2010年8月1日日曜日

松下政経塾にて

大学院時代に世話になった千葉氏(写真左端)が松下政経塾で活動されている。
http://www.mskj.or.jp/
今日は日本の高齢化社会がもたらす問題(2030年には日本人口の30パーセントが65歳を上回る)についての共同研究発表があり、聴衆も自治体職員や介護福祉士をはじめ多かった。

四月頃、NHKが「無縁社会」についての報道番組を放送した。ものすごい反響があった番組だ。無縁社会とは、核家族化と個人主義の蔓延で、老人がひとりで生活し、一人で不安をかかえ、一人で死んでいく。周りの誰とも縁が無い、そういう社会と取り敢えず考えてよい。
特に興味深かったのは、30代、40代の単身世帯の者が、これに鋭く反応したことだ。皆不安なのだ。仕事があっても、やがて自分は孤独に一人で死んで行くのではないか、そういう漠然とした不安がゆっくりと広がっている。
今回の発表は、要約すれば「高齢者の社会参加によって、高齢者の孤立化を予防する。その社会参加のひとつの形態として、高齢者による高齢者支援を提案する。それによって『支え合い』の国をつくる。」というものだった。
正直にいえば、発表後にも幾人かの聴衆からら批判があったように、「これ以上ない出来だ!」というプレゼンテーションではなかった。特に、数値的な部分は、国の統計なり、地方自治体の統計なりを積極的に使用すればより説得力のあるプレゼンテーションになったのではないかと思う。

思うに、2030年の超高齢化社会は、ITリテラシーを身につけた情報化社会の恩恵を享受してきた世代が爺さん婆さんになる時代だ。考えてみてほしい。2030年に65歳になるのは現在の45歳、75歳になるのは現在の55歳だ。彼等はほぼ100パーセント携帯電話を保有し、日常的にEmailとインターネットを使っている。こういう爺さま婆さまらと、いま90歳の爺さま婆さまとはこの点で違うのだ。俺の祖母は健在だが、祖母と"外界"をつなぐものは唯一固定電話だけだが、俺の母親も父親も75歳になっても携帯電話(おそらくはいまのiPhoneがばからしく見えるほどに革新的に進化した携帯電話)を使用しているだろう。それによって、一人暮らしをする高齢者の孤独が完全に癒されるとは言わないが、それでも離れて暮らす家族とのコミュニケーション、写真や動画の交換、社会におけるニュースの更新などは、現在の高齢者とは全く異なる次元で行われるだろう。食料品などの買い物もタッチパネルの携帯電話で可能になり、それは当日か翌日には配達される、そういうふうになるのだ。海外に暮らす息子とも、鮮明な画像でのテレビ電話が無料でできる。
だから、俺は少しだけ安気に構えている。そりゃ「メールと電話だけなんて味気ない」という人もいるだろうが、家族や社会と最新の通信デバイスを用いて繋がることができるならば、ちょっとだけ俺は嬉しい。
俺の母上はせいぜい携帯でメールをされるぐらいだから、ちょいちょいIT教育が必要だらう。まぁでも、母上がトゥイットァーを使用されるのは、それはそれで驚異ではあるが。