2013年11月26日火曜日

東シナ海上空は21世紀の盧溝橋か

「いまの日本と中国との関係に必要なのは、互いに信頼を取りもどすための賢明な方策だ。逆に不信を増幅させる行動に走るようでは、問題解決の意思があるのか疑わざるをえない。」

今朝の朝日新聞の社説である。

信頼ではなく相手=日本の屈服を、問題解決ではなく事態のエスカレーションを意図しなければ、中国はこんなことをやるはずがない。

日本人は歴史の転換点に立っている。今日という日は、二つの大戦の戦間期にナチスが欧州制覇の野望を持ち軍備を凄まじい速度で拡張していた時代のある一日と極めて似ている。

高坂正尭は、著書「国際政治」のなかで「平和という秩序が尊いものであるとして、その秩序が誰にとっても公平な秩序であるということはあり得るだろうか」と問うた。いま我々は、この問いへの答えを勃興する野蛮な大国の姿の中に見出さざるを得ない。
中国がよいとかわるいとか、日本がよいとかわるいとかの話ではないところにこの国際政治の悲哀がある。水が高きから低きに流れるように、新たな大国は秩序の変更をまずは友好的に、次に脅しによって、最後は武力を用いてでも実現しようとするだろう。フランスから世界覇権を奪ったイギリスも、イギリスから覇権を引き継いだアメリカも、勃興していく過程で数多の野蛮な行為に手を染めながら勢力圏を拡大してきたのだ。

戦争は近づいている。幸運にも側を通り抜けていく可能性はもちろんあるが、戦後の70年弱の間、我が国が交戦国の当事者として戦われる戦争にここまで近づいたことはなかった。

2013年11月25日月曜日

軍歌「抜刀隊」

○朝霞駐屯地の観閲式総合予行で耳にした陸軍のマーチが素晴らしかったので、ずっと気になっていた。この週末に娘とYouTubeの軍歌メドレーを聴いていると、流れてきたのはまさにあの勇ましくも軽やかな曲、その名も「抜刀隊」。
西南戦争の田原坂の戦いで西郷軍の抜刀隊に、徴兵の新生日本帝国陸軍が苦戦し、山縣有朋がいやいやながら(自分が作った徴兵制を否定することになるから)警視庁の旧士族たちからなる抜刀隊を組織し西郷軍と血みどろの白兵戦を戦った。彼ら警視庁の抜刀隊を歌ったのが、1885年に発表されたこの古い軍歌である。作曲はお雇いフランス人のシャルル・ルルー。
反乱軍の大将とはいえ、当時の日本における大西郷の存在感が如実に現れているのが歌詞の一番だ。敵の大将を「古今無双の英雄」と呼んだ軍歌は珍しい。

我は官軍我(わが)敵は  
天地容れざる朝敵ぞ
敵の大將たる者は  
古今無(双)の英雄で
之に從ふ兵(つわもの)は  
共に慓悍(ひょうかん)決死の士
鬼神(きしん)に恥(はじ)ぬ勇あるも  
天の許さぬ叛逆を
起しゝ者は昔より  
榮えし例(ためし)あらざるぞ
敵の亡ぶる夫迄(それまで)は  進めや進め諸共に
玉ちる劔(つるぎ)拔き連れて  死ぬる覺悟で進むべし

完璧なまでの5-7-5のリズム。日本人ははるか昔からラップを知っていたのだ。
ちなみに、陸軍=陸自のみならず警視庁も、いまだに観閲式にはこの曲を使う。なーんだ、旧軍の伝統を墨守しているのはなにも海軍だけじゃないんだネー。
日本はなかなかの軍歌大国なのだ。
「軍艦行進曲」、「抜刀隊」、「出征兵士を送る歌」、「同期の桜」、「加藤隼戦闘隊」などなど。
軍歌なんてまぁ物騒な!と浅はかにも思った方には今すぐアメリカとフランスの国歌の和訳を音読することを勧めたい。
今年の紅白で三宅ゆかりさん(海自の東京音楽隊のソプラノ歌手、岡山城東高校の大自慢!)が、「抜刀隊」を歌ってくれたら俺はもう清水ジャンプでX5買うぞ。

○夜、羽田に国際線で帰って来る。国内線用の滑走路数本が着陸前から着陸直後まで機の左側によく見える。
滑走路には、青や赤や黄色のライトによって控え目に、だがはっきりとした誘導灯の刻印が刻まれている。
夜半にこの3000m級の滑走路を、ライトを消したスポーツカーで全力疾走してみたい。

○恋愛と結婚は、ソフトボールと野球の関係と同じだと考えるから結婚が破綻するのであって、その二つはむしろ野球とゴルフの関係により似ている。ゴルフをする前に野球に上手くなる必要が全くないのと同じように、夫婦という集団が組織として上手く機能していくために当人らが恋愛において上手であるかどうかは全く関係がない。だのに自由恋愛礼賛のこの時代には、恋愛に上手くないと結婚にまで至らない。しかし、幸いに恋愛が上手く行ってソフトボールから野球に移行したつもりが、実はゴルフだったと判明してから3分の1の夫婦が離婚する。
まことに面白き人間模様ならん。


2013年11月24日日曜日

モーターショー

東京モーターショーをザザーっと見てきた。目標は二つ。
一つ、燃料電池自動車の開発及びその普及に必要な水素ステーションを含むインフラ関連企業。
一つ、自動・自動車。いわゆるAutonomous Vehicleだ。

一つ目については、川崎重工がすこーし宣伝していたぐらい。が、「CO2フリーの水素エネルギー」というの嘘だろう。水を分解するエネルギーを天然ガスを燃やして作った電気で得ていれば、自動車が走行する段階でのCO2排出がなくても、天然ガス火力由来の電気で走るEVと何も変わるところがない。だから、「走行中に水しか排出しない夢の燃料電池車」という言い方には、少々嘘が入っているわけだ。車のボンネットに置いたソーラーパネルで作った電気を電池に溜めてこれでモーターを回して走る自動車が生まれたら、本当の意味でCO2フリーのEVということができる。

二つ目。日産自動車が米国でのAutonomous Vehicleの開発について、リーフを一台会場に置いて、そのそばのIpadで報告していたが、それだけ。ちょっと残念。2020年には自動・自動車を売ると言っているのにね。
2.5時間見た中では独Boschが最も自動・自動車に力を入れているように感じた。
http://www.bosch.co.jp/jp/press/group-1305-04.asp

ちなみに、米国では高速道路だけで人間のミスに起因する交通事故で3万人以上が死んでいる。
自動・自動車の開発にグーグルをはじめ世界のそうそうたる企業や大学が気合いを入れているのは、この「3万人」を減らすことに大いなる市場があると確信しているからだ。
イラクへの侵攻とその後の戦争でもせいぜい米国軍の戦死者が5000名程度であることを考えれば、毎年3万人という数がどれほどの数字が分かるだろう。あるいは、2.5年で10万人以上が死んだシリア内戦。これに比肩するほどの人間が、自動車という快適な乗り物を我々が使う便益に否応なく付随してくるコストとして死んでいるのだ。誰も大きな声ではそんなこと言わないが、もし本当に人の命が地球よりも重いものであるならば、それほどかけがえのないものであるならば、我々は明日にでもこの車という凶器を世界から撲滅できるだろう。が、車がもたらす快楽と便益に、我々ドライバーの根拠のない「僕はだいじょうぶ」という自信が組み合わされ、今日もどこかで人が死ぬ。

HONDAが、「我々の名前は『本田技研』。自動車会社だとは言っていない」と書いていたのは面白かった。「ユニカブ」などの未来の製品群がこれからどんどん登場してくればよいな。

とはいえ、俺は自動車には興味があるが自動・自動車にはまだ興味がない。
というわけで、やはりBMWがいいな。というより、車はFRでないとだめだ。







2013年11月4日月曜日

入間航空祭

来場者はなんと32万人。人間酔いした。
まずは陸に翼を休める空飛ぶイルカ=ブルーインパルス。

             

ダイアモンド隊形で観客直上を通過!






戦後初の国産機、YS-11。当日のアナウンス曰く、「航空自衛隊では、民間では引退したこのYS-11を、これからも大切に運用して参ります!」と。
こういう戦闘機でもなんでもない機とか輸送機とかで大きなブレイク(旋回)をして見せてくれるのが実はとても面白い。


大津波によって建物の屋上などに孤立した人々の救援に大活躍したヘリ、UH-60J。
見ての通り、ソマリアで撃墜されたブラックホークです。


習志野から参加した第一空挺団のパラシュート降下。見た目とは違ってやたらと機敏なC-1輸送機から降下した。曇り空に咲いたクラゲ?


こちらは福島第一原子力発電所3号機への放水作戦を行ったCH-47チヌーク。



生産が終わってしまったF2支援戦闘機。欧米ではF16”ファイティングファルコン”と呼ばれるが、なるほどそんな名前がよく似合う風貌である。国産戦闘機の火は何処に。