2011年8月26日金曜日

伊藤之雄「昭和天皇伝」

ツァラトゥストラよろしく山に籠っていましたといいたいところだが、陽のよくあたる新居での新しい生活がようやくひと段落したところ。
我が愛車”びぃと”が部屋の目の前に停まっているのが嬉しくて、将来建てる「白光庵」では半地下の書斎の隣にAston Martinの格納庫を置いて、それと書斎との壁は全面ガラスにしようと思っている。

まったく同じことをずっと続けるということが俺ほどできないとどうしようもないだろう。
この数ヶ月のぐうたらについては、本当に弁解の余地もなく、どれだけ自己批判をしても仕方がないのだが、さはさりながら、一つのことに専心すると他のことが全く見えなくなるという俺の性質は、人生の所々ではいい方向に作用することもあると思われる。
思えば、器用さと容量のよさが求められる時代であって、俺が息をする場所なんてどこぞにありや?

さて。

京都時代に講義をとらせてもらった伊藤之雄・京都大学公共政策大学院教授の「昭和天皇伝」を読んでいる。痛感させられたことは、新興の大国(明治後期~昭和初期の日本は、政治的・軍事的に疑いもなく大国であった)にとって、軍に対する適切な統制をいかに実現するかということは、非常に困難な課題であったということだ。
明治天皇の時代には、伊藤博文・山県有朋という、軍・官僚双方に対してコントロールを及ぼせる輔弼者が天皇陛下の側に仕えていた。昭和天皇の時代にも、初期には西園寺公望が最後の元老として尽力したが、やがて老衰には勝てず、日米開戦の足音が次第に近づく1940年の末に亡くなった。伊藤教授曰く、昭和天皇は、元老を失い孤独のなかで重大な国家の危機に立ち向かわねばならなかったのだ。
「天皇は大元帥として陸海軍を統制する立場にあったから、天皇には(満州事変も日中戦争も対英米戦争も全ての)戦争責任があった!」というのは、昭和天皇が直面された国内外のあまりに困難な状況を全く無視しているのではないだろうか。ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説問題、インフレ、満州事変、軍部大臣現役武官制、日中戦争、その他、あまりにも、沢山。
大日本帝国憲法下の大日本帝国を、現在の作られた「大日本帝国」というイメージから類推して、「神聖して冒すべからざる」天皇陛下の意向のままに全ての国家権力が執行される、いわばナチス・ドイツのような独裁国家だと想定している人が、天皇陛下の戦争責任を問いたがる。
国家は、言うまでもなく、暴力を独占する存在である。国家は、実力組織を保有する。そして、それに対する統制権をいずれかの者が持つことになる(現在の日本では内閣総理大臣)。リビアやエジプトで最近明らかになったように、この実力組織が統制者の意思に唯々諾々と従うというのは、あまりにナイーブ過ぎる幻想だと思う。だって考えて見てほしい。我々が善として疑うこともないこの近代国家それ自体が、元はといえばフランスにおける民衆の蜂起、革命に由来するものなのだから。
とはいえ、戦争を行なったことそれ自体についてではなく、我が国があの戦争に負けたことについて政府は明らかに日本国民に対して責任を負うべきであったし、それがうやむやにされたことは間違いない。だがそれは、決して国際法に基づく「戦争を計画した罪」とか「戦争を開始した罪」とかいうものではない(今でも、国家は「合法的に」戦争を行なえる。悲しいか?泣くか?平和主義国家ですと宣言するか??誰かさんに助けて下さいとすがりつくか???それとも懸垂して腕立てしてダッシュするか???)

結論:昭和の歴史を振り返り、日本が辿った60余年の歴史を概観するのに最高の本である。
著者のこの徹底的な一次資料の引用・参照の仕方はどうだ。まさしくプロだと思う。