2012年6月28日木曜日

『公共空間』

京都大学公共政策大学院の季刊誌、「公共空間」2012年春号に登場しました。最近メディアによく出ている中野剛志先生のインタビューもあります。

http://www.sg.kyoto-u.ac.jp/ja/environment/kokyokukan/2012spring

2012年6月27日水曜日

辣韮の塩揉み

らっきょうを薄く切る。
塩で揉む。
非常に旨いんで、是非お試し下さい。

アルファロメオとマツダがオープンツーシーター(つまりマツダにとってはロードスターの後継)を共同開発するらしい。楽しみである。

人間を、複数個の本能的欲求(食欲、性欲、睡眠欲)に突き動かされて行為するだけの動物であるという人間一元論に還元してしまう人間観は、キリスト教的な世界二元論への反対の立場としての意味があったとしても、やはり奴隷の人間観であり、人間をかく眺める人はその人自身が奴隷である。
自己や他者を単なる欲望の被支配者としてしか認識せぬ男と女のこの堕落せしニヒリズム!
こういう馬鹿以下の馬鹿が跋扈している。
俺は人間二元論。

2012年6月24日日曜日

フロマートカのロシア共産主義観は、正しい


チェコの神学者、ヨセフ・ルクル・フロマートカ(1889~1969)。
この人を知ったのはいつだったか、鴨川の河畔でいつものようにたまに鳶を見やりながら佐藤優氏の本を読んでいたときのことだったと記憶している。

この神学者の国家観、ロシア共産主義観に共鳴するところが俺は非常に多いと感じた。
共産主義を、戦後のアメリカや日本のように「悪魔」として片づけて善悪二元論に封じ込めることなく、「歴史とは、内的、外的生活双方を巻き込む複雑な過程である。社会主義を建設しようとしている東ヨーロッパで生きているわれわれは、社会主義者の目的と目標の統一性を個人的に経験するのみならず、同時に精神的伝統と育ってきた環境によってお互いに異なっているのだということを自覚し始めている」というフロマートカは、パトリオット(愛国者)であり、キリスト者であり、保守主義者であったのだと思う。

「共産主義を単なる抽象的イデオロギーや小さな陰謀グループによって樹立された暴力的クーデターとみなすことなく、ロシア革命の意義を理解する」ことが必要であるというこの神学者は、ロシア共産主義を、西側の資本主義者が言うような一つの独立した抽象的なマルクスの教義を盲信する一宗派として理解することなく、伝統と歴史が育んできた具体的で個別的ななにものかと抽象的で一般的ななにものかが合成されたときに生じた、まさにロシアに土着のものとみた。

この立場に俺はほぼ完全に賛同する。

言葉遊びではない政治、何かを動かす力を持った政治というものは、必ず理論と言葉を超え出て行動に至る必要があるが、その原動力となるものは常に我々民族が個別に共有している原体験ともいうべきものなのだと思う。
その原体験というものは、おそらく神話な物語として民族・国家に語り継がれていくべきものだ。
それを失った国家は、もはや国家として独立を維持できはしまい。
一つの革命が、誰かの頭から出てきた論理的思考の記述のみによって行えるほど、人間はあやふやな存在ではないと思う。我々は、肉を食い、血を迸らせて生きている。


抽象論に走り過ぎたかなぁ。

面白いからぜひ読んでみてください。
神学者なのに「闘争を!」とばかり言うんだから。
おっと、違うな。神学者だから、闘争に向かわざるを得ないのだろうね。
ルターしかり、マーチン・ルーサー(ルター)・キングJrしかり。

もしかしたら、戦後の日本という国は、あたかもフォードを真似たトヨタが大成功をおさめたように、ロシア共産主義とマルクス・レーニン主義の薫陶を受けたかつてのエリートたちが、日本という国家の成り立ち(Constitution)と伝統を熟知しながら、東アジアの冷戦構造という国際政治環境のなかにおいて、一つの共同体=日本が最適の経済社会構造を獲得するべく編み出したものなのかもしれない。
すでにそれは時代に沿わぬものとなり大規模な改修工事が必要だとしても、その秀でた営みは、やはり賞賛されるべきだ。

今日AERAを立ち読みしていたら、中田英寿氏が武蔵御嶽神社に参拝していた。
が!残念なことに大口真神(オオカミ)についての記述は、「ここはおいぬさま信仰でも知られ、ペットの犬を連れて参拝する人も多いらしい」とだけ。
それは、おいぬさまではなくて大神=オオカミなんですよー
(今年1月の本ブログ記事をご覧ありたし)

フロマートカつながりで、ベルジャーエフ「ロシア共産主義の歴史と意味」をぜひ読んでみようと思う。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95

現実世界のなかに生きるからこそ、勉強のしがいがあるのだ。いや、勉強できること、気が付くことがあるのだ。
大学のなかでは体験できぬことを体験しているのであれば、それを以て自らの知的・精神的成長の肥やしとせねばならぬ。
それは俺にとって死ぬ瞬間までの課題である。なぜなら、俺の知的・精神的成長は、俺が絶対的孤独のなかで生きるのではない限り、必ず誰かに伝えられるものであるからだ。
それが間違っていたり批判を呼ぶものであったりしたとしても、まさにそれが故に他者の思考を刺激することもあるだろう。俺が求めるのは、そういう対話であって、おしゃべりではない。
生きるために必死な動物たちは、おしゃべりをしない。
そして俺は必死なのだ。
必死じゃない人はのんびりやっててくれ。飯食って太っててくれ。女連れて遊んでてくれ。
だが俺の邪魔をするな。

革新的な日本料理で有名な料理人、山本征治(日本料理 龍吟)の言葉を引こう。

”進化は、今を生きるものの責務である”



経済的独立なくして精神的独立なし、また逆も真也

バブル経済の時代、郵貯でさえ金利が8%もついたなどという夢のような話を聞いたことがあります。つまり日本はかつて現在のブラジルだったわけです。
もちろん、インフレ率も相当なものだったので相殺されるところは大きかったわけですが。
現在は数年来続く近代が始まって以来前代未聞のデフレ経済のなかで日本人は暮らしてきました。
というより、1990年以降に生まれたほとんどの日本人にとって、インフレというものは実感のないものであって、松屋と吉野家の低価格戦争やドンキホーテや100円均一ショップに象徴されるデフレ文化こそが彼らにとっての経済の実態ということでしょう。

そのことは、すなわち、投資に全く興味のない人が、平均的に言えば最も高利回りの「投資」実績を上げてきたと言えるかもしれません(というのは、デフレ期にあっても高成長の新興国や企業に投資することで高利回りを実現した人は少なからずいるからです)。
なぜならデフレの時代には通貨の価値が増大するので、何も考えずに預金口座に毎月振り込まれる給与をそのまま保持してできるかぎり節約しながら暮らすことが、超特大のホームランを狙わなければ最も効率的な資産運用といえるからです。

しかしながら、通貨は所詮紙幣、硬貨に過ぎません。
誰かが福沢諭吉の姿が描かれた日本銀行券壱萬円を他の誰かが受け取るときに期待しているのは、「別の誰かがこれを壱萬円相当の物品と交換してくれる」ということ、そのことだけです。
その根拠のない(金本位制ではないですから)期待の偉大なる連鎖という砂上の楼閣の上に現在の「負債資本主義」は構築されているのであって、この「期待」がなくなれば、いやわずかでも減少すれば、通貨の価値はいくらでも減少してしまうものでしょう。

僕は恐れています。
経済=デフレということを皮膚感覚として刷り込まれた若年層は、去年東北地方太平洋側を襲ってすべてを奪った津波のようなインフレの前に何もなすすべなく薙ぎ倒されてしまうのではないかということを。
それほど我々にとってインフレというのは、あり得ないことのように思えます。

僕は日本の財政危機をあおって増税を決行しようとする輩に与するものではないんですけどね。

とどのつまり、借金=悪という頭を捨てて、借金の反対側にどれだけのキャッシュフローを生む資産を幾らの価格で手に入れられるかが、数十億円の資産を持たぬ僕のような多くの個人の生存戦略にとっての課題であるように思います。
借金という梃子を使って他人の金でもって利殖することが経済活動の根本原則であり、だからこそ金利というものが近代資本主義経済がイギリスに誕生するはるかはるか昔から存在したのだと思います。

もはや国も会社もその他の何物も、僕やあなたたちの生存を保障するような力と意思を持っていません。
まぁ、生きるということはそういうことで、「真面目に勤めていたら生きていける」というのが異常なのです。
真面目に狩りをしても獲物を捕まえられない捕食者は、もはや捕食者たる資格がない、と言うのは乱暴でしょうか。

というわけで、投資の初心者が最近考えていることはこんなこと。

・株式投資は、超有望株(ライフネット生命はそうだと思っています)などを初期・黎明期に買えれば、キャピタルゲイン(株式の買値と売値の値差)は期待できるがキャッシュフローは極めて限定的。これは、急成長する企業はほとんどの場合低配当であるため(ソフトバンク、Apple、その他)。そのため、投資余力を当該投資期間中削減してしまい、柔軟な投資戦略の実行を妨げる可能性がある。
・他方で、安定した大型銘柄への株式投資は、高配当のおかげで3-5%(例えば総合商社)のインカムゲイン(毎年の配当収入)を期待できる場合もあるが、悲しいかなこの旨みを享受できるのは数十億単位で投資資金を動かせる超富裕層と機関投資家のみ。しかるにかかる銘柄の成長性は、現在の世界のマクロ経済環境において、怪しい。
・上記とも連関するが、生存戦略としての投資を考えるとき、恒常的かつ安定的なキャッシュフローを生む投資案件として不動産をポートフォリオの一部として保有しなければ、勤める会社に依存せず生きることは不可能。
・個人投資家にとっても企業にとっても利益の源泉は「リスクテイク」と「レバレッジ=梃子」にあり、これを抜きに資産形成は短期的にも長期的にも絶対に不可能。現在の経済環境を顧みるとき、最も注目すべきは世界史的にも異常ともいえる金利の水準であり、固定金利で借入を「ロング」し、この利率を上回る利率の投資案件に資金を振り向けられればよい。つまり、必要な利回りの水準が、金利低下のために非常な水準にまで低下しているのが世界ソブリンリスク危機の時代の現在である。
・不動産投資は、例えばマンション・アパートを保有し貸し出すという投資形態の場合は、キャピタルゲインが得られずともインカムゲインを安定的に得られるという期待が持てる。居住費の下方硬直性は、他の資産(株式、外国通貨、債券など)に比べてもはるかに高い。つまり、土地価格の下落の可能性そのものは、インカムゲインを意図する不動産投資を直接的に妨げるわけではない。



2012年6月17日日曜日

城東野球部拾弐期ティシャツ

誰じゃこんな不細工なTシャツでマスカットに行ったんは。
とてつもなく恥ずかしいことを全く恥じらいもなく堂々とやってしまうのが青春の一つの定義であるとすれば、俺が過ごしたあの時代は確かに俺の青春と呼べるのかもしれぬ。

男は、成功した記憶なんぞさっさと捨てるべきだ。
そもそも「成功した」と思った時点で男は肥溜めに飛び込むがよい。
苦汁を飲み捲土重来を決意して再び生きるのだと覚悟したその日のことを忘れてはならない。

我々は、自死の思想を捨ててはならない。
自死という選択肢を持てばこそ、意思を以て「生きる」ことを選びとることができる。
右に曲がることを「選べる」のは、左に曲がるか真っ直ぐ行くという選択肢があるときだけだ。

朝が来たから起きるんじゃねぇ。
腹が減ったから食うんじゃねぇ。
母が俺を生んだから生きるんじゃねぇ。
まして死にたくないからなんて生きるんじゃねぇ。
俺が生きるとかつて決めたから、今日再び決めたから、俺は生きる。

俺の人生において俺の意思以外の何物もその道標とはせぬという決意。
俺は、これを大切にしたい。

俺の真夏はこれから始まる。
これまでの30年は、これからの20年のために。

おぉ、太陽よ!あの夏貴様はあれほど遠くにあった。
されど今は俺の掌で踊っていやがる。
おぉ、月よ!貴様はあの夜あれほど俺に優しかった。
されど今や俺は貴様を呑み込んでしまえそうだ。

「者ども死ねやっっっ!!!」

(熱田神宮を出て桶狭間に向かう馬上にて、信長叫ぶ)




2012年6月16日土曜日

ユーロ圏分裂

ユーロ圏分裂、独のリスク 中核国が引き金 旧ソ連崩壊に見るシナリオ

ブルームバーグ

 

2012.6.16 05:00

古代ギリシャ通貨があしらわれた銀行の広告。ドイツがユーロ加盟国を切り捨てるシナリオがささやかれている=アテネ市内のアルファバンク本社(ブルームバーグ)

 17日に行われるギリシャの再選挙は、スペインなど他の重債務国の離脱を招きかねないとみられているが、ユーロ圏分裂のリスクは、むしろ中核国であるドイツの動向に左右されるとの見方が歴史学者らの間に浮上している。裏付けは、旧ソビエト連邦の中核的存在だったロシア連邦共和国が結果的に15の共和国で構成される連邦制を崩壊に追い込んだという事実だ。

 世界初の社会主義国として1922年に成立した旧ソ連は、89年のベルリンの壁崩壊を契機にソ連共産党の独裁体制に対するイデオロギー的な反発が連邦内の各地域で一気に表面化。91年にはバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)が相次いで独立を宣言し、15共和国による連邦体制は事実上崩壊した。

 ◆集団離脱の恐れ

 米歴史家のスティーブン・コトキン氏は、旧ソ連崩壊に関する著書の中で、連邦内最大の人口を抱え圧倒的な経済力を誇っていたロシア連邦共和国の指導者らが体制崩壊の引き金を引いたと指摘する。

 連邦国家の解体・消滅は経済面にも大きな影響を与えた。旧ソ連を構成していた15の共和国は、連邦崩壊から1年後の92年当時には共通通貨ルーブルを基にした経済ブロックを維持していたが、財政赤字が制御不能な規模にまで膨れ上がり、ハイパーインフレの猛威にもさらされるなかで、ルーブル圏にとどまる国はその後の2年間でわずか2カ国に激減した。

 翻って現在の欧州はどうか。ギリシャの政治家が救済条件を破棄する可能性をちらつかせる一方、金融支援を要求したスペインの国債利回りは共通通貨ユーロ導入後の最高水準を記録した。さらにイタリアも支援要請を余儀なくされるとの見方が広がるなか、欧州北部諸国は南欧諸国を救済するための資金拠出をためらっている。

 こうした状況にあって歴史学者らは、ルーブル圏で起きた地域経済ブロックからの集団離脱がユーロ圏でも近く起きるのではないかとの問いを発している。欧州連合(EU)の危機を長期的に捉えるその視点は、エコノミストよりもはるかに厳しいものだ。

 ◆連帯の範囲狭く

 「The End of Globalization: Lessons From the Great Depression(仮題=グローバリゼーションの終焉(しゅうえん):大恐慌からの教訓)」などの著書で知られる米プリンストン大学のハロルド・ジェームズ教授(歴史学)は、旧ソ連崩壊の経験を踏まえ「通貨圏からのこうした離脱は大きな混乱を伴い、所得喪失とインフレを招く。人々が恐れるのは当然だ。旧ソ連諸国が90年代を通じて軒並み深刻な問題を抱えたことを考えれば、(ユーロ圏にとって)決して好ましい類例ではない」と分析する。

 旧ソ連と現在のEUでは共通点よりも相違点の方が多いとはいえ、歴史学者らは債務危機を検証する上で参考になり得る類似点もあると考えている。具体的には、両者とも2つの世界大戦が引き起こした集団的トラウマの結果生まれた体制であること、また危機に直面して崩壊の瀬戸際にある時期に、体制を創設した世代が寿命を迎えようとしていることなどだ。

 ブルガリアの首都ソフィアを拠点とするシンクタンク、自由主義戦略センターのイワン・クラステフ会長は「ロシア連邦共和国がルーブル圏崩壊に果たした役割を教訓に、EUはドイツの動きを注視する必要がある。ドイツが、より小さいユーロ圏や2つの異なる速度の欧州を求めることに対し、警戒を強めるべきだ」との認識を示した。

 通貨同盟の分裂は問題を抱える周辺国ではなく政治的・経済的に優位に立つ中核国がもたらすと説く同氏は「各国が独自の道を歩みたいと自ら進んで分裂するわけではない。より緊密で最も有益な同盟を目指す一部の指導者が余分な国を切り捨てていくのだ。欧州では今回の危機以降、連帯可能な国々の範囲が既に狭まりつつある。EUの領域が改めて協議されることになるだろう」と予測した。(ブルームバーグ Catherine Hickley)



2012年6月15日金曜日

嵐はくる

世界は株式投資では利殖できぬ時代になりつつあるような気がしています。
中国と資源の割合が高く危険と感じて800円後半で損切りしたある商社株は、今日800円を割り、証券会社はこの会社の格付けと目標株価を一気に下げました。

世界的に主要国が実質ゼロ金利政策をとっているということは、重病患者にモルヒネを打ちづけて小康状態を維持しているのと同じです。
欧州=ユーロが破綻すれば、ここを上客にしている中国の輸出が激減し不動産バブルーいつかここでも書きましたがーがいよいよ露わになると思います。これに米国の財政貿易の双子の赤字、日本の財政赤字が重なれば、世界経済そのものが破滅するのかもしれません。

近代以降、資本主義はたくさんのバブルを作り出し、バブルは恐慌を生み、20世紀にあっても恐慌を世界は最大の公共事業たる戦争で乗り越えてきました。
戦争は悲惨だという日本人は、この国が明治維新以来の沢山の戦争でぼろ儲けをしてきたことに注意を払わないのです。

第一次世界大戦下の好況なしに大正デモクラシーはなかっただろうし、朝鮮戦争なしに高度経済成長の火種はなかったでしょう。
逆に言えば、第一次世界大戦時の大規模な生産力拡大が、昭和恐慌の背景にあって、石原莞爾か満州事変を起こして新たなフロンティアを作り上げたのも結局マルクス風に説明さるうるところ大なのです。
最近ではアメリカがITバブル後に始めたアフガンとイラクでの戦争の間、世界経済は稀有な急拡大を遂げました。トヨタの純利益が2兆円を超えたのもたしかこの期間だつたはずです。

いや、これから大戦争が起こると言いたいわけじゃないんです。起こらないとも言いたいないですが。

明後日のギリシャ再選挙は、もちろん投資家たちにとっては大事なイベントです。しかし、緊縮財政派が勝とうが負けようが、1年後、いや5年後のギリシャ、欧州な姿はかなりはっきりしてきたように思います。

欧州共同体は、USE=United States of Europeにはなれない。
北米のわずかな地域を占めるにすぎなかった若きアメリカぎ西海岸に到達してニューメキシコを併呑するために、また中国共産党があの広大な大陸に覇権を確立するために、そして我が国で明治の元勲たちが中央集権国家を組み立てるために、歴史と大地はどれほどの血を必要としたでしょうか。

新たな政治的共同体=国家を、経済合理性からの損得計算から生み出せるというのは途方もない錯誤でしょう。

まず意志ありき。
次に手段がある。
そしてまれに成果がある。

それにしても、17世紀の30年戦争(ドイツ人口の1/4〜1/3が死んだと言われています)や前世紀の二つの大戦を経ても、尚我々は主権を譲り渡したくはないのです。
こういう国家を想像の共同体とかつて言った人がいますが、そうであれば人間の想像力とはかくも強力で粘着質なものかと驚かざるを得ません。

民主主義が財政赤字を不可避の同伴物とするということが分かっていれば、フランシス・フクヤマもけっして「世界の歴史は終わった」などとは言わなかったでしょう。

優子、まだまだ歴史は続くし我々は戦い続けるだろう。
退屈している暇なんかないから心配するな必要はないよ。

こう考えていれば、保守主義者が意志的に生きられるのか?という最近頭を離れない問いに答えを出せる。

何が言いたいかというと、実物資産が大事!ということ。

2012年6月9日土曜日

優子、露わる、現る、顕る。


30歳にもなればだいたいの人生で出くわす幸不幸の場面に適切な喜怒哀楽の表情や言葉遣いや振る舞いを知っているわけで、そうではない30歳はかなり悲惨な30歳であるか、はたまた天才である。

自分が死ぬとか戦争が起こるとか福島第一原発四号基の使用済み燃料がメルトダウンして東日本が壊滅して誰も住めなくなるとか、アストンに乗って妻と日本を縦断するとかいろいろと想像はできるし、そういうときにどういう顔付きでいればいいのか分かるんだが、自分の子が生まれるというのは、頭では理解していてもいまいちよう分からん。
高橋尚子というマラソン選手が2000年のシドニーオリンピックで金メダルをとった。あのレースでゴールした直後の彼女の表情は、どこか焦点が定まらず、喜びを爆発させるでもなく戸惑っているように見えた。
たぶん、俺も分娩室に入って妻と娘を見たときはそんな顔をしていたのじゃないかと思う。
人間は、経験したことのない状況に遭遇した際、引き出すべき表情の棚を持ち合わせていない。
ああいうタイミングでどこかの記者に「今のお気持ちは?」と尋ねられたら、どこぞの頭の弱そうな女優のように「別に」と言ってしまうのも無理なからんことであろうよ。

いま、この瞬間、俺は娘が発する強烈過ぎる重力に吸い寄せられてしまって、それに身を任せて奴のほっぺたに俺のほっぺたをくっつけてしまいたいという誘惑にさえ駆られていることを告白しよう。
今時流行りの"イクメン"ってわけかコノヤローッ!!!

しかれども。 さはさりながら。ねばーざれす。はうえばあ。

俺自身が、娘を太陽=中心としてその周囲を他律的に周回するだけの惑星になぞ成り下がってたまるか。
俺は、子供を育てるということは、豊かな家庭生活において充足を見出し、子供を愛し教育するだけでは到底足りぬことを社会経験と私的経験から皮膚感覚として深く理解している。
俺が自ら爆発しながら熱を発し続ける太陽であってこそ、俺の家族は俺を中心に熱く仲良く愉快に生きていけるだろう。
おぉ、とうに火薬は湿って腐り、爆発しそうもない肉体と精神を毎朝満員電車に潜り込ませて奴隷労働の現場に向かう幽鬼の如きよれよれスーツの男達よ!君たちにもかつて男であった時代があったことを冀う。
おっと、Nitzcheが現れましたな。
だから、子供が生まれたからといって俺は娘に俺と妻の仲をとりもつ鎹になって欲しくはないし(いい迷惑だろう、子供からしたら。子供のこと以外に夫婦の間に会話がないのは夫の頭にゲームと漫画しかないからだ)、一義的に俺の人生を我が娘のために生きようとも思わない。

今日、此処に、俺は我が娘に対して宣戦を布告する。
それは、大きな未来を有してここに生まれた生後10日の娘よりもさらに巨大で華やかな俺自身の未来を自らの力で掴み取るための戦いの宣告である。

母の胎内に十ヶ月の間潜んでいた君は今やその姿を露わとし、この現世(うつしよ)に出で来った。これから君は自らを如何にこの世界に顕していくのか。
正直に言えば、俺は楽しみなのだ。とても。
たぶん、世界に対して容易には阿らぬ頑固娘になってくれるだろう。 頑固たることは容易ではない。
この世の中、誰もが好き勝手なことを言う。しかも、自分にとっての利益を世界の善であるかのように上手く騙る。だから、俺も君も信じるものが必要だ。何か信じるものさえあれば、生きるのにも死ぬのにも人生はけっこう愉快なのだ。

ところで、我が娘を"ゆうこりん"と呼んだ者は石打の刑に処したい。味噌糞芸能人と俺の娘を同じあだ名で呼ぶことに対してなんらの違和感も抱かぬような言語的に不潔な輩の娘への接近は断固これを排除することを通告しておく。

それにしても、我が妻の子として生まれたこの子は、本当に恵まれている。
俺の子として生まれたことは、どうなのか知らん!