明治大帝がお隠れになった後に造成された人工林であるが、すでに100年を超える樹齢の木々が東京のど真ん中に織り成す自然は、すでに人工という風貌ではない。近代日本の躍進を御身自ら先導された明治大帝と皇后殿下を祭る社に相応しい風格である。
が、当然ながら、明治大帝の御先祖をまつる伊勢神宮の畏れ多いほどの巨木が立ち並ぶ伊勢の参道に比べると、矢張り格の違いを感じもするのだけど。
日本の最も神聖な場所は、人工のものが少なく、手を付けなければすべての構造物は朽ちて自然に還る。ギリシャのアテネの神殿は、石を使って建設されていて、まさに自然界における生命の循環に立ち向って逆らうかのようだ。
だからなんだって?
つまり、日本の古い自然・祖先信仰こそ、ニーチェの永劫回帰の思想と親和的だということでしょう。
ということは、去年「超訳・ニーチェの言葉」が売れまくったのも、自然の摂理???
と、いうわけで、参拝したものの、人が多すぎて本殿まで辿り着けず、国家安泰と家運隆盛を祈願して渋谷のジュンク堂へ。
購入したものは、次の四冊。
・マーク・リラ「神と国家の政治哲学」
⇒政治と宗教を分離した、それに成功したと信じている我々である。
が、著者曰く、「歴史的には、違っているのは我々であって、彼らではない(注:つまり、分離した、できたと思っているのは我々だけだ)」。
・カエサル「ガリア戦記」
⇒松岡正剛氏はこれを高校生のときに読んだそうな。読書層というのは、中学高校でこういうものを読んでいるのだなぁと思った。俺はノーラン・ライアンの「ピッチャーズ・バイブル」とか小山さんの「初動負荷理論」とかばかり読んでおったわ。大学に行く気もなかったのだから、そりゃ当の然でしたな。
・エイミー・チェア「最強国の条件」
⇒帯に、日本再興のカギは「寛容」と「多様性」とあり、ピンときたので購入。
この「多様性」というときに、やはり必要なのは、「地域主権」だろう。そして、それは地球の裏側で生産される原油や食料(とそれを持ってくる商社)に大きく依存しない、一定の自活経済圏を必要とするものだ。ここでは俺は一貫しているという自負がある。俺と同じころに大学や大学院で国際関係論や国際政治学を学んだものは、誰もが一度はジョセフ・ナイの「国際紛争ー理論と歴史」を手にとったことがあると思う。俺はこのなかで述べられている「世界がひとつにつなげられ、相互依存が深化している」ことがさもよいことのように描かれていたことに昔から大いなる違和感があった。これは、アメリカの住宅バブルで世界経済全体が狂ってしまって日本で中年男性の自殺者が増加するという可能性まで考慮していただろうか?とてもそうは思えないのだ。冷戦後のアメリカ的楽観主義の花盛りということだったのだろう。
早い話が、結婚していなければ、結婚の悦びもない代わりに夫婦喧嘩もあり得ないのだ。
・有本葉子「うちのおつけもの」
⇒土曜日のブランチはおむすびと旨い漬物が最高である。土曜日の昼間は軽い飢餓状態にしておくのが正しい。ミョウガの梅酢漬けなんて滅茶苦茶旨そうである。
それにしても、「~だけダイエット」の流行り方はなんなんだろう。
「巻くだけダイエット」、「座るだけダイエット」、「立つだけダイエット」、「背伸びするだけダイエット」、「計るだけダイエット」、「歩くだけダイエット」、「肉だけダイエット」、挙句の果てには「寝るだけダイエット」...そんな控え目なことを言わずに、巻いて座って立って背伸びして計って歩けばたいそう痩せるだろうに。
寝てて痩せられたらそりゃぐうたらな方には嬉しいだろうねぇ。
昔は「バナナダイエット」とか「リンゴダイエット」とかが流行ったことがあったが、ものを変えやり方を変え、(主に)女性の「痩せたい!」「綺麗になりたい!」という願望を市場で金に換えていく資本主義の力強さには平伏したくなりますな。とはいえ、十億人が肥満なのに、それと同じくらいの数の人が飢えている。力強い資本主義は、万能には程遠い。
長渕剛曰く、「デブは敗北だ」。