倉敷チボリ公園は、この西阿知駅から東へ一駅5分の倉敷駅の北側に1997年に開園した都市型テーマパークだった。「だった」というのは2008年末をもって営業を終了し、閉園したからだ。
この公園は、旧倉敷紡績(現クラボウhttp://www.kurabo.co.jp/)の倉敷工場跡地に開園した。デンマークはコペンハーゲンにあるチボリ公園をモデルにしており、園内にはデンマークをイメージしたアトラクションやら庭園やらがあった。
12ヘクタールの広さのこの公園を運営していたのは、岡山県などが出資した第三セクターのチボリ・ジャパン株式会社。
岡山市の市制施行100周年(1989年)の目玉事業として開始されたこのプロジェクトは、当初は岡山市北長瀬・北長瀬表町・野田にまたがるJR岡山操車場にチボリ公園を誘致する構想であったが、推進派岡山市長の辞職などがあり、最終的に1995年5月に岡山県はクラボウと倉敷工場跡地の賃貸借契約を締結して、それをチボリ・ジャパンに転貸した。そして1997年7月18日の開園と相成ったわけだ。ちなみに、当初中核企業として参画が予定された阪急は1994年4月に撤退したため、チボリ公園は岡山県の単独でのプロジェクトであった。
開園当初は、年間300万人に届かんとする入場者があったが、2001年には早くも130万人程度にまで減少し、2005年以降3年間は100万人に到達しなかった。たしかに、「高齢者の方無料!」とか、「19時以降500円!」とか、経営の苦しさをアピールしているようにしか見えない(かつての経営者の方、御免なさい)宣伝を大学・大学院時代の帰省の折に目にした記憶がある。
延々と沿革などを書き連ねた。ここからは俺の独断である。
倉敷の常識人はこう問うてしかるべきだったのだ。
「金沢や萩と並ぶ日本有数の歴史的都市景観で知られる倉敷市が、その玄関たる倉敷駅の裏側(徒歩1分!)にデンマークの公園のサル真似公園を造る必要があるのか???」
倉敷駅から南へ10分歩けば倉敷の象徴ともいえる白壁の街並が在る。白壁の街に、デンマークの公園が突如現れることの無秩序・混沌を、日本人的寛容さでもって受け入れてしまったことが、我々倉敷市民の第一等の罪であった。このブログでの何度か書いてきたことだが、我々は宇宙論的な世界観を持つことがいまだにできない。いや、これまで持ててなかったのだから、これかもそうなのだと腹を括るがよかろう。
現在この12ヘクタールの土地は、再開発事業者となったイトーヨーカ堂に貸し出され、ここにイトーヨーカ堂と三井プレミアムアウトレットが入る予定だ。倉敷駅に北にあった小さな観覧車がなくなったかと思うと、馬鹿でかい字で「Gucc○」と壁に書かれた巨大商業施設が入る(http://osaka.yomiuri.co.jp/re-eco/news/20100428-OYO8T00442.htm)。
クラボウの昨年8月の報道資料によると、イトーヨーカ堂は、「従来の総合スーパーやショッピングセンターとは開発アプローチが全く異なる、街づくりの視点による『街おこし・旅おこし』の拠点開発(http://kurabo.irbridge.com/ja/PressRelease/PressRelease-977944364640515970/TopLink/RedirectFile/090827.pdf)」が開発方針だというが、営利団体たる企業の目的は「利益」である。そして利益とはバランスシートの右下に出てくる数字なのだ。その数字が倉敷の街から何を奪おうかなどと、企業のバランスシートやインカムステイトメントは何も教えてくれはせぬ。
街おこしとは、人の流れが街に戻ることを意味するのみではないだろう。
正直にいって俺はこの分野においてあまりに不勉強であるが、倉敷市は、たとえばこの土地すべてを鬱蒼とした巨大な木々が生い茂る芝生の公園にして、その中にビールやコーヒーが飲めるカフェ、大福やみたらし団子や緑茶を出す御茶屋を2,3軒置いて、JR山陽本線の快速・伯備線も停まる倉敷駅から1分という抜群の利便性を生かして岡山最大の都市型緑地公園とすることはできなかったのだろうか。LondonのHyde Parkは無理としても、St.Jams Parkの隣のGreen Parkぐらいの規模のものができなかっただろうか。ベンチがたくさんあって、夏でも木陰を涼しい風が通り抜け、孫を連れたおじいさんとおばあさんで賑わう。その近くでは倉敷へ白壁を観に来たアフリカ人と中国人の観光客が緑茶を飲みながら豆もちを食べている…そんな公園が俺は俺の故郷に欲しい。欲しいものは自分で創るがよい。
グッ○のキズものやシーズンアウトしたものなんかこれっぽっちも欲しくない。日本以外でPremiumブランドのものをアウトレットで買おうという人がいる国はあるのだろうか?そのうちコンビニで、「ミシュラン三ツ星シェフの天津飯!」なんていう弁当が出てきそうである。しかもそれが売れそうである...
この土地は、倉敷イオンがある郊外(とはいえ車で倉敷駅から5分だが)とはわけが違う。倉敷駅は、1891年の開業以来ずっと「倉敷」の玄関であり、現在でも中国地方第五位の利用客数を維持しているターミナル駅なのだ。その隣に、デンマークの公園を造って失敗し、さらには苦し紛れに巨大商業施設を造らせしめたこの俺の無作為は、断じて許されるものではない。
~Epilogue~
実は、高校2年の時のクリスマスに俺は当時の彼女とチボリ倉敷にいった。恐らく、これを読んでくれている城東高校野球部12期生のなかには「あ、俺もそうじゃ」という野郎がいるだろう。
現在新婚出来立てホヤホヤの斉藤はおったな(当時の彼女が今のお嫁さん、凄いことだ)。台北の夜のスーパースター谷野も誰かさん(誰でしたっけ?)と来てた気がする。
まぁあの頃は、なんというか阿呆なことをしたものだ。毎日野球の練習が終わってからファミリーマートで”角バーガー”を食べてたニキビ面達が、クリスマスだというて彼女をつれて白壁の街のデンマークの公園に行っているのだから...なんとも恥ずかしいものです。
あれから早10年。皆夫になり、親父になっている。
俺は、猿になろうとしている。