2010年12月16日木曜日

今年の5冊

第一位:ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」新潮文庫
この本と「自省録」が俺のこれからの“バイブル”になっていくだろう。

”何から自由である、というのか?ツァラトゥストラはかかることには、何の関心も寄せぬ!ただ、なんじの瞳に明るく告げて欲しい、何のために自由であるか、を。”
”なんじら、今日にして孤独なる者よ、隔絶せる者よ。いつの日か、なんじらは一つの集団となるべきだ。相互いに選びいずるなんじらの中より、選ばれたる民族が発生すべきだ。かくして、この民族の中より、超人が発生すべきだ。”


第二位:佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」河出書房出版社
「夜戦と永遠」の著者の少し簡単なほう。しかし内容は目からメダカ。
この下の文章に勇気をもらってしまう俺は阿呆だろうか。いやいやいや、超弩級の阿呆を目指しますよ。

”・・・これが、ニーチェ自身がいう「未来の文献学」ということです。彼はこういう意味のことを言っている。いつかこの世界に変革をもたらす人間がやってくるだろう。その人間にも迷いの夜があろう。その夜に、ふと開いた本の一行の微かな助けによって、変革が可能になるかもしれない。その一夜の、その一冊の、その一行で、革命が可能になるかもしれない。ならば、われわれがやっていることは無意味ではないのだ。絶対に無意味ではない。その極小の、しかしゼロにはならない可能性に賭け続けること。それがわれわれ文学者の誇りであり、戦いである、と。” (P.206)

俺は、99%の人に”受け入れられる”言葉ではなく、1%の世界を変えるであろう人間の魂を揺さぶる言葉を吐きたいと願う。


第三位:マーク・ローランヅ「哲学者と狼」白水社
今年は寅年ではなく狼年である。疑いようがない。
自身がともに暮らしたオオカミの話をするなかで、ヴィトゲンシュタインだのジョン・ロールズだのホッブズだのニーチェだのの哲学者の思想を語るこの男は、真の思想家の凄まじさを俺に痛感させてくれた。思想や哲学というものは、近代西欧に啓蒙主義が誕生して以来、「人間はいかに他の動物と異なるか?」を論じてきた、あるいは、それを自明の前提としてきた。「人間は理性的だ、特別なのだ!あぁ嬉しいな」という風に。
それを、この男ときたら、「そんなものは本質的な違いであるはずがない」と一蹴してしまうのだ。これこそが、思想と呼ぶに値するものだ。「我々はみな”幸福ジャンキー”だ」というくだりは本当に爽快である。だって、幸福が人生の目標であるならば、我々の最終地点である死によって、我々の目標への未達は既に決定されているのだから。そんなわけはないだろう。「人生で一番大切なものは目標とか目的だとすると、その目的が達成されたとたんに人生にはもはや意味がなくなるのだ」。

”希望は人間存在の中古車販売員だ。とても親切で、とても納得がいく。それでも、彼を信頼してまかせることはできない。人生で一番大切なのは、希望が失われた後に残る自分である。最終的には、時間がわたしたちからすべてを奪ってしまうだろう。才能、勤勉さ、幸運によって得たあらゆるものは、奪われてしまうだろう。時間はわたしたちの力、欲望、目標、計画、未来、幸福、そして希望すらも奪う。わたしたちがもつことのできるものすべて、所有できるあらゆるものを時間はわたしたちから奪うだろう。けれども、時間が決してわたしたちから奪えないもの、それは、最高の瞬間にあったときの自分なのである。”(P.216)
”幸福は、オオカミにとっては、同じことの永劫回帰(ニーチェさん、出番ですよ!)に見出される。時間が環なら、「二度とない」はない(永劫に回帰し続ける)。したがって、オオカミの存在は、生を喪失のプロセスとみる幻想をめぐって打ち立てられているわけではない。”(P.236)
”真の幸福は、いつも同じであるもの、変わらないもの、永久不変であるものにのみ存在する”(P.237)


第四位:高山岩男「世界史の哲学」こぶし書房
近代西欧の似非の「世界史」に対して、真の世界史的世界を導くものは我が国日本であると喝破したこの高山岩男。世界規模の思想家であると思う。もっと読まれてほしい。
実際のところは、所詮日本人が生きている世界を支配している”言辞”というものは、西欧、もっといえば、白人たちのものなのだ。彼らの陰謀をどうのこうのという低俗な議論ではなくて、彼らの気宇壮大な論理とエゴイズムもたぶんに混じった博愛主義と強欲に対して、彼らに真っ向から日本の思想を武器に立ち上がろうとしたのが高山だ。

”歴史的個人は最も強烈な個性を持つ意思的・行動的主体である。と共に、それは時代の趨勢を以て自己の運命と自覚せる勝義の歴史的人間である。そして歴史的個人は歴史的趨勢に生きることによって、却って歴史を超出せる永遠に接し、強烈な個性に生きることによって、却って絶対の普遍性を実現する”(p.464)


第五位:司馬遼太郎「峠」新潮文庫
司馬遼太郎の傑作。滅びの美学をこの小説に見出すものは愚鈍だ。
佐藤優の「正義は必ずある。しかしそれは複数個ある」という言葉を、司馬遼太郎は河井継乃助を描くことで証明した。かっこういいのだ。女好きの継乃助が。女好きなのに、かっこういいのだ。

”「志ほど、世に溶けやすくこわれやすくくだけやすいものはないということだ」
そのように継乃助は思っている。志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある、という。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言い方、人との付き合い方、息の吸い方、息の吐き方、酒の飲み方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志をまもるための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、というのが継乃助の考えかたであった。”