドル83円まで上がったなど。会食等で友人家族知り合い取引先等にあった場合はそれも記入。精神の健康のために人の悪口はあまり書かない。逆に、「俺だってオオカミに育てられれば四本足で走るだろう」ぐらいに書く、人に腹が立ったときは。

3.読書メモ。よい言葉、記憶すべきデータ・数字を記入。特に「これぞ」という言葉を写したページには付箋を貼って後に引っ張りやすくする。

4.定期的にやりたいことリストを更新。Astonを買うだとか、狼と暮らすだとか、体をクリスティアーノ・ロナウドにするとか。

5.ページ番号をつける。それによって、Googleカレンダーにリンクさせる。具体的には、Googleカレンダーのそれぞれの予定の「説明」の欄に、「M-4th P.53」と書いておく。こうしておけば、「そうだ、3か月前のあの面談であの人なんて言ってたっけ?」と思い出す必要がある際には、GoogleカレンダーでMoreskinにメモがある場所をすぐに引っ張ることができる。これはなかなか便利。

5.付箋と名刺を後ろのポケットに常に入れておく。付箋は住友スリーエムの傑作Post Itの最小のもの。ついでに、人にメモをすぐ渡せるように、大き目の付箋も表紙の裏に貼り付けておく。

6.月に一度ノート上で自己批判を行う。

7.最後。思ったことをその時の言葉で書き遺しておくこと。それを後から参照できることは、自省のために極めて重要だ。

参考にはならんと思いますが、「いいノートはないかなぁ」と探している人は、ぜひ一度手にとってみて損はないです。
実は、メモするくせをつけなさいとおやじに数年前からなんども言われた。おやじが一緒にアムステルダムを歩いていたときもせっせとメモをとっていた。だから、まぁ、やり始めたわけだが、いつでもメモできる状態でいることというのはことのほか便利だ。なぜって、メモを持ち歩く習慣がなければ、「あ、これメモしておかないと」と日常生活のなかで思うことさえあまりない。だが、その習慣さえあれば、あ、これは記録しておかないと!と気が付くようになる。
たぶん、メモをとること自体はどうでもよいのだ。それによって、自分が自分の周りのことにどういう目を向けるようになるか、それが重要なのでしょう。

寝よ。

今夜も宮前平の温泉にいってしまった。

2010年8月22日日曜日

田んぼの中のログハウス

物心ついた頃、生家の家の周りは田んぼだらけだった。一面の田んぼだったとは言わないが、当時の写真を現在の生家を取り囲む環境と比較すれば文字通り隔世の感を覚えるだろう。

何時だったか、我が家の近くにログハウスが建てられた。北欧風(だそうだ)の丸太小屋である。その家の後ろも前も、近隣の田んぼである。周辺の家屋はと言えば、別に欧州のどこぞの小さな街のような統一感はなかったが、それでもほとんどすべての家に瓦がのっかっていた。そこに、突然できたログハウスだった。
中学生の時分であったこともあり、明確な問題意識を持ったのではなかったが、何かしら「異様な」感じを覚えたことだけははっきりと記憶している。いつも愛犬の桜と散歩して最後にリードから彼女を離して二人でダッシュする道の側にできた奇妙な家であった。

それ以後も、当時の問題意識は継続して俺の頭にあった。
大学に入ってからも、たまに帰省して地方新聞を開くと、折り込みの広告に「憧れの北欧風ログハウスが今ならこのお値段で!」とあるのだ。
謎である。なぜ日本人がログハウスに暮らしたいのかは、人の趣味の話であるから措くとしても、日本の田舎街の景観に、ログハウスを建てた際に生じるであろう不調和を、建設会社も住宅販売会社も、また住宅の購入者も考えないものであろうか?と不思議で仕方がなかった。
考えてみてほしい。倉敷市の郊外の村のなかにログハウス。オックスフォードの郊外の河畔の小さな村に、金沢市あたりにあるような武家屋敷が突如建設されたとしたら、その人は変人扱いされてしかるべきだろう。

そういう俺が、オランダの田舎街を2007年の夏に訪れた。5歳離れた姉貴の旦那の実家のあるFrieslandに義兄の実家を訪ねた。アムステルダムから高速道路を北東(のはず)に2時間も走れば、この誇り高Frieslandersたちの、州旗にハートが彩られた、静かな美しい街に到着する。

俺の目に映るFrieslandは、ただただ驚愕すべき、人間と自然と文化の完全な調和だった。「完全な」というのは、これ以上の形式でこの三者が共存することはあり得ないだろう、そういう意味である。
おそらくは総てのほかのオランダの街と同じように、Frieslandには、水と野原と木立と人間と建物たちが、お互いに対立することなく、ひとつの有機的全体としての美を形成していた。そのなかにある家屋一戸を取り出してみれば、とりたてて特徴のない平凡たるものなのだ。だが、それが数十数百も集まり、その土地の風景に渾然一体として浮かび上がる時、個体としての家屋の没個性は、全体として圧倒的なまでの集合美へと昇華する。
こんなことは誰もが感じる陳腐な感想であり印象であると笑われるかもしれない。しかし、あれはあまりに衝撃的だった。俺は、日本という国の醜悪さを恥じた。義兄や義兄の家族が、清水寺や法隆寺ではなく、我々が暮らす生活の街を見る時、どう感じたか、それを思って、俺は途端に恥ずかしくなった。同時に、街全体が絵葉書のようでありながら、近代的な総ての便利さ(コンビニは含まぬ)を備えたこのオランダの小さな街とそこに生まれた義兄に、激しい嫉妬を覚えた。人生であれほどの嫉妬と言えば、現中日ドラゴンズの中里投手のストレートを打席でみたとき(三振した時)ぐらいだった。

義兄の実家の周りを車窓から眺めたり、運河から町並みを眺めたりするうちに、俺が考えたのは、あの倉敷の実家の近くに建てられたログハウスのことだった。オランダには、俺が記憶する限り、数寄屋造りもログハウスもなかった。それもそのはずで、オランダではほとんどの地方自治体で建てることのできる建物に制限がある。例えば、Frieslandの義兄の実家には裏庭に高さ1mほどの小さな木があるのだが、この木を切るためには役所の許可が必要なのだ。許可なく切れば、罰せられる。

オランダ人にとって、自分が所有する建物の外観は公共のものなのだ。公共のものであるから、それを自分の好き勝手に変更することはできない。
ただ、面白い対照にここで気づく。オランダは、日本よりはるかに「自由な」国である。人工妊娠中絶、職業としての売春、同性者間の結婚、一部ドラッグの合法化、安楽死選択の自由。。。日本では自由にできない多くのことがオランダではできる。であるにも関わらず、オランダには「好き勝手に家を建てたりそれを変更したりする自由」は個人に与えられていない。俺には、オランダには、「個人の自由に従属すべきもの」と「公共の利益に関するもの」の間の区別が現在にあっても確固として維持されている。そういう国を大人の国というべきだ。
翻って日本では、「自由」は金科玉条、絶対無謬の宗教となった。家をピンクに塗ろうが、ログハウスを田んぼのなかに建てようが、行政の近隣の住人も介入して止めることなどできはしない。それをやろうとする人に「変人」と呼ばれる覚悟さえあれば、なんだってできてしまうのが現在の日本のほとんどの地方自治体での建築行政である。いや、「日本でログハウスを建てるなんて阿呆か」と言っている俺のほうが変人だといわれる危険さえあるだろういんじゃぱん。

米国人であり、東洋文化の研究者であるアレックス・カーは、「犬と鬼」(講談社)という著書のなかでこのように述べている。

「そこ(日本)に見えてくるものは、ひょっとすれば世界で最も醜いかもしれない国土である。京の名勝や富士山の美しい景色を夢見ている読者には、かなりショッキングなセリフかもしれない。しかし、百聞は一見に如かず、素直になればみえてくる。たとえば山では、自然林が伐採され建材用の杉植林、川にはダム、丘は切り崩され海岸を埋め立てる土砂に化け、海岸はコンクリートで塗りつぶされる。山村には無用とも思える林道が網の目のように走り、ひなびた離島は産業廃棄物の墓場と化す。もちろん、多くの近代国家でも多少似たようなことがいえるかもしれないが、日本で生きている事態は、どう見ても他の国とは比較にならない。ここには信じがたい異質なものが出現している。国は栄えても、山河は瀕死の状態だ。」


「日本人は自然を尊重して、自然と調和した生活を送ってきた」というのは百数十年前の話だ。日本人は、自分勝手で、「おおやけ(公)」のことなど無視してかまわない厚顔を戦後65年をかけて学んできた。先生は誰か知らんが、出来の良い生徒であったことは、カーの著述を読むまでもなく明らかである。

近代建築の三大巨匠の一人に数えられる米国人建築家、フランク・ロイド・ライトは、明治の時代に帝国ホテルの設計を行ったが(帝国ホテル・ライト館、1968年解体)、日記に当時の東京(というより江戸)の印象を、端的に次のように記している。

「江戸ほど瀟洒な街を私はいまだに見たことがない

明治初期、日本人が、自分の国が一番だと疑わなかった頃(だからこそ生麦事件が起こりえた。薩摩のサムライはイギリス人を下馬しなかったという自分たちのルールから切り捨てた)、他国を真似しなかった時代であればこそ、150年前の日本の都市は美しい調和を保っていたのだと思う。欧米、というよりアメリカが正しい、先進的であると思い定め、日本列島を冷戦構造における一大産業基地にすることで経済成長を実現するという国家戦略の暴走と、日本人自身の自分たちの歴史や過去への軽蔑を原因として、現在のファミリーレストランと中古自動車やとラーメン屋のカラフルなだけの汚らしい地方都市(都会も同じだが)が成立したのだ。

さて、またまた長いだけの意味不明の投稿になりつつあるのでそろそろ終わりを考えよう。

観光というものは、名勝を訪ねて「へ~これがあの真実の口(ローマ)かぁ」でもよかろう。
だが、旅というものは、その土地の人々の暮らしが、その場所の土や水や空気や空や木立や緑とどのように関係しているのか、それは歴史的にどのように形成されてきたのか、それを今生きている人がどのように受け継いで現在の生活に反映されているのか、そういうものを見聞することだと思う。我々は、そういう歴史的なるものを含まぬものにはなかなか感動せいといわれてもできぬ。
今の日本に、上に述べたようなものが感じられる場所はほとんどない。京都でさえそういうものは絶滅寸前かすでに絶滅した。何が腹が立つって、池田屋事件の跡地に「池田屋」という新撰組とも志士たちともなんの関係もない貧相な居酒屋があるのだ。池田屋事件と言う歴史的な事実を、売名のために使うことしか頭にはないのだ。
日本の列島は北から南まで腐臭を放っている。
この国の民が「昔から自然を愛し、、、」云々という言辞は虚構であり、無責任なロマン主義でしかない。

私有財産権よりも、都市や田園風景の美観のほうが大切であるという「社会通念」はいかように醸成されるだろうか。美観を破壊した挙句に下落した地価のために困窮する地主層を救うために、自民党は日本中に道路を造りダムを造り海岸にテトラポッドを沈めまくった(メバルはうれしい?)。

新しい日本の構想。
21世紀を生きる我々は、22世紀を生きる子孫にどういう国家・社会を譲り渡すのだろう。
「日本人は伝統的に自然と調和して暮らしてきた」という過去150年間を許すためのウソはもはや罷り通らぬ。まずは、総ての日本人が、日本という国の物理的な醜さにしっかりと目をやって、それが異常であること(たとえば水道管と電話線はは地下を走るのになぜに電線はほぼすべてが地上をクモの巣のように覆うのか?)をしかと認識することが必要だろう。
この瑞穂の国は、もはや杉とコンクリートとアスファルトと消費者金融の看板が占拠する薄汚い土地になってしまった。
だが、だからこそ、これから我が国はよりよい国になりえるだろう。
それはひとえに我々の意思と行動にかかっている。

たらたらと長くなってしまった。
正直にいうと、時間的制約もあり妥協してしまった文章でございます。
すいません。

2010年8月20日金曜日

年会費100万円以上の出会い系

 
「私たちは、高慢ちきの小金持どもに出会いを提供することで、階級の固定化とブルジョワの再生産に貢献して参ります」
 
 
 

2010年8月19日木曜日

外苑花火大会

今日は六時から花火を観ながら宴会です。
さっさと退散ー

しかし、炸裂感のない花火だった。

無意味な言葉たち

過去の鷺沼の戯言を転送しますー

結婚式の挨拶を代行する鸚鵡をレンタルする会社を作ろうかな。
たまにそんなことを考える。冗談す。
先日友人の披露宴に招かれた。
汚い余興もなく、2010年に日本で行われる何万?の結婚式の代表にもなれそうな西洋式の式と披露宴だった。
気になったのは、新郎の父と新郎の挨拶が終わり、新郎に対して他の客と一緒に拍手をしているときのことだ。俺はなんであんな素晴らしくまとまっているが、恐ろしく陳腐でありふれた独創性のかけらもない発言に拍手をしているのか?
問題はこれであった。

新郎の父の挨拶は、人の前で、しかも数百の人の前で話すことに相当に習熟されている方ならんと感じさせるものだった。控え目に行ってもとても上手だった。

1.ご多忙のなか、ありがとう
2.未熟な二人故、今後ともよろしくご指導を
3.最後になりますが、皆様のますますの、、、

披露宴での父の挨拶は、荒っぽく言えばこの三つに一つ二つの小話を入れればまぁ60点は取れるのだろう。

新郎の挨拶。
上の新郎の父とほぼ同じ。なかなか堂々とされていた。
この後、会場は万雷の拍手、である。

いつどこで誰の式に行ってもこうなのだ。一人ぐらい40分間の演説をぶつやつがいてもいいのではないか?と思うのは俺だけか?気味が悪いのはあの挨拶の後の拍手だ。場の空気が拍手しないという選択肢を完全に排除する。それが発話者の陳腐な挨拶を寛容にも許し受け入れる。あそこでは、発言の内容なぞ誰も気にしない。発話者自身さえ気にしていないようにさえ思う。であれば、鸚鵡が喋ったほうが面白おかしくてよろしい。

俺はここに、自分が陳腐な言葉を吐くことに対する嫌悪感の皆無を見るのだ。陳腐で意味のない発話という意味では、ある披露宴での発話者の社会的地位がどんなものであったとしても、彼の自身の言葉に対する感度は、「あれチョーやばくね?」「やばい、チョーうけるんだけど」という不思議な会話の主とさして変わらぬと言える。言葉に意味がないのだ意味が。彼自身がその言葉に彼独自の意味を与えようとする意思がないのだ。
何故だろう。自分の言葉で話したいとは思わないのだろうか。世界の誰も言うことができないことを言ってやろうと思うことは変なことだろうか。
信長ならば自分の式で何を宣言するだろう。チャーチルならどんな古典を引用するだろう。オバマならどんな対置法を駆使するだろう。そんなことを考えないものなのか知らん。
溢れる無意味な言葉。
なにも披露宴だけじゃない。街でみかける標語の数々。例えば、最近みかけたのはこれ。

「守ろうよ私の好きな街だから」

誰から?何から守るんじゃ?私って誰じゃ。この標語が街に数十枚置かれていることで街がよくなるんか?通行人はこれを見て、「よし!国民として国防の義務を果たすために頑強な身体を作らねば!今夜はジムで鍛えよう!」と思うのか?
一番ひどいのはたまに地方でみかける「非核平和都市宣言」の馬鹿でかい看板だ。ある地方自治体が、そういう宣言をしていることを核兵器保有国は知っているのか?攻撃対象から外すのか?

無意味なのだ。鉄塔徹尾。恐ろしいほどに。
しかも誰もそれを批判しはしない。空気みたいに側を通り過ぎる。
誰も言葉の力を信じていない。他者の発する言葉に感動するなんてことはありえないことだとみな諦めている。青山の商社の前社長はまさにこの典型であり、無意味な言葉について僕に考えるきっかけをくれた恩人である。
そんな言葉不信の時代に政治家が街頭演説で、無意味な政策の羅列しか言えないのだ。日本の演説家は絶滅した。我々人間を、ホモ・ロクエンス、つまり「話すヒト」として定義するならば、人間は会話と言葉によって人間足り得ている。それが劣化し、その意味が問われぬということは、すぐさま人間そのものの質的劣化を招来するほかあるまい。
雄弁という言葉の60回忌ぐらいの法要が必要だ。俺は常に俺の言葉を吐こうと思う。
それができない場合はだまろう。それが、言語活動におけるナルシシズムと人が言うならば、それはまさにそうでありましょうな。

2010年8月16日月曜日

ひとりごつ

自分を生み育ててくれた親の行方さえ知らず、家族の生き死にさえ気にかけず。
そんな冷たい国の、臆病と虚無を自己欺瞞に満ちた誠実さで糊塗した平和よりも、俺は、銃弾に斃れた無名の兵士を永遠に記憶し崇敬を寄せる、そういう国に生きていたいと思う。

四股を踏む

少し前に、YouTubeで貴乃花の現役時代の四股をみた。無形国宝に登録すべきと思うくらいの美しさである。
次にイチローの打席にはいる前の股関節のストレッチをみた。見ているこちらまで気持ちよくなりそうなぐらい深く股が割れている。まるで、彼の骨盤と大腿骨をつなぐボール・アンド・ソケットは大腿骨の360度の回転を許すのかと思えるぐらいだ。
俺もはや28歳。タイ料理を食べると汗が吹き出すし、たぶん代謝は落ちてはいないのかな?と呑気にかまえているが、少し気になる年頃になった。
格好よくて、自分の意思のままに動く身体を維持することは僕の最低限の目標である。
で、以下はこれについて最近考えていること。

二の腕をひきしめる、お腹周りをひきしめる。そのためにダンベルカールを毎日行う。毎日シットアップを行う。たぶん完全に無意味である、つまり、効果は全然期待できない。
だいたい、筋肉は「引き締まる」ものだろうか?
筋は肥大するか、縮小するか、運動においては収縮するか弛緩するかのどちらかしかない。
二の腕を「引き締めたい」人は、本質に目を向けるべきなのだ。

人間の肉体における本質とは、臍下丹田、すなわち肚である。臍より少し下。骨盤の位置にあたる。骨盤がどう位置しているか、それをとりまく内部筋(いわゆるインナーマッスル)がどういう状態にあるかで、その人の美しさや人生は一変する。
今回は特に脊柱と大腿骨を逆V字型につなぐ、大腰筋に注目したい。こいつは、身体の後ろ側から、大腿部を内側に繋ぎ止め、上方に引っ張っている小さなインナーマッスルである。想像がつくと思うが、こいつが弱いと、まず臀部が下がる。同時に臀部を脊柱の方に引っ張る力が弱くなるわけだから、臀部は左右に開く。つまり、「垂れ下がった大きな尻」ができるわけだ。こうなると、それよりも上方に位置していた小腸などの器官が空いたスペースに下がってくる。左右から締め上げる力が失われているため、便の通りは悪くなり、自然、腹部下部に滞留する大小便はここを冷やすことになる。肚が冷えるということは、身体が冷えるということで、こうなると10代のときのような高い代謝を維持することは不可能だ。
こうして、代謝低下→消費エネルギー減少→脂肪増加→運動部足→筋量減少→代謝低下という最悪の循環が始まる。温泉でみかける肥満サラリーマンの腹にだけ注目してはいけない。真に怖るべきは彼等の臀部から大腿部にかけての退化しきった筋群である。彼等の股関節周辺の深層にある内部筋は、すでに極度に弱体化し、骨盤を前傾させて脊柱が本来描くべきS字のラインを作ることもできないのだ(このS字ラインは、男であれば颯爽とした印象と自信を他者に感じさせる。女性はこのラインなしにせくしーでいることは不可能だ。つまりくびれ。)。これがさらに進むと、脊柱は前屈し、姿勢は猫背になる。顎が前に突き出るようになり、歩幅は小さくなる。それがさらに全身運動を制限する...
この大腰筋を強化するのに、四股は最適と思う。というより、他にいい運動が見当たらない。上で貴ノ花とイチローに触れたのには理由がある。貴ノ花は、現役引退後には完璧なダイエットによって160kg近かった体重を80kgまで落として健康だし、イチローは37歳というのにまるで高校生のように飛ぶように駆け、飛ぶ。顔周りの15年前のままシャープである。まるでき代謝が落ちておらず、27歳の身体を維持していることが伺える。イチローが、オリックス在籍時から、初動負荷理論に基づき股関節及び肩胛骨周辺の柔軟性と内部筋の強化に務めてきたことはよく知られている。数千万円の初動負荷トレーニング用の設備をシアトルの自宅とセーフコフィールドに置いているそうな。イチローとは反対に、股関節周辺の内部筋のトレーニングを怠り、外部の巨大な筋群(ムキムキのひとが自慢する筋群。たとえば三角筋、大胸筋、後背筋)ばかりを鍛えて大失敗をした天才打者に、清原がいる。彼はジャイアンツ入団依頼、バリーボンズのような、プロレスラーのような115kgにもなる身体を作り上げた。あの肉体でもって150m級の本塁打を打ちまくってくれたらさぞ楽しかっただろうが、現実は逆だった。清原は、外部筋群を肥大させただけではなかった。恐らく意図したことではなかっただろうが、他の多くのプロ野球選手や新橋の酔っ払いと同様に、太り始めたのだ。顔のラインが明らかに西武時代とは違ってきていた。あれは、明らかに代謝の低下による。その清原は、引退後、すぐに急激に太っている。想像した通りだ。イチローは恐らく死ぬまで苦もなくいまの体型を保つだろう。

身体の深いところ、本質的なところを知らねば身体を自由に大きくしたり小さくしたりすることはできないし、自由に自らの体をコントロールして運動することなぞ無理な相談だ。
俺は自分の肉体だけは、完全な自身の主権のもとに置きたい。だから、股関節が凝り固まらないように、高校のときのようにとはいかずとも、しっかりとしたトレーニングを継続する。逆に言えば、ここだけ押さえておけば、身体は自由自在に変えられる。
俺にとって究極の肉体とは、朝起きた瞬間に30mのダッシュをして木にのぼり、木から3mしたの地面に飛び降りてもびくともしない豹の身体である。豹からしたら、100mを走るためだけにご丁寧にウォーミングアップをしている人間が馬鹿らしくて仕方ないだろう。

代謝を高く、体温を高く。男の体は常に振り絞られた弓のように緊張しつつも、いつでも弛緩できなければならない。
そういう肉体にこそ、生物としての強力なエネルギーが宿るのであり、これなくしてオーラなんぞあり得ない。オーラオーラと言い偉そうにしていた肥満の男性スピリチュアリスト?が消えて行ったのは事の必然だと思う。
僕は腹に太陽を感じることがままあるが、これは上の話と整合的だ。身体が冷えては身体に太陽は宿らぬ。太陽なくば、そのひとは孤独に勝てぬ。孤独に勝てねば、指導者にはなれぬ。
かくして導かれる結論は、こうだ。

指導者は、四股を踏め。最低一日10回。

この投稿、過去にDocomoの携帯電話からGmailにccで送っていたものを転送したのだが、Gmailのメール検索のスピードは凄い。
Outlookなんかよりはるかに快適。そりゃ皆さん使いますわな。



2010年8月15日日曜日

人類=戦争を行うサル科の動物

毎年恒例である。
日本武道館で政府主催の戦没者追悼式が開催され、新聞は「語り継ぐほにゃらら」といっては大東亜戦争(彼らは太平洋戦争というが我々のあの戦争の正式名称は大東亜戦争だ。なにも太平洋だけで戦ったのではない)の特集記事を大袈裟に掲載し、テレビは便乗商法よろしくそれらしきドラマやドキュメンタリーを放送する。それにしても昨日のTBS「帰国」は酷かった。
あぁ、農耕民族のカレンダーに加えられた新たなる年中行事よ。

俺は、この時期に異常なほど頻繁に耳にする「戦争について考えよう」という言葉が嫌いだ。大嫌いといってよい。

一昨日、カザフスタン人の女性と昼食を一緒に食べた。彼女が「日本人には神はいないのか?宗教は生活にまったく入ってこないのか?」と言うので(こんなことは過去にもままあったことだが)、昨晩しばし思案したが、俺自身の神ー精神の背骨をなす原則=白洲二郎のいう「プリンシプル」ーは、神風特攻隊としてレイテや西太平洋、沖縄の海に散華された英霊なのだと改めて悟った。あの世があったとして、そこで俺が英霊諸氏のお目にかかるとき、俺は正々堂々たる大丈夫として、彼らの後の日本人として恥ずかしくない人間でなければならない。自分の行為の基準を、「必死の作戦」に向かって戦い死んだ英雄と等しくするとき、俺に求められる節制とストイシズムは、マルクス・アウレリウスやスパルタの若き兵士のそれに負けているわけにはいかぬ。
つまり、俺は我々が戦ったあの戦争を自分の歴史として咀嚼して飲み込んでいる。英霊は、我が同胞、祖国の大先輩であり、俺とは異なる存在として俺に対置するような存在ではない。彼らの行いは俺の行為と同視されうべきものであり、従って俺の行為も彼らの規範意識から規定されざるを得ない。

しかるに、愚鈍な”平和主義者”か「戦争について考えましょう」というとき、それは「(大東亜戦争という、人類の歴史からすればたった一つのごく最近の戦争を過度に一般化して人類の「戦争一般」に等置したうえで)戦争の悲惨さを学び記憶しましょう」ということだ。つまり、「戦争」について考えるといいながら、やろうとしていることは、戦争という政治的目的に指向された集団的な有形力の際限なき応酬が、生物としての人類にどれだけの損害を与えうるか、それだけのことだ。そこで目指された目的も、対立した利益も一切考慮しはしない。
悪いことに、こういう”平和主義者”は、徹底してあの戦争を自己の外部にあるものとする。彼らにとって戦争を知るということは、20世紀前半に戦われた国家総力戦が、21世紀初頭の日本人の一般的な生活からどれだけ乖離したものであるかを知ることに他ならず、それ以上の意味はない。

彼らは、戦争を差別しているだけなのだ。彼らにとって、戦争は、自分たちとは関係のない、知ることや批判することの「対象」でしかない。しかも、それについて語られる歴史は通りいっぺんの自虐史観ときている。これは、洗脳である。子供たちが戦争について自由に考える可能性を奪っている。我々の子供たちが、10人が10人「戦争は悲惨な殺し合いだからしてはいけませんと学校で学びました」と20
歳になったときに言っている国が、健全な国だろうか?そんな幼稚なことを教えていれば、ある日攻撃を受けたら正反対の軍国主義に向かうことはないだろうか。固より、戦争について語ることは容易なことではない。だが、大人であれば、平和を常に念願希求しながらも、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と言う以外にないだろう。だからこそ、つまり、平和を求めながらも戦争に備えるこの矛盾を引き受けて、絶妙の平衡感覚の国際関係の海を航海していくのが大人の国であろう。
自分たちが未来において戦争の当事者として殺し殺されるかもしれぬという想像力を奪ってしまっては、現在世界で起こっている戦争の原因の内在的論理を把握することなどできはしない。そうであればこそ、ここ数十年間、日本は世界史から無視されている。

あの戦争について考えるならば、例えばナチスの昭和14年、15年の欧州を席捲するかのような躍進が日本の政策決定に如何なる影響を与えたのかとか、さらに遡ってなぜ日本人の大半が満州国建国に万歳したのかを、歴史的事実を辿りながら精緻な検証を行う他ない。大江氏の「広島ノート」読んで戦争を知った気になることは、デミオに乗ってフェラーリを語るようなものだ。

人間の関係は、重層的で複合的なものだ。そして、特攻隊の英霊も、特攻を命じた指導者も、開戦を決断した者も、我々と能力と倫理観において異なることのない人間一人なのだ。
戦争は人類のものであって、過去のものではない。戦争は、一年のうち数時間過去のできごとを聴けば理解できるようなものではない。
国内の全ての大学で、軍事学概論と安全保障論の講義を必須科目とするべきだ。

独り言:
金曜日に友人と会食があり、二次会で西新宿のPark Hyatの41階のラウンジでプレミアムモルツをいただいた。さすがにこの高さまで上がると金曜日の東京の夜景は素晴らしく、なかなかに綺麗だった。
41階の窓の外に蛾が一匹とまっていたのだが、たいしたやつだと思った。

デカルトは大嫌い(というほど読んでないが)だが、それでも哲学とは疑うことなのだと思う。疑っている自分の存在を疑いだしたら発狂して終わるが、それはそれで大変誠実な生き方と言える。
現在の日本で当たり前とされていることのすべてを疑って、これに戦争を仕掛ける。
それを誰かがやらなければ、この国は丁髷に刀で第一次世界大戦を迎えることになってしまうだろう。
無自覚な既得権益者の諸君、トーチカを掘るなら今のうちだ。しかしそれさえも、我々は粉々に粉砕してしまうであろう。
最近、こんなふうに社会を眺めている。

女性と二人で食事にでかけて食べるものをなかなか決められない男はスマートではないとよく聞くが、これは生物学的にも問題じゃないかと思う。
何を食べたいと尋ねられたときに、舌で考えている男は大した男ではない。生物として強い男は、自分がこの瞬間必要としている栄養素が何であるのか分かっている。だから、妻や彼女に「何を食べたい?」と聞かれたら、「動物性たんぱく質とビタミンCを大量に、それ以外は鉄と酢が必要じゃ」とこういう具合だと、なかなかの男と認められる。自分が食べたいもの、食べるべきものを栄養学の本からしか知り得ないような生物になってはいけない。自分が摂取すべき栄養素が何であるかわからないほどに鈍感な体であるならば、あなたは危機的状況にある。

ところでなんで甲子園はこんな真夏にやるんでしょうか。
暑いばっかりじゃないですか。9月下旬くらいにやればさらに球児の素晴らしいプレーが観れるでしょうに。
「汗と涙の夏の風物詩」などと言う自称元野球少年のジジイがいたら、叩き切ってくれるわ。

2010年8月11日水曜日

読書メモ

・石原慎太郎「真の指導者とは」幻冬舎新書
チャーチルは、子供のころこんなことを言ったそうな。
「人間はみな虫だよ。だが、僕だけは、蛍だと思うんだ」
ここまでの自負を持って生きる動物を俺は愛する。チャーチルは批判されることも少ないない。
例えば、「制限戦争指導論」で有名な英国の戦略家J・F・C・フラーも、チャーチルの敵の殲滅(ヒトラー、ナチス)を求める無遠慮過ぎる戦略を大いに批判している。
それでも俺は、公的な事柄に自らを投じようとする男の勇気は、何よりも尊いものだと思う。チャーチルのように、危機の時代に、危機の時代にのみ役立つ男になりたい。「平和だって?それじゃ俺はおよびじゃねぇな」と紅の豚のように渋く言いたいわけである。
福沢は「痩せ我慢の説」で、「立国とは私なり、公にあらざるなり」と述べた。国のための生きることは、公のためではない、俺のためである。
「楽天主義は意志の所産だが、厭世主義は人間が自己を放棄した際の状態である」
石原氏のエッセイ集のようなものだ。あまりお勧めはしません。ただ、さすがにところどころ面白い引用がありますので、そこは意義あり。


・神立尚紀「祖父たちの零戦」講談社
この本の249ページをぜひ読んでみてほしい。
昭和19年8月から第一航空艦隊参謀長を務めた小田原俊彦大佐の、なぜ特攻を命じるのかについて問われた際の言である。
「それは、一度でよいから敵をレイテから追い落とし、講和の機会を作りたいからだ。日本本土に敵を迎え撃つことにならないようにするためには、フィリピンを最後の戦場にしなければならない。だが、いま東京で講和などと口に出そうものなら、たちまち憲兵に捕まり、あるいは国賊として暗殺されるだろう。そうなれば、陸海軍の抗争を起こし、強敵を前に内乱も起こりかねない。きわめて難しいことだが、これは天皇陛下自らがお決めになるべきことである。
これ(特攻)は九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西(瀧治朗、海兵40期、最終階級は海軍中将、「特攻の生みの親」と呼ばれることがある)は馬鹿ではない。
だが、ここに信じていいことが二つある。天皇陛下はこのことを聞かれたならば、戦争をやめろ、と仰せられるであろうこと、もうひとつは、その結果が仮に、いかなる講和の形になろうとも、日本民族がまさに滅びんとするときに、身をもってこれを防いだ若者たちがいたという事実と、これをお聞きになって陛下自らの御心で戦を止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するだろう、ということである。」

新藤三郎という海軍の零戦乗りは、戦前戦中は子供たちのヒーローだったのが、戦争が終わって数カ月もすれば、「あいつは戦犯じゃ!」子供たちが彼に石を投げつけるという体験をした。そして、戦争が終わってから数十年後、亡くなる直前に、「一生懸命やってきたことが戦後馬鹿なことみたいに言われて、つまらん人生でした」と言っていたそうな。
みなさん、これ、どう思いますか。
間もなく敗戦の日だ。
俺は静かに靖国に眠る247万柱の英霊に対して敬礼する。
ところで、三菱零式艦上戦闘機が中島飛行機(富士重工業=スバル)のエンジンを積んでいたというのを皆さんご承知だろうか。
ランエボの心臓にスバルの水平対向エンジンを積んでいるようなものか。


・ドラッカー「経済人の終わり」ダイヤモンド社
まえがきが、「本書は政治の書である」から始まる。
この本を買ったのは、先日「現代思想(雑誌)」がドラッカーの特集をしていたからだ。
そのなかで、なんちゃらという米国の学者が「大転換」のカール・ポランニーとドラッカーの思想の類似点を強調していた。ドラッカーは、国家を完全には信頼できぬがゆえに、彼は企業に社会的価値の実現を期待した。ナチスが欧州を席捲していた(日本はそれに酔いしれて「バスに乗り遅れるな」と三国同盟を結び、ソ連を含めた四カ国同盟を夢想した。。。)1939年に、29歳のドラッカーはこの処女作を世に問うた。目的は、ファシズム全体主義を批判し、新たな社会(共産主義はファシズム以前に崩壊していた)を構想することだ。
最近の俺の問題意識から、特にこの一文が目にとまった。
「人間を経済的動物(エコノミック・アニマル)とする概念は、完全に自由な経済活動を、あらゆる目的を実現するための手段としてみるブルジョア資本主義社会およびマルクス社会主義社会の基盤である。経済的満足だけが社会的に重要であり、意味があるとされる。経済的地位、経済的報酬、経済的権利は、すべて人間が働く目的である。これらのもののために人間は戦争をし、死んでもよいと思う。そして、ほかのことはすべて偽善であり、衒いであり、虚構のナンセンスであるとされる。この「経済人」の概念は、アダム・スミスとその学派により、「ホモ・エコノミカス」として初めて示された。「経済人」とは、常に自らの経済的利益に従って行動するだけでなく、常にそのための方法を知っているという概念上の人間である。この抽象的な存在は、たとえ教科書のなかでは有効であっても、現実に人間の本質を定義するものとしてはあまりにも素朴でえあり、戯画的である」
アリストテレスの時代、最も高等な人間は「ホモ・ポリティクス」とされた。近代資本主義が成長するにつれて、「ホモ・エコノミカス」が幅を利かせた。ドラッカーが「経済人の終わり」を宣告してから71年が経った。そろそろ我々は、新しい、最も高等な人間のあるべき姿をみつけてもいい頃だ。
ドラッカーは、思想家である。まず第一に、思想家である。

レーモン・アロン

”青春が青春たる不可欠な要件とは、第一に戦争、第二に貧困、第三には血反吐を吐いてでもぶつかっていき、それを超えようと思わせる偉大な思想だ。それがいまではみんななくなってしまった。“

法律の限界、そして保守主義的なるものへ

関西学院大学の時分の話である。
2002年の4月にこの大学に入学して、GW前には人との関係を断つことに決めたことで俺が得たものは、膨大な時間だった。日本の文系の大学なんぞ、東京大学だろうがほにゃらら大学だろうが、さほど変わりはせんだろう。ゼミで報告の担当になれば、文献を読んでレジュメにまとめて、その主題についてなんの学問的関心も持たぬ生徒だらけの教室で喋らされるぐらいのものだ。
というわけで、一日のうち最も多くても講義は3つという塩梅だったから、それ以外はすべて自分の時間である。小学校一年生の時から野球をやっていた俺は、こういう自分の時間をろくに使ったことがなかった。まぁ、それだからこそ、友人とつるむということができないのである。毎日が日曜日のようだった。
ただし、暇だなとか退屈だなと思ったことは一度もない。トレーニングと読書と武庫川の河原での思索(ぼけーっとしているだけ)で一日7時間はすぐに消えてしまう。おまけに備えたばかりの110インチぐらいのホームシアターで戦争映画をたまに見ていれば、時間は足りないほどだった。

サラリーマンになりたくないと小学校3年生のときから強く考えていたので(おい、貴様の今の職業はなんぞ?)、手に職をつけようと思った。せっかく強制されて六法全書も買ったし(俺は国際法を研究したかったのだ)、司法試験を受けてみようと思った。親に「司法試験を受けたいからお金を下さい」というと、案の定というべきか、すぐさま快諾してくれた(我が両親は教育・書籍への出費には本当に寛大だった。学部・大学院の六年間を通して、本を買うのに金がないと電話をしたら、2日後には図書カードを送ってくれた。感謝しています)。俺は2002年の9月から大阪は梅田の伊藤塾に通うことになった。

司法試験受験に際して、基本となるのは憲法、民法、刑法の三つである。
憲法9条の馬鹿げた解釈論に呆れてしまったり、刑法の行為無価値と結果無価値の論争に思想的な興味を覚えたりしながら、日々予習と復習を繰り返し図書館で論点を丸暗記する、そういう傍から見れば大変地味だろうが、野球をやっていた時代とあまり精神的には変わらぬ、淡々としているが充実した日々を過ごしていた。

ある日の伊藤塾での民法の講義のことだ。
不法行為責任を問われた場合の責任の範囲についての論点で、俺は突然法律をあきらめた。
それは、こういう事例だ。

あなたは今自動車を運転している。連日の飲み会で睡眠不足だった。つい居眠り運転をしてしまい、中学生の男子生徒を撥ねてしまった。男子生徒は、大腿骨を骨折してしまっているが、生きるか死ぬかの瀬戸際でもない。あなたはあたふたしながらも、なんとか携帯電話でアンビュランスを呼んだ。救急車が15分ほどでやってきて、男子生徒を乗せて走りだした。100m進んだところで、2.5tほどある米国製SUVが対向車線をはみ出して救急車に突進し、時速85kmで、60kmで走っていた救急車に正面から衝突した。男子生徒は、この二度目の事故で、即死してしまった。

さて、この場合、あなたが負うべき不法行為責任はどこまでか?
男子生徒の二度目の事故はあなたの起こした事故がなければ起こり得なかったから、彼の死亡についても責任を負うのか?それとも“第一段”の事故についてのみ責任を負うのか?彼が天才ゴルフ少年で10年後のマスターズ制覇は確実と見られており生涯所得は100億円を超えると見積もられていたら、そのような莫大な金額を遺族に賠償せねばならんのか???

法律は、こういう問いに答えを出せない。
だから、法律の専門家は、「社会通念上、相当と考えられる程度に限り、不法行為者は損害賠償の責任を負う」とかなんとかいうのである。
ここで大いなる疑問が生じた。

「社会通念」


????????

サッチャーはかつて「社会なぞない。あるのは個人だけだ」と言ったが、「社会」なんぞあるのか。しかもそこに「通念」なんぞあるのか。これが、俺が民法の勉強から得た、思想的な意味で最も俺に貢献した最大の疑問であった。

今から思えば、当たり前のことなのだ。法律は、法律以前の、社会に広く共有された価値観(「共通善」とでも言えましょう)があればこそ、その上に、警察・検察・軍隊という実力によって強制力を担保された法律が存在しえるということ。
例えば、「人を殺してはいけません」という当為は、「人を殺してはいけない」という価値観が共有されていないならば無駄である。「いや、牢屋にぶち込まれたり、最悪の場合は死刑という抑止力があるから問題ない」と強弁する人があるやもしれぬが、それにはこう反論しておけばよい。自殺願望があるが自分では死ぬ気がない人には、死刑は抑止力を持たぬし、人間のなかには人を殺して刑務所でただで飯が食えると考えるほどに浅ましい者がいないとは断定できぬ。

というわけで、俺は、それ以後「社会通念」の探索を始めるハメになった。
人を撥ねてしまった場合に、あなたが追うべき責任の範囲、、、どこまでの責任を負うことが、「正義」に適っているのか?そんな答えは、六法全書にも民法学者の脳ミソのなかにもないことぐらいは、容易に見当がついた。

人を殺してはいけない、それはなぜ?誰が決めた?殺されてもいいぐらいの悪者はいないのか?実際世のヒーロー物語では(ドラゴンボール)は人(宇宙人?)を殺しまくっとるじゃないか?
年上の人には挨拶をしましょう、それはなぜ?誰がきめた?親父か?天皇陛下か?猫には挨拶せんでええのか?
朝人とあったら「おはようございます」と言いましょう、それはなぜ?「お早くございません」ではだめか?

とまぁ、考え付く限りの学生らしい疑問を頭にたっぷり詰め込んで、それがあまりに解決できぬものだから、いつもイライラしていた。こんな質問を人に尋ねても笑われそうだったし。

勘のいい方のご賢察のとおり、俺はこうして保守主義というものに傾倒し始めたのだった。
まず、西部邁氏の著作を片っ端から読みふけった。独自の文体が妙に目にも腹にも優しくて、読むのが非常に楽しかった記憶がある。
そして、西部氏からバークというフランス革命を批判した英国人がいたことを教えられた。
それまでの教育で、フランス革命は「貴族や王や宗教者の圧政に対して、”市民”が立ち上がり自由と平等と博愛の精神を世に広めた世界史的事件」という左翼の香りプンプンのドグマ(教義)で洗脳されていた俺にとって、世界でもっともはやく民主主義による統治を始めたイギリスのこの貴族が、フランス革命を糾弾したという事実は、恐るべきことであると思われた。

法律は、誰かが作る。それを解釈して運用する。そのことには関心を持てなくなって、やがて六法全書を鞄から投げ出した。「正しいものとはなにか」「社会にとって善とはなにか」「国家にとって社会とはなにか」「戦争において美はありえるか」。これらが当時の俺の問題意識の主たるものだった。

思想という、俺が生涯離れられぬであろうこのことに目を向けざるを得なくなった背景にはかかる事情があったのである。

(断わっておくが、俺は法律家は尊い職務だと思っている。俺は、人が作った法律(米国が作った憲法)を運用することへの関心を失っただけである。)

2010年8月9日月曜日

核兵器の時効

俺の仕事は核燃料を売ることだ。
珈琲を出す店が、「アフリカの民を搾取する極悪企業!」と罵られることがあることを考えると、数万年にわたって放射能を発散し続ける「核のゴミ(使用済燃料」を後の世代に譲り渡すという事業に手を染めてい
る俺は、過激な環境テロリストからすれば暗殺リストの端の端に載っているかもしれないとさえ思う。
今日は、長崎にプレトニウム型原子爆弾が投下され炸裂してから丁度65年だ。毎年恒例の行事が広島と長崎で行われ、いつも通りのニュースが放送されている。
ウランの仕事に携わって丸二年。核兵器と世界秩序についての我が見解をここで申し述べたい。

まず、最初に断っておくが、兵器としての核と人間は、「共存せねばならない」というのが俺の意見だ。そう考えるのは以下の理由による。
我々は、核兵器と"仲良く"70年弱を生きてきた。この事実は、重大である。最早核兵器は我々人間の外部的存在ではなく、むしろ、我々の最大の共同体の単位である国家間の関係を最も基底的に支えている、人間内的存在である。支えている、というのは、「それがあるから平和がある」という意味では必ずしもなくて、政策決定者が戦略を立案する際の最も重要で死活的な利益が核兵器に懸かっているということだ。なぜなら、純粋な意味で、核兵器のみが「国家を絶滅させる」物理的能力を我々に与えているからだ。広島に落とされたウラン型原爆の数千倍の破壊力を持つ弾頭が、いまこの瞬間にも世界の海に数百発も数先発も潜んでいる。

だから核兵器をなくせばよい!核兵器反対論者の主張はこうである。だが、核がなければ世界が平和になる保障は全然ない。逆に、核兵器が誕生してからも人類はひたすら戦い続けてきたが、それでも人口数千万の国
同士が真っ正面から総力戦でぶつかり合うという戦争がなくなったという事実は、核兵器がもたらした数少ない果実ではなかったか。核兵器がない時代は平和だったか。ルワンダでは自動小銃さえないのに民族間の悲惨な闘争で数十万の民が殺されたではないか...
核兵器と我々は、もはや地球の自然の一部をなすまでになった。悪としての核兵器は、もはや時効を迎えたと言える。それと今後も向き合って、共存していくことは、我々人類の宿亜なのだ。
我々が、この悪魔の兵器を廃絶できないまでも、共同によって、また抑止によってそれが使用されないことを確保できるならば、俺は人類の将来に希望を持てる。

核兵器がなければ世界は平和だというのは、戦争がなければ世界は平和だというのと質的に変わらない。金持ちになるためには貧乏でなければよいというのにも近い。

保守主義者は、世界に革命を求めない。世界から核兵器が根絶されることは、純粋な意味で革命である。国際社会の基底を覆して、過去に戻るものだからだ(revolve)。俺は、不満足ながらも(核兵器という癌を抱えながらも)、これまでの先人達が必死の思いで築き上げてきたこの既存の世界秩序を、希望という櫓に組み立てられた理想よりも尊いものだと思う。

卓抜した国際政治学者である中西寛は、著者「国際政治とは何か」の最後で次のように述べている(俺に京大の大学院に入ることを決意させた文章である)。

"私はテクノロジーがもたらす「仮想の地球社会」の中で人々が理性に目覚め、人類愛によって結ばれて平和と幸福と長期の健康とを享受するよう
になる世界よりも、時に怒り争い、時に欠乏に不平を鳴らし、時に誤解をしながら、人生に希望を抱きつつ、幾人かの人を愛し、やがて死んでいく人間からなる社会に住んでいたいと個人的には願うし、そこにこそ人間的な秩序が存在すると信じている"



俺を狂人だなどと誤解しないで欲しい。核廃絶を叫ぶ前に、日本に届く中国の核ミサイルの数を正の字を書いて数えて欲しい。弾頭の数ではなくて、ミサイルの数で十分だ。米露中さらには北朝鮮という核保有国に囲まれた我が国が、「唯一の被爆国として非核三原則を堅持し、核廃絶を実現する」というのが、俺には性犯罪の被害に遭った女性が深夜のヨハネスブルクのダウンタウンをホットパンツにキャミソールで歩くようなものに思えて仕方がない。
一国の安全保障戦略を論じる際に、核兵器の言葉さえ出せないこの空気は異常だ。大東亜戦争中に、「戦争反対!」と叫ぶことは、このような感じだったのだろうとたまに思う。
日本に再び核が落ちてこないこと、そのためには、俺はどんな手段も採るだろう。

2010年8月7日土曜日

坂本竜馬、あるいは国家の不安

坂の上の雲、坂本竜馬、新撰組。
特に坂本竜馬は、四国電力のある人もいっていたが、「高知のもんは金もないくせに竜馬竜馬とえらいうるさい」というぐらい、NHKの大河ドラマに採用されたこともありえらい流行り様だ。
5月に会津に行った時は、竜馬とは立場からして敵であるはずの会津百虎隊記念会のそばでも、坂本竜馬のティシャツなどが売られているのだが、まぁ商魂逞しいというかなんというか。

俺は、今のこの「近代日本成立の物語」が茶の間で人々に訴えるものがある、その理由はなんだろうかとふと考えた。竜馬や新撰組はそのまま明治維新へとつながる激動の時代の物語の主役であるし、小国日本が大国ロシアを破った日露戦争は日本人の小さな誇りに未だに微力ながら支えている。
ありきたりな言い方であるが、この国の民は「日本とはどういう国であるのか」という国家アイデンティティーに自覚的、無自覚的に不安を抱き始めているのだと思う。
我々は、「どこそこの家に生まれ、どこどこの学校を卒業し、どこどの会社に勤め、こういう家族と暮らしている、日本人の男である三谷原基」というような形で自己を認識している。そのいずれもが、自己を他者とは異なる存在たるものとして把握するために必要不可欠なものだ。こう書けばわかるように、我々のアイデンティティーというものは、ほとんどの凡人の場合、「自分が所属する組織・共同体」によって規定されている。であればこそ、自己紹介が「自分が所属した過去の組織の紹介」になりがちなのだ。
しかるに国家というものは、所属すべきものがない。「宇宙船地球号」といってしまえば聞こえはいいのかもしれぬが、そこにはなんらの歴史的実体がない。つまり、国家とは、我々個人よりもはるかに自己を規定しにくい環境のなかで生きることを余儀なくされた、政治的な共同体なのだ。そうであればこそ、自国の輪郭を明確にするために、外部に敵を求めることが歴史において通常の権力者の戦術であったのだ。

戦後日本の背骨となってきたアイデンティティーとはなにか。
それは、「アジア唯一の近代国家、世界第二位の経済大国」のほかにあるはずがない。
我々は、それを失おうとしている。日本製と同様と電機製品や自動車がアジアのほかの国で造られ、一部の市場では日本製の製品を押しのけて市場を制覇している。日本の企業は、世界のいずれも分野においても一位を占めるものが少なくなり、世界経済における日本の経済規模は15%もあったものが数年もすればその半分にまでなるだろう。

そういう時に、近代日本の黎明期に活躍した竜馬や、近代日本の最大の危機であった日露戦争の血が沸くような物語は、今の日本人が求めるものではあるだろう。汗をかいた後のビールがうまい(らしい)のと同じように、体は求めてはいないが飲んだら(観たら)一瞬幸せになって、国家の「大きな物語」が目の前にあるかのように思えてくるのだ。

だが、空しい。
大河ドラマ「竜馬」の放送のあとに我々が聞くニュースで、政治家は国家のグランド・デザインを語るのではなく(有権者もそんなことは聞きもせぬ)、事業仕訳で数億円を捻出することの意義について喋るのだ。日曜日の銀座の歩行者天国でテレビカメラに捕まえられた主婦は、何もわからないからとりあえず「管さんには経済をよくして日本を元気にしてほしいですね」というのだ。こういう発言は、「宝くじがあたったらいいのにねぇ」とおばさんが井戸端会議でしているレベルと全く変わらない。つまり、そんな期待なぞ誰もしていない。
嗚呼、どうするべきか。この国を覆う無力感と脱力感を。
日本という国を支える細胞、その一個一個が我々だ。
我々個人が圧倒的な生命力を持たぬならば、日本国家も衰弱しやがて死にゆくだろう。
俺は、最近本当に日本は既得権益者に牛耳られたつまらん国になり果てていると感じることがある。
それは平和の恩恵でもあるのだが、戦闘者は消滅し、悪しき保守主義というウィルスが社会に蔓延している。このウィルスの症状は無気力と倦怠感ときている。
誰も決断をせず、誰もが喜ぶことを言い合い誰かに媚び諂っている。

鷺沼の深夜のマクドナルドで一人チキンナゲットをいらつきながら口に運ぶ女性と連れられた幼子。表参道に人を呼ぶ高級ブランドの数々、そこに笑えるほどの御洒落全開で乗り込むお金持の卑猥な自己顕示欲。襟足の髪の毛を触りまくる渋谷の馬鹿男の、水牛の群れのような集団。。。
そういうものの一切が、この腐りきった日本と言う国の現状を最も薄汚い形で表象しているように思える。

我々は、幸福を求めて不幸になった豚だ。
俺は、“Difiant Conservatist"として生きていくほかあるまい。


独り言:
行方不明の老人。資本主義が分節化してしまった人間同士の関係。たとえば家族8人で家で食事をするよりも、8人のうち5人が外で食事をするほうが消費される食糧(残飯含む)や水や金銭は大きい。
つまり、経済成長とは、そういう一面を持っている。
それにしても、自分の親の行方(生き死に)さえ知らずに普通に生活をしているとは、日本人は畜生になり果てたのだろう。俺はどれだけ馬鹿でも人間として生きて死にたい。

ついに円ードルのレートは85円にきた。
日本の富は奪われた。誰も責任を取りはしない。当たり前のように。まるで、前が降ってきたかのように『円が買われています』というニュースが日経に載って終わりだ。
俺は深夜残業が美徳とされる会社で働いている。それは、「日本人の勤労の美徳」でもなんでもないのだ。
宗主国アメリカにせっせと稼いだ金(ドル)を渡すことが国是となり、そのための過労は美徳であると戦後日本は教えてきた。
日本が戦争に負けたということの意味を、俺は会社で働くようになってから学んだ。

2010年8月1日日曜日

松下政経塾にて

大学院時代に世話になった千葉氏(写真左端)が松下政経塾で活動されている。
http://www.mskj.or.jp/
今日は日本の高齢化社会がもたらす問題(2030年には日本人口の30パーセントが65歳を上回る)についての共同研究発表があり、聴衆も自治体職員や介護福祉士をはじめ多かった。

四月頃、NHKが「無縁社会」についての報道番組を放送した。ものすごい反響があった番組だ。無縁社会とは、核家族化と個人主義の蔓延で、老人がひとりで生活し、一人で不安をかかえ、一人で死んでいく。周りの誰とも縁が無い、そういう社会と取り敢えず考えてよい。
特に興味深かったのは、30代、40代の単身世帯の者が、これに鋭く反応したことだ。皆不安なのだ。仕事があっても、やがて自分は孤独に一人で死んで行くのではないか、そういう漠然とした不安がゆっくりと広がっている。
今回の発表は、要約すれば「高齢者の社会参加によって、高齢者の孤立化を予防する。その社会参加のひとつの形態として、高齢者による高齢者支援を提案する。それによって『支え合い』の国をつくる。」というものだった。
正直にいえば、発表後にも幾人かの聴衆からら批判があったように、「これ以上ない出来だ!」というプレゼンテーションではなかった。特に、数値的な部分は、国の統計なり、地方自治体の統計なりを積極的に使用すればより説得力のあるプレゼンテーションになったのではないかと思う。

思うに、2030年の超高齢化社会は、ITリテラシーを身につけた情報化社会の恩恵を享受してきた世代が爺さん婆さんになる時代だ。考えてみてほしい。2030年に65歳になるのは現在の45歳、75歳になるのは現在の55歳だ。彼等はほぼ100パーセント携帯電話を保有し、日常的にEmailとインターネットを使っている。こういう爺さま婆さまらと、いま90歳の爺さま婆さまとはこの点で違うのだ。俺の祖母は健在だが、祖母と"外界"をつなぐものは唯一固定電話だけだが、俺の母親も父親も75歳になっても携帯電話(おそらくはいまのiPhoneがばからしく見えるほどに革新的に進化した携帯電話)を使用しているだろう。それによって、一人暮らしをする高齢者の孤独が完全に癒されるとは言わないが、それでも離れて暮らす家族とのコミュニケーション、写真や動画の交換、社会におけるニュースの更新などは、現在の高齢者とは全く異なる次元で行われるだろう。食料品などの買い物もタッチパネルの携帯電話で可能になり、それは当日か翌日には配達される、そういうふうになるのだ。海外に暮らす息子とも、鮮明な画像でのテレビ電話が無料でできる。
だから、俺は少しだけ安気に構えている。そりゃ「メールと電話だけなんて味気ない」という人もいるだろうが、家族や社会と最新の通信デバイスを用いて繋がることができるならば、ちょっとだけ俺は嬉しい。
俺の母上はせいぜい携帯でメールをされるぐらいだから、ちょいちょいIT教育が必要だらう。まぁでも、母上がトゥイットァーを使用されるのは、それはそれで驚異ではあるが。