2014年1月18日土曜日

バークとドラッカー

ドラッカーの思想の根幹とは何ぞ。思うにそれは、

「民主的で自由な社会が繁栄するためには健全な資本主義社会が必要であり、そのための"マネージメント"とは何か」

について論じることにある。
もちろんその背景には、彼の故郷を蹂躙したナチスという存在が大きくあった。
重要なことは、彼にとってナチスは、ナチスそのものに内在する悪のために排除されなければならないのではなく、ナチスを生み出した近代産業社会というものの悪しき側面についてドラッカーは深い認識を持っていたのだと思う。
日本の保守主義者であり産業人でもある俺がいま最大の関心を持ち、かつ経営と思想哲学をつなぐものこそ、ドラッカーがエドマンド・バークを如何に読み何を学び何を批判したのかということだ。非常に興味深いテーマだと思う。保守主義的ビジネスマンの姿勢が如何にあるべきか?これを俺は6年間問い続けてきたからである。

推薦図書があれば是非教えてください。

2014年1月17日金曜日

成長の実感

豚肉を食べながら、

"豚さん、君の命を絶対に無駄にはせんぞ..."

と心から思ったこと。

2014年1月16日木曜日

独り言

○そういえばヴィットゲンシュタインは第一次世界大戦の塹壕のなかでノートと鉛筆であの「論理哲学論考」を書いた。屋根付きの書斎を持つ俺は、何やっとるんだろう。何も生み出していない。

○毎朝電車にこう思い定めて乗る。
「この電車に乗っている誰よりも集中して本を読む」。
いつも愉しい本ばかりではないから。

○ドラッカーは、人の短所を人並みにするより、人の長所を抜群のものにしてやることに力を注ぐべきだと言った。然り、組織にいる限り我々は相互補完的に協働できるわけで、自分一人で全てを行う必要性も合理性もない。リカードの分業に基づく貿易論もつまりはこれだ。
ただし、異なる長所や短所を持ち共にひとつの組織に働く人間達が欠いてはいけない力が一つある。それは、相手に自分を理解させ、また理解してやる力である。これを想像力ともいう。

○鰯の干物と黒霧島のお湯割りが抜群に合う。鰯の臭さと芋焼酎の軽い香りがたまらん。そういう自分をオヤジやなーと思い、すぐにトレーニングに向かう。

○東京都は東電の株式を1%強持つ。それだけの理由で、「原発再稼働には断固反対だ」と都知事候補が言うのはさすがに理が無い。
小泉元首相は、さしたるネタがないのをいいことに得意のシングルイシュー選挙にしたいのかね。
それにしてもメキシコと同じ経済規模の自治体のトップが直接選挙というのは魅力的だ。

林原靖「破綻ーバイオ企業・林原の真実」


岡山の名門企業、林原は2011年に会社更生法申請により化学品専門商社・長瀬産業の完全子会社となった。負債総額1300億円と色々派手に書かれたが、最終的にはこの93%の債務を支払った。異例の弁済率である。
このユニークな企業を手にした長瀬産業の手に入ったのは、無借金で年数十億円を稼ぎ出す優良企業だ。
オーナー企業であった林原が岡山駅前の一等地に保有していた1.5万坪の土地には、西日本最大のイオンモールが2014年11月の開業を目指して建設中だ。

地元のことなのに知らんのはいかんと思ってザッと読んだが、何故破綻させられねばならんかったか全然分からぬ。たぶんそれは、破綻前の専務であった著者のせいなんかではなくて、実際意味不明なのである。
「林原?あぁ、大王製紙なんかと一緒でしょ」とでも思っている人にはぜひ一読頂きたい。
林原が早く株式を上場していたならば...と思うと、残念だ。資金を銀行融資だけに頼ることの危険は、上場企業が株価に一喜一憂せにゃならんという事実を考慮しても、全ての中小のオーナー企業が把握しておかねばならんことだと思った。

脱線するが。
倉敷にはイオン倉敷とアリオ倉敷。岡山にはイオン岡山。いずれも凄まじく巨大な施設で恐ろしいほどの集客力を持ち、確かにここに金は落ちる。広島からも兵庫からも四国からも山陰からも客はミニバンを飛ばして来るだろう。
だが、そこには時給850円のアルバイトしか雇用はない。アルバイトの雇用が数千生まれても、家族を作り子を養うのに必要な所得は生まれない。
故郷に欲しいものはなんでも揃う便利で巨大なショッピングモールではない。必要なのは、子を育て、本を読むことができる生活を支える高給の雇用なのだ。
仕事はないが買い物するところだけは豊富にある故郷なぞ、糞喰らえだ。

2014年1月13日月曜日

瀧本「君に友だちはいらない」

大事な点のメモ。

-教養とは、自分と違う世界に生きている人と会話ができること。
-会社という存在がなければ焼きそばを作るために奇蹟が必要になる。小麦を手に入れ、石臼を手に入れ、豚を手に入れ屠殺し、玉ねぎを手に入れ...誰もが諦めるだろう。
-その業界が社会に存在することの意味は何なのかを問え。あるべき変革はここに始まる。
-戦友には、けして居酒屋で出会えないし、作れない。戦友を得たければ、戦うべき大義が必要で、実際に何かの戦いを始めないといけない。大義のない戦いに、我々は死ねない。

著者がタイトルを、友達ではなく「友だち」としたのは何故だろうか。

2014年1月11日土曜日

小説「原発ホワイトアウト」

霞が関の現役官僚が匿名で昨年秋に上梓したコンパクトな小説。東電を関東電力、新潟を新崎などとした架空の話ではあるが、これが全てフィクションだと言い切れる者はまさかいないだろう。
民主主義政治において圧力団体が如何に利益誘導を行うかについて無知な人(もちろん俺もだが)にはとてもよい教材だと思う。
原子力には興味はないが日本の統治機構の在り方に関心がある、という人は読んで損はない。原子力に関心がある人には必読であると勧めたい。権力の側にいる人間も必ず読むべき本である。

著者が、この本の一番初めにマルクスの次の言葉を挿れているところに非常な才を感じた。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」

2014年1月9日木曜日

「永遠のゼロ」という映画

「私にとって生きて帰るということは何よりも大切なことなのです」

映画「永遠のゼロ」のなかでの主人公である零戦パイロットの言葉である。

仮に、福島の原発事故の対応に際して、全ての自衛隊員、全ての消防官、全ての警察官と全ての東電の社員が、「私にとって生きて帰るということは何より大切なので任務を放棄して家族のもとに帰ります」と言って福島第一原子力発電所から撤退していたら、何が起こっただろうか。
たぶん首都東京を含めた東日本は壊滅していただろう。それはすなわち日本という国の崩壊である。
あの時、東電の社員も自衛隊員もハイパーレスキュー隊も、確実に死を目の前に感じたことだろう。想像することさえ苦しい。

ところで、この映画のなかで主人公は最後には志願して特攻作戦に参加し、戦死する。
そんなわけだから、命が何より大切だと言っていた人間がなぜ特攻に志願したのか?という疑問に答えるために、主人公の心の動きをじっくりと描くことがこの映画をつくる者の腕の見せ所のはずだ。
ところが、ここの描写は極めて粗く、玉砕していく特攻機とパイロットを多数見てきた主人公は、幽鬼のようになったまま一人米空母に突撃していく。この心の動き、変遷が俺には全く理解不明なのだが、実は俺などには理解できない深淵な主人公の葛藤や苦しみの克服などがわかる人にはわかるように描かれているのだろうか?本を読めばわかるのだろうか。あまりに謎だからもう一回観てみよう。

ちなみに、この映画のベストシーンは、ずばり合コンの場面。もう一つのベストシーンは、主人公が訓練中に墜落死した飛行学生の名誉を守るために上官に立ち向かった場面。生きている者の感情ではなく、死んだ者の名誉こそ我々は守らにゃならんのだ。

なーんかこんなことばっかり言うてるなー

2014年1月7日火曜日


土というものはまことに凄いもので、水と陽光だけでこんな美味いものを作ってしまう。
これに粗い藻塩を一摘み振っていただく。美味い。

最近トレーニングで浪費される俺の運動エネルギーを、発電とか農作業とかに使えないものかとよく思う。ただ単に65kgの身体を何度も懸垂したり重いバーベルを担いでスクワットをしたりするというのは、そりゃそれ自体いいトレーニングではあるが、運動エネルギーの無駄以外の何物でもないし、時間の無駄でもある。
一つ代替案があって、それは娘をダンベル替わりに使用することだ。家族団欒の時間に娘の体重を用いてトレーニングができるなら、こんな効率的な時間とエネルギーの使い方はないだろう。

2014年1月3日金曜日

「仕事を探す」

年末年始のこの"休み"に休んでいるような人間は会社におんぶにだっこの家畜だ。俺は立派なその一人だ。2020年にとんでもないことをやる人間は、どう考えても今日家族と一緒におせちをつっつき餅を食うているはずがない。たぶん大晦日も元旦もカップラーメンをすすりながら働いていたことだろう。
「仕事を探し」ている限り、アストンマーチンは夢のまた夢。仕事を作ることが、言葉の真の意味での仕事であるように思う。

消費者としての我々は、世界のどこかで誰かが「仕事を作り出し」た結果生まれた商品やサービスを購入している。時には生き延びるために、時には娯楽のために、最も経済的に合理性なものを購入しようと、我々は商品やサービスをいつも「探し」ている。そこには、「誰かが自分が求めている商品やサービス(や仕事)をすでに作ってくれているはずだ」という他力本願の甘えが確かにある。だが、そんなものはないから(iPhoneが発売される前にiPhoneを想像していた人間はジョブズだけだろう)、人は個室に引きこもるか、とりあえず作られた「仕事」をしながら自分をそれに無理矢理慣れさせる。家族を持てば、後者の場合の自分の生き様の正当化としては最高だ。

そういう我々消費者は、Amazonや楽天で雑貨や温泉宿を探すように仕事を探し、自分で自分がやるべき仕事を作り出そうとはついに考えない。

世界史に名を残す将軍や政治家、起業家というのはあり得るし、じっさいに存在する。だが、世界史に名を残す消費者というのは、資本主義がこれから100万年続いてもあり得ない。
自己の在り方として、貴様はいずれを選ぶのか。

読者の皆様とご家族の新年の御健勝を祈念致します

吉備津彦神社にて。
備前国一宮。旧社格は国幣小社。
似た名前を持ち、同じ吉備の中山に鎮座する「吉備津神社」はこれより少し格が高く、旧社格は国幣中社で備中国一宮。
この神社の北方には、各末社が祭られているのだが、その一つに温羅神社というものがある。その御祭神は、”温羅属鬼乃和魂”である。この温羅とは、吉備津彦神社が祭る大吉備津彦命に討たれた鬼・温羅の魂である。ちなみに、この大吉備津彦命による温羅退治の話は、お察しの通り、岡山の桃太郎伝説のルーツである。
日本では1000年以上前から御祭神が打倒した敵の魂さえ同じ境内で祭ってきた。
150年前に北米大陸に先に住んでいた”インディアン”を絶滅させた新アメリカ人にも、恨(ハン)の文化の韓国人にも、朝廷が変われば旧皇帝とその一族は悉く皆殺しにする中国人にも、この精神性はないだろう。
だが、だからこそ、日本人は我々日本人自身の宗教(それは多くの場合、明示的に宗教的な形態をとらぬものであるが)について深く内省し、かつて神道が仏教に対抗する形で神殿や鳥居の形式を備えたように、神道における「カミ」のなんたるかを、論理とともに(論理だけでは論じきれない)語り伝える努力をせねばならないのだと思う。それがLocalist(地元人間)であり、Nationalistであり、同時に世界規模の日本人たるべきの一つの要件だろう。
日本人のこの”出鱈目さ加減”、鬼も神も一緒くたにして何の痛痒も覚えぬこの和の精神を、日本人以外の誰も理解しはしないという断絶の意識から始めなければならない。いや、そもそも我々日本人自身がこのことをはっきりとは理解していないに違いない。
日本は面白い国だ。世界のどんな国よりも、吉備津彦神社の歴史を学ぶことの方が面白いかもしれないと大真面目に思う。
我が祖国は、歴史の豊饒さにおいて真に光り輝く国であり、それを精神的に象徴するものが神社であると感じた新年の初め。



大山国際スキー場(鳥取県)。

Pont Neufにたまたまあったグランドピアノ。
言っているのは、「わたしの帽子~ッ!!!」。
従姉妹の藍子さんとの戦い。