2012年1月31日火曜日

ダルビッシュの退屈

強く記憶に残っている。
いつかの野茂と清原の対決。やるかやられるかの斬り合いのなかで、野球の試合そのものは背景に霞んでしまい、数万人が埋めた球場はただ二人のためだけの舞台と化す。野球場は、二人しかいない土俵となる。
野茂はクールだったが、それでも清原のど真ん中に炸裂するかのように飛んで行くストレートは、彼の負けん気を何よりも明らかに表していた。
彼らは、一生懸命に遊んでいた。己の誇りをかけて。
かつてホイジンガが、『ホモ・ルーデンス』のなかで言ったような「遊び」を二人は体現していた。羨ましくなるほどに、楽しそうだった。

ダルビッシュは凄い投手だ。プロの世界で5年連続防御率が1点台。二試合連続で三失点完投したら、次の二試合は必ず二試合とも完封するわけだから、彼が北海道スタジアムで言ったように、まともな勝負はすでに成立していなかったと言ってよい。打者の体力技能の向上を考えれば、ダルビッシュが日本野球史上最強の投手であることは間違いないだろう。

だが、野茂にとっての清原のような敵がダルビッシュにいただろうか。
残念ながら、いなかった。
パリーグには凄いホームランバッターもアベレージヒッターもいたが、競技者としての格においてダルビッシュと同等の選手はいなかった。
過去に少し投手をしたことがあるが、自分でどうでもいい敵と思っている打者に少々打たれても、投手は痛くも痒くもないものだ。記憶にさえ残らないだろう。

三島由紀夫もどこかで言っていたが、人間にとって、最大の苦しみは持てる能力の全力を発揮することが許されなかったり、そういう場所を与えられないことだ。だからこそ、近代の歴史において、自由は、それ自体が最高の価値とさえ見なされた。ましてダルビッシュのような異常なレベルの才能は、より強くそう感じるに違いない。
自らの才能と能力を抑圧することに比べたら、実力以上のことに挑戦するほうがはるかに健全だし愉快だろう。

全力の156kmhのストレートで、無我夢中で三振を奪いに行くダルビッシュと、それを見事にホームランにしてしまう怪物のようなスラッガー達の闘いが楽しみだ。ダルビッシュの過剰なエネルギーが打者のエネルギーとぶつかり、炸裂してしまうような、そんな遊びを見せて欲しい。

野球なんぞ道楽である。
道楽に命を賭けるクレイジーを俺は愛する。そして道楽のためにも、やっぱり敵が必要なのである。