まぁ新書の5冊分の価値はあるだろうし、読み方使い方によって20倍にだって出来るだろう。
高山岩男は、1905年山形県生まれ、1993年没。
山形高等学校理科では物理学を志すも、田辺元や西田幾多郎を紐解くうちに哲学への関心を生じ、京都帝国大学文学部哲学科哲学専攻で西田幾多郎、朝永三十郎、田辺元、和辻哲郎などの講義・演習に出席。1933年に京都帝国大学にて文学部講師に就任し、1946年に連合軍の公職追放令によって退職するまで京大に席を置き、研究を行った。この間、海軍特別委員会に就任するなど、積極的に権力との思想的協働に従事した。
この本の帯曰く、「西欧近代主義の打破と世界史の多元性を唱え日本の『世界史的使命』を訴えた京都学派(http://ja.wikipedia.org/wiki/京都å¦æ´¾)四天王の一人」だそうだ。
四天王かどうかはともかくも、高山が序文に記した、次の一文は彼の衝動の強さを語って余りある。
「世界史の哲学に就いて私見を発表する勇気を生じ、またその義務を感ずるに至ったのは、支那事変の勃発後、日頃教室で顔を合せていた学生で、卒業後戦地に赴く人々が出てきた頃であった。彼等は支那事変の意義が何処にあるかを訊ね、それを掴えることによって戦場の覚悟への一助とするという風に見受けられた」
近代西欧世界即世界(欧米の歴史=世界史)という隠された命題に反旗を翻し、当時のシナ事変から米英との戦争にいたる大東亜戦争を、いかに”世界史的世界史(高山は、それまでの「世界史」は所詮「ヨーロッパ世界史」を意味するのみであり、第二次世界大変・大東亜戦争を、第一次世界大戦とは異なり、「近代内部の戦争ではなく、近代世界の次元を超出し、近代とは異なる時期を画そうとする戦争」として捉えた)"のなかに位置づけるかーこのことが高山の最大の問題意識であった。ヘーゲルやマルクスなどに通底する単線的な「世界一元論」(欧米に遅れたアジア・アフリカも、やがては欧米と同じような発展経路を辿るとする考えとでもいえましょう)を拒否し、日本独自の世界史的使命の要求によって、かの戦争を論理的に支えた高山を始めとする京都学派は、軍国日本の単なるイデオローグであったと批判されることが少なくない。
けれども、冷戦崩壊後の米国への全ての力の一極集中が終了し、経済的なGlobalizationという事象を背後から支えてきた世界一元論になぞられられる単純な世界観にますます懐疑の目が向けられ、主権国家がそれぞれの思惑を表明し国益のために行動することをためらわなくなりつつある今日において、また非欧米諸国が世界史においてますます権力を拡大しつつある今日において、日本の「世界史的使命とは何か?」と問うた思想家のこの大著は今こそ読まれるべき本の一冊だろう。
俺は、大東亜戦争を思想的に擁護する恣意的意図を持たない。
だが、欧米(過激な言い方をすれば、白人たち)は、地理的に非欧米であるところの世界の諸地域を産業の力と軍事力によって自身(欧米)のうちに取り込み、内在化させた。
それによって現出した世界は、あまりに単純で乱暴なヨーロッパの近代的原理に立脚する世界観の非欧米への強制の結果であったと思うし、我々日本人はそれに対して唯一矛を持って立ち上がり、抗議をなすことができる国であったのだという確信にいささかの揺らぎもない。 そう信じるからこそ、俺は靖国神社に参拝する。あそこにおわすのは戦犯などではない。「日本の大儀」のために戦って死んだ英霊である。そして、俺が高山の思想に強く共鳴するのは、「大儀は複数個存在する」というかつては当然であった事実の故なのだ。
(告白しよう、俺は国内においては価値相対主義を排除しようとするが、国際政治思想・歴史哲学の場面では、俺は価値相対主義者たらざるを得ない。それは、仕方のないことだと思う。国家有機体説的な立場をとる多くの保守派は、傾向としてけっして地球共同体というものを夢想しない。それは歴史的共同体というものはせいぜい国境を限界線として、地理的・歴史的に制限されていると考えるからだ。)
20世紀末から21世紀初頭のグローバリゼーションの時代が終わり、国家間の角逐の時代が21世紀前半の形容詞となるならば、我々日本人は再び帝國日本の復活を夢見るのか、あるいは近代主義そのものを総体的に超克する挑戦に向かうのか。
大学院で思想系のトレーニングを受けたものでないと読むのは困難かもしれぬが、南仏に旅立つ畏友不藤にこの本を餞別としてプレゼントしよう。欧米人と大東亜戦争について議論する際には最強の理論書となってくれるだろう。
これを読むべきは、次のような方。
・大東亜戦争の世界史的意義を考察したい人
・日本が今後世界に向けて主張すべき価値の根源を探りたい人(いるのだろうか...)
・欧米の傲慢にイライラしている人(乱暴だねぇ)
・中国の危険な台頭の世界史的意義を考察したい人
・歴史と哲学の関係、相互作用について考察したい人
一緒に読むといいだろうと思うのは、次の本。
・マルクス「共産党宣言」
・ヘーゲル「歴史哲学講義」
・シュンペーター「西洋の没落」
その他...?
皇居の芝生。
大勢の中国人観光客が大楠公の像の前で写真をたくさん撮っていたが、果たしてどういう人物で何故にあそこにおわすのが御存知なのか知らん。
今日買ったのは、これのほかに
・ユアヒム・ケーラー「ワーグナーのヒトラー 『ユダヤ』にとり憑かれた預言者と執行者」
・軍事研究10月号
20世紀末から21世紀初頭のグローバリゼーションの時代が終わり、国家間の角逐の時代が21世紀前半の形容詞となるならば、我々日本人は再び帝國日本の復活を夢見るのか、あるいは近代主義そのものを総体的に超克する挑戦に向かうのか。
大学院で思想系のトレーニングを受けたものでないと読むのは困難かもしれぬが、南仏に旅立つ畏友不藤にこの本を餞別としてプレゼントしよう。欧米人と大東亜戦争について議論する際には最強の理論書となってくれるだろう。
これを読むべきは、次のような方。
・大東亜戦争の世界史的意義を考察したい人
・日本が今後世界に向けて主張すべき価値の根源を探りたい人(いるのだろうか...)
・欧米の傲慢にイライラしている人(乱暴だねぇ)
・中国の危険な台頭の世界史的意義を考察したい人
・歴史と哲学の関係、相互作用について考察したい人
一緒に読むといいだろうと思うのは、次の本。
・マルクス「共産党宣言」
・ヘーゲル「歴史哲学講義」
・シュンペーター「西洋の没落」
その他...?
皇居の芝生。
大勢の中国人観光客が大楠公の像の前で写真をたくさん撮っていたが、果たしてどういう人物で何故にあそこにおわすのが御存知なのか知らん。
今日買ったのは、これのほかに
・ユアヒム・ケーラー「ワーグナーのヒトラー 『ユダヤ』にとり憑かれた預言者と執行者」
・軍事研究10月号