2010年10月31日日曜日

読書論

平均的な28歳の日本人よりも、読んできた本の数は少々多い方だと思っている。
文系の修士だから、そうでなければ恥ずかしいのだが。

ここでは俺なりの本の買い方、本の見つけ方などについて書きたいと思う。

まず、書店には必ず毎日脚を運ぶ。基本的には、夜帰宅の際に渋谷、あるいは最寄駅の書店に立ち寄る。
夜まで仕事が遅くなりそうだと思ったら、昼ご飯を立ち食いそば(これが感動的に不味い!!!)で3分で済ませて、残りの昼休みを外苑前駅側のLibroで過ごす。
その際の順番は、まず週刊誌および月刊誌。必ず目を通すようにしているのは、”週刊現代”、”週刊ポスト”、”週刊文春”、”週刊新潮”、写真週刊誌”Days"、”AERA”、”文芸春秋”(これは毎月買っている)、”中央公論”、”世界”、”諸君”、”論座”、”正論”。次いで、その向かい側にあるファッション雑誌(女性誌もみます)。それから車やスポーツのいわゆる男雑誌。そのあと場所をぐるっと変えて、ハードカバーの時事についての本が並んでいる書棚へ。そこからゆっくり移動して新書の棚ではじっくりと時間をかける。特に、信頼している中公新書と講談社新書の新刊はできるだけ多く目次に目を通す。これでとりあえず一段落。ここまででだいたい30分くらいかかる。そのあとは、先に見た本や雑誌で気になったものをもう一度見に行って、「本棚にいれとくべき」と少しでも思ったものは迷わず買う。
(あまり皆さんご覧にならんと思うが、”Days”は優れた写真週刊誌です。Fridayもいいが、こちらも是非)

休日、時間がたっぷり(2時間~)あるときは、大型書店にいく。関学時代は西宮北口のジュンク堂。京都時代は四条河原町のジュンク堂。東京にきてからは丸の内の丸善。最近、渋谷の東急本店6Fに丸善&ジュンク堂ができて、俺の寮からは30分でいけるので重宝している。
この時は、画集・魚や恐竜の図鑑にまで探す本を広げる。告白すると、休日の巨大書店で恐竜図鑑を時間を忘れて眺めることは俺の大切な趣味である。
なにせ時間があるので、この時は平日の昼休みのようにバタバタとは動かない。広大なフロアを散歩しながら、いつもは見ようとしない本にできるだけ出会えるように努めている。

以上がざっくりとした本屋の使い方。

では、よい本をどうやって探すのか。
まず、週末の各新聞の書評はある程度注目するようにしている。特に、読売が俺の好みだ。朝日はたまにイデオロギッシュ過ぎるが、その筋の著作を探す場合にはよかろうと思う。
今にして思うが、よい本を薦めてくれる「読書仲間」を持つことは人生において非常に重要だと思う。
これだけ情報があふれた時代であっても、ニーチェが言うような「人格を変えてしまうような」本に出会うことは稀だ。まぁ、そんな本だらけだったら多重人格者になってしまうだろうが。
それと、「必読著者」という枠を俺は設定している。現在は、西部邁・佐伯啓思・岩井克人・佐藤優・水野和夫・トマス・フリードマンなど。さらに、「この単語がタイトルに含まれていたら買う」という単語も決めている。例えば、「ハイエク」・「エドマンド・バーク」・「山田方谷」・「戦略論」など。
松岡正剛氏の”千夜千冊”も参考にしている(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0001.html)。
もちろん、読了した本のなかで著者が頻繁に引用していた文献・参考文献に芋づる式に読書を広げていくのは常套手段である。

読書について難しいのは、幅を広げる必要があるのだが、他方で自分の専門分野(俺なら政治思想・安全保障と言いたい)を深めていく必要もあることだ。そのためには、読書ノートを作って、定期的に分野別の読書計画を策定して実行するほかないのだろうと思う。

読書は趣味ではない。趣味がゴルフである人は、嫌いになったらやめてしまってもよいが、読書はそういう類の活動ではない。
人間は生きている限り、量の大小はともかく、死ぬまで読書を続けなければならないと思っている。
「本なんて読みません」という傲慢人間とは会話が成立する気がしない。