「読むことが、単なる知見の移動に終わってはならない。」
ー佐々木中
読むことが、情報の取得でしかないならば、世の中のすべての本は本質的に携帯電話のパッケージにくっついているマニュアルに等しい。
100冊の本を読むのは、100冊分の知識を得るためではなく、そのうちのたった1冊に自分を変革してしまうような強烈な本があることを知っているからだ。
しかしそれは、現在の自分と客観的な目標との間を橋渡しするようなものではなく、自己を動揺させすべての偶然性に遭遇し、その上で主観的に特定の立場を力強く選択することだ。
だがそれは再び破壊されよう。そうして紆余曲折を経て、大河が数千キロを蛇行しながら様々な養分を河口に運ぶように、「すべてのものに豊かにされ」(パオロ・ツェラン)て、やがて我々は海へと至るであろう。
そして、その時には、はるか山奥の源流で新たな水が静かに地中から湧き出でているであろう。
川と命の連鎖のこの強烈なイメージは、俺がどれだけの時間を高梁川の畔で、またその流れの中で過ごしたかを示すものだ。
またそれは、自己と世界が分離してから間もないかつての俺にあっても、ーいや、だからこそー俺の潜在意識に終生消えることのない記憶を残した。多少戯画化されているような気もするし、そうでもないような気もする。
いつも河の側に在りたいと思う。できれば、賀茂川。鴨川ぢゃないよ。
Van Houtte Bistro, Montrealにて記す