2010年8月22日日曜日

田んぼの中のログハウス

物心ついた頃、生家の家の周りは田んぼだらけだった。一面の田んぼだったとは言わないが、当時の写真を現在の生家を取り囲む環境と比較すれば文字通り隔世の感を覚えるだろう。

何時だったか、我が家の近くにログハウスが建てられた。北欧風(だそうだ)の丸太小屋である。その家の後ろも前も、近隣の田んぼである。周辺の家屋はと言えば、別に欧州のどこぞの小さな街のような統一感はなかったが、それでもほとんどすべての家に瓦がのっかっていた。そこに、突然できたログハウスだった。
中学生の時分であったこともあり、明確な問題意識を持ったのではなかったが、何かしら「異様な」感じを覚えたことだけははっきりと記憶している。いつも愛犬の桜と散歩して最後にリードから彼女を離して二人でダッシュする道の側にできた奇妙な家であった。

それ以後も、当時の問題意識は継続して俺の頭にあった。
大学に入ってからも、たまに帰省して地方新聞を開くと、折り込みの広告に「憧れの北欧風ログハウスが今ならこのお値段で!」とあるのだ。
謎である。なぜ日本人がログハウスに暮らしたいのかは、人の趣味の話であるから措くとしても、日本の田舎街の景観に、ログハウスを建てた際に生じるであろう不調和を、建設会社も住宅販売会社も、また住宅の購入者も考えないものであろうか?と不思議で仕方がなかった。
考えてみてほしい。倉敷市の郊外の村のなかにログハウス。オックスフォードの郊外の河畔の小さな村に、金沢市あたりにあるような武家屋敷が突如建設されたとしたら、その人は変人扱いされてしかるべきだろう。

そういう俺が、オランダの田舎街を2007年の夏に訪れた。5歳離れた姉貴の旦那の実家のあるFrieslandに義兄の実家を訪ねた。アムステルダムから高速道路を北東(のはず)に2時間も走れば、この誇り高Frieslandersたちの、州旗にハートが彩られた、静かな美しい街に到着する。

俺の目に映るFrieslandは、ただただ驚愕すべき、人間と自然と文化の完全な調和だった。「完全な」というのは、これ以上の形式でこの三者が共存することはあり得ないだろう、そういう意味である。
おそらくは総てのほかのオランダの街と同じように、Frieslandには、水と野原と木立と人間と建物たちが、お互いに対立することなく、ひとつの有機的全体としての美を形成していた。そのなかにある家屋一戸を取り出してみれば、とりたてて特徴のない平凡たるものなのだ。だが、それが数十数百も集まり、その土地の風景に渾然一体として浮かび上がる時、個体としての家屋の没個性は、全体として圧倒的なまでの集合美へと昇華する。
こんなことは誰もが感じる陳腐な感想であり印象であると笑われるかもしれない。しかし、あれはあまりに衝撃的だった。俺は、日本という国の醜悪さを恥じた。義兄や義兄の家族が、清水寺や法隆寺ではなく、我々が暮らす生活の街を見る時、どう感じたか、それを思って、俺は途端に恥ずかしくなった。同時に、街全体が絵葉書のようでありながら、近代的な総ての便利さ(コンビニは含まぬ)を備えたこのオランダの小さな街とそこに生まれた義兄に、激しい嫉妬を覚えた。人生であれほどの嫉妬と言えば、現中日ドラゴンズの中里投手のストレートを打席でみたとき(三振した時)ぐらいだった。

義兄の実家の周りを車窓から眺めたり、運河から町並みを眺めたりするうちに、俺が考えたのは、あの倉敷の実家の近くに建てられたログハウスのことだった。オランダには、俺が記憶する限り、数寄屋造りもログハウスもなかった。それもそのはずで、オランダではほとんどの地方自治体で建てることのできる建物に制限がある。例えば、Frieslandの義兄の実家には裏庭に高さ1mほどの小さな木があるのだが、この木を切るためには役所の許可が必要なのだ。許可なく切れば、罰せられる。

オランダ人にとって、自分が所有する建物の外観は公共のものなのだ。公共のものであるから、それを自分の好き勝手に変更することはできない。
ただ、面白い対照にここで気づく。オランダは、日本よりはるかに「自由な」国である。人工妊娠中絶、職業としての売春、同性者間の結婚、一部ドラッグの合法化、安楽死選択の自由。。。日本では自由にできない多くのことがオランダではできる。であるにも関わらず、オランダには「好き勝手に家を建てたりそれを変更したりする自由」は個人に与えられていない。俺には、オランダには、「個人の自由に従属すべきもの」と「公共の利益に関するもの」の間の区別が現在にあっても確固として維持されている。そういう国を大人の国というべきだ。
翻って日本では、「自由」は金科玉条、絶対無謬の宗教となった。家をピンクに塗ろうが、ログハウスを田んぼのなかに建てようが、行政の近隣の住人も介入して止めることなどできはしない。それをやろうとする人に「変人」と呼ばれる覚悟さえあれば、なんだってできてしまうのが現在の日本のほとんどの地方自治体での建築行政である。いや、「日本でログハウスを建てるなんて阿呆か」と言っている俺のほうが変人だといわれる危険さえあるだろういんじゃぱん。

米国人であり、東洋文化の研究者であるアレックス・カーは、「犬と鬼」(講談社)という著書のなかでこのように述べている。

「そこ(日本)に見えてくるものは、ひょっとすれば世界で最も醜いかもしれない国土である。京の名勝や富士山の美しい景色を夢見ている読者には、かなりショッキングなセリフかもしれない。しかし、百聞は一見に如かず、素直になればみえてくる。たとえば山では、自然林が伐採され建材用の杉植林、川にはダム、丘は切り崩され海岸を埋め立てる土砂に化け、海岸はコンクリートで塗りつぶされる。山村には無用とも思える林道が網の目のように走り、ひなびた離島は産業廃棄物の墓場と化す。もちろん、多くの近代国家でも多少似たようなことがいえるかもしれないが、日本で生きている事態は、どう見ても他の国とは比較にならない。ここには信じがたい異質なものが出現している。国は栄えても、山河は瀕死の状態だ。」


「日本人は自然を尊重して、自然と調和した生活を送ってきた」というのは百数十年前の話だ。日本人は、自分勝手で、「おおやけ(公)」のことなど無視してかまわない厚顔を戦後65年をかけて学んできた。先生は誰か知らんが、出来の良い生徒であったことは、カーの著述を読むまでもなく明らかである。

近代建築の三大巨匠の一人に数えられる米国人建築家、フランク・ロイド・ライトは、明治の時代に帝国ホテルの設計を行ったが(帝国ホテル・ライト館、1968年解体)、日記に当時の東京(というより江戸)の印象を、端的に次のように記している。

「江戸ほど瀟洒な街を私はいまだに見たことがない

明治初期、日本人が、自分の国が一番だと疑わなかった頃(だからこそ生麦事件が起こりえた。薩摩のサムライはイギリス人を下馬しなかったという自分たちのルールから切り捨てた)、他国を真似しなかった時代であればこそ、150年前の日本の都市は美しい調和を保っていたのだと思う。欧米、というよりアメリカが正しい、先進的であると思い定め、日本列島を冷戦構造における一大産業基地にすることで経済成長を実現するという国家戦略の暴走と、日本人自身の自分たちの歴史や過去への軽蔑を原因として、現在のファミリーレストランと中古自動車やとラーメン屋のカラフルなだけの汚らしい地方都市(都会も同じだが)が成立したのだ。

さて、またまた長いだけの意味不明の投稿になりつつあるのでそろそろ終わりを考えよう。

観光というものは、名勝を訪ねて「へ~これがあの真実の口(ローマ)かぁ」でもよかろう。
だが、旅というものは、その土地の人々の暮らしが、その場所の土や水や空気や空や木立や緑とどのように関係しているのか、それは歴史的にどのように形成されてきたのか、それを今生きている人がどのように受け継いで現在の生活に反映されているのか、そういうものを見聞することだと思う。我々は、そういう歴史的なるものを含まぬものにはなかなか感動せいといわれてもできぬ。
今の日本に、上に述べたようなものが感じられる場所はほとんどない。京都でさえそういうものは絶滅寸前かすでに絶滅した。何が腹が立つって、池田屋事件の跡地に「池田屋」という新撰組とも志士たちともなんの関係もない貧相な居酒屋があるのだ。池田屋事件と言う歴史的な事実を、売名のために使うことしか頭にはないのだ。
日本の列島は北から南まで腐臭を放っている。
この国の民が「昔から自然を愛し、、、」云々という言辞は虚構であり、無責任なロマン主義でしかない。

私有財産権よりも、都市や田園風景の美観のほうが大切であるという「社会通念」はいかように醸成されるだろうか。美観を破壊した挙句に下落した地価のために困窮する地主層を救うために、自民党は日本中に道路を造りダムを造り海岸にテトラポッドを沈めまくった(メバルはうれしい?)。

新しい日本の構想。
21世紀を生きる我々は、22世紀を生きる子孫にどういう国家・社会を譲り渡すのだろう。
「日本人は伝統的に自然と調和して暮らしてきた」という過去150年間を許すためのウソはもはや罷り通らぬ。まずは、総ての日本人が、日本という国の物理的な醜さにしっかりと目をやって、それが異常であること(たとえば水道管と電話線はは地下を走るのになぜに電線はほぼすべてが地上をクモの巣のように覆うのか?)をしかと認識することが必要だろう。
この瑞穂の国は、もはや杉とコンクリートとアスファルトと消費者金融の看板が占拠する薄汚い土地になってしまった。
だが、だからこそ、これから我が国はよりよい国になりえるだろう。
それはひとえに我々の意思と行動にかかっている。

たらたらと長くなってしまった。
正直にいうと、時間的制約もあり妥協してしまった文章でございます。
すいません。