2018年10月28日日曜日

懐かしい読後感とともに

数日前、ある先輩と久しぶりに寿司でも摘もうと赤坂で会う前に立ち寄った文教堂に入ると西部邁氏の「友情 ある半チョッパリとの45年」という本が平積みされていたのでふと手を伸ばし迷わず買い求めた

この人物は今年1月に多摩川に入水自殺を敢行した。78歳であった。
僕が関西学院大学に入ってから直ちに積極的引篭の生活の門をくぐってからというもの、常にこの人の本は僕のベッド、ソファ、バッグ、風呂場とどこにでも何冊も置かれていて、間違いなく僕の日本語形成第二期の最重要の著者であったことは間違いない。次第に自分が話す言葉、書く言葉が、家族や高校時代の友人の使うそれとは違ってきたことに、クソガキの僕は悦を見出していたのである。
大学生になり矢鱈と気負っていた僕は、「大学生なんだから自分の文体というやうなものを持たねば笑われる」と、ー今となってはそのようか考え方は2000年代のそこらの学生としては相当な頓珍漢ぶりだったことがよく分かるのだがー大真面目に信じていて、そこでこの人物の少し癖のある日本語とその内容にまずは知的な精神世界への道案内を求めたという塩梅であった。
倉敷の野球馬鹿は、西部邁という人物に導かれるようにして、英国流保守主義やらなんやらの少し込み入った世界に一人でフラフラと立ち入り、そこで過ごす時間が学部から大学院までの6年間の自身の時間のほとんどを占めるのみならず、僕の人格と思想形成において決定的な役割を果たしたことは疑えない。

その著書の多くで、氏は「私はけっして自死の思想を手放しはしないであろう」と、けっして昂ぶることのない筆致で何度も書いた。
だから、この入水自殺の報に接し、僕はなんら驚く事がなかった。北海道ではなかったのだな、とは思った。

先週のJALの羽田発の深夜便でロンドンに向かいながら、この「友情」という本を読んでいると、シャケの生魚が生まれ育った北海道の清流に戻っできた時に感じるような、なんとも言えぬ懐かしさを覚えた。
それとともに、これに遡る事数日前の、吉祥寺のある居酒屋での新たな友との得難い邂逅を思った。

30歳を過ぎてから肝胆相照らす友を新たに得ることの稀有なること、論を俟たない。家族があり、仕事があり、学生の時分のように長く論じ合うことも困難である。しかしそれでも出会うべき友とは出会うものだ。
なぜこの新たな友との出会いが愉快であったのか。

西部氏が言う、「生命尊重以上の価値を認めない価値相対主義」というべきものから断固として距離を取るべきであるというただ一点において、僕はこの友との大いなる紐帯を見出したのである。なにもそれについて合意して握手をしたわけでは勿論ない。
それは、二人で長い時間を過ごせば組み上げられるという種類のものではなく、お互いが自身のなかにある種の孤独の経験と断固たる自己を持っていなければ発見できない種類の人間同士の関係である。どんな価値を信奉していようが、よいのだ。フェミニズムでもナショナリズムでもコミュニズムでもキャピタリズムでもアナーキズムでもよい。ただし、それを論じた後で、「ま、そんなもののために死のうなんて全く思いませんがね」と斜に構えられたら、また酒を飲もうなどと思えるわけがないではないか。

生命尊重以上の価値を模索し悩む人間が、ここにもいるのだと思うだけで、僕は愉快になる。腹の底から元気と気迫が湧き出してくるのを感じる。
世界は広く、自分は小さい。