2010年12月26日日曜日

弁当

なぜか俺がいま勤めている会社では(少なくとも俺の部では)、弁当を食べている男は変人扱いされる。
ある時など、上司に、「お前なぁ、昼ごはんは皆で一緒に(5人とか6人とかで)食べるもんだろう」と言われ、愕然としたことがある。女子高生が集団でトイレに通うの眺めながら、「あんなに大勢でいってもトイレは人数分ないだろうに。。。」とおかしな心配をしたことがあるのだが、それと同じなのだ。
昼ごはんを一人で食べられない人間は、存外に多い。そういう人間は、40歳になってもちょっとしたホテルの最上階のBarで酒を一人でちびちび飲むということが絶対にできない。

一人暮らしの寮住まいだから、自炊しようにもなかなか難しく、いつも一人で散歩したり本屋に行ったり日向ぼっこをしながら昼休みを過ごしている。たまに同期と話をするために一緒に食事にも行くけどね。
そういうわけでいつも外食だから、たまに、弁当が懐かしくなりもする。

今日、渋谷のジュンク堂をフラフラしていると、「お弁当の時間」という本を見つけた(阿部丁-文、阿部直美-写真、木葉社、2010年)。
農家の方や、わら葺き職人や、航空自衛隊のP3Cの整備士など、ありとあらゆる職業の人たちの弁当の写真とその人の全身写真にコメントが添えられたもので、思わず眺め入ってしまった。

俺は弁当が大好きだった。いや、今でも好きなのだが。
幼稚園の時から、母上は、いつもそれはたいそう丁寧に弁当を作ってくれた。
(ちなみに俺が通った幼稚園の名前は、”御国幼稚園”。別に右翼幼稚園ではないぞ)
幼稚園教諭の母上の弁当は、幼稚園児の俺が弁当箱を開けた時に嬉しくなるような弁当ばかりだった。
見るも鮮やかに赤色や緑の食材をふんだんに使った俺の弁当は、ほかの園児の弁当よりはるかに美味しそうで、当時の俺からするとずっと洒落ていて、幼稚園児ながらに自意識過剰幼児だった俺の自尊心を満たしてあまりあるものだった。(思えば当時から今の俺ってなにが変わったのだろうか?)

高校時代にトレーニングを激しく行うようになってからは、1日5食を日課としていた。
昼食は学食で定食を食べるから、2時間目が終わってから10分間の休みの間にドドドドドっと大きな弁当を胃に詰め込まないといけなかった。
毎朝6時19分の山陽本線上り西阿知駅発の電車に乗る俺に、いつも弁当を持たせてくれた母上は、「眠い眠いネズミ...」とかなんとか言いながら、毎朝5時に起きていた。月曜日から金曜日までフルに働いているのにね。

最近は、幼稚園にコンビニの弁当を持ってきたり、ひどいのに至っては一年に一回の遠足にコンビニのおむすびを持たされてきたりする幼児までいるらしい(母情報だから間違いなし)。そんな話を聞いて、俺はやりきれない気持ちになる。こんな悲しいことってあるか?
戦後直後は、弁当を持ってくることさえできずに、昼休みになると小学校の教室からどこかへ消えてしまう児童もいたそうな。でも、コンビニオムスビは、それとは次元を異にしていると思う。上手く説明できんのだが。
そりゃ、最近は母親も父親も仕事をしているから、子のために親が毎日弁当をこしらえるというのがなかなか大変だというのは分かる。
でも、自分の子どもが遠足に行く時に、コンビニのおむすびを渡すなんて、おかしい。
俺がここで「そんなのおかしい」ということになんの意味があるのか、そんなことは知らん。
だけど、この豊かな日本社会は、人間がその人間らしさをもっとも可愛らしい仕方で表現しうる、母親の子どもへの思いやりさえ、近代的な効率性と利便性によって汚染しまったようだ。

俺は、結婚しようものなら控えめに言っても断固たる亭主関白男になりそうな気がしているのだが、それを断った上で、俺は息子や娘のために一生懸命おむすびを作ってくれる素敵な女性と結婚して暮らしたいと思う。もっと言えば俺が深夜に読書や執筆をしていたら塩だけのおむすびに野沢菜の山葵漬けを添えて持ってきてくれるような女性がいいなぁ。
そんな人いないて?
はっはー、「あきらめたらそこで試合終了だよ」。ね、安西先生。

最近、けっこう恥ずかしい話をかいとると思う。
年明けからはね、もうちょっと硬派にいこうと思いますよ。ええ。