"なんじら創造する者よ、高人よ、人間は所詮己の子のみを孕みうるに過ぎない。
何物によっても欺瞞せらるるなかれ! 説得せらるるなかれ!そもそも、なんじの隣人とはなんであるか?よしなんじらが「隣人のために」行動することありとも、なんじらはなお隣人のために創造することはありえない。
なんじら創造するものよ、この「-のために」を忘れよ。なんじらが「-のために」にも「-の故に」にも、一事を為さざること、これをしもまさになんじらの徳は欲する。これらの小さき偽りの言葉に対しては、なんじらは耳を塞げ。
この「隣人のために」はただ小人の徳である。かれらにあって言わるるは、「互いに相等しく」また「手を手で濯ぐ」である。なんじらが持つ利我の力をも権利をも、かれらは持たぬのである!
なんじら創造するものよ、なんじらの利我のうちには、孕める者の慎重と予見がある!いまだ何人も見たることなきもの-果実をば、なんじらはまったき愛をあげて、護り、養い、育てる。
なんじらのまったき愛のあるところ-なんじらの子の許に、また、なんじらのまったき徳はある!
なんじらの意思こそ、なんじらの「隣人」である。いかなる小さき虚偽の価値によっても、説得せらるることなかれよ!"
ニーチェ「ツァラトゥストラ」